心に響く聖書のことば

カリスマ運動と異言について



はじめに

 聖書を読み始めたとき、ほとんどの人は必ずと言っていいほど聖書の内容に違和感を感じることでしょう。それは聖書の中にあまりにも多くの奇跡、しるしの出来事が記されているからです。旧約聖書においては、出エジプト記の十の災害や預言者エリヤ、エリシャの驚くべき奇跡。怪力サムソンの驚異的な力、ライオンの穴に投げ込まれたダニエルと火の中でも焼かれない三人の友。魚に飲み込まれたヨナ等々。まるでおとぎ話を読んでいるかのようです。それは新約聖書に入っても同じです。イエス・キリストの処女降誕に始まり、数々の不思議なしるし、そして使徒の働きにおいても奇跡は続きます。ですから、聖書は現実離れした神話のように感じてしまうのです。しかし、主イエス・キリストの福音によって神様の存在とその全能の力を信じたときから、私達は聖書の記事が真実であり、本当に起こったことだと理解するのです。
 カリスマ運動の主張は、「神様は昨日も今日も変わらないお方だから、現在でも神様の御心なら奇跡が起きる」と主張します。病気のいやしや異言、死者のよみがえり、増え続けるパンなど、不思議な出来事が自分にも起きると信じます。そして、そのような奇跡的な体験の証しがもてはやされます。しかし、聖書には次のようにも記されています。

マタイ 16:4 「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。

 この学びの論点は、「今でも奇跡は起きるのか?」です。神様は現在でも信仰者に不思議なしるしを与えられるのでしょうか?夢や幻で啓示を与えられるのでしょうか?異言が与えられているのでしょうか?・・カリスマ運動の問題に焦点を当てつつ、神様が願われている信仰の在り方を学んでいきます。

一、カリスマ運動とは?

二、不思議なしるしの問題

三、新しい啓示の問題

四、病気のいやしの問題

五、異言の問題

六、聖霊のバプテスマの問題


(この学びは、ジョン・F・マッカーサーJr.著「混迷の中のキリスト教」(いのちのことば社出版)を学んでいく中で、重要と思われる論点を取り上げ、私なりの解説をしたものです。より詳しい解説や証明のための実例、カリスマ運動の主張などは「混迷の中のキリスト教」を読まれることをお勧めします。)