心に響く聖書の言葉

1.ディスペンセーションとは


 ディスペンセーションとは、神様の人類に対する取り扱いの歴史を時代ごとに区分して考える聖書解釈法です。この神学体系をディスペンセーション主義(Dispensationalism)と呼びます。ディスペンセーションという言葉は、「神の摂理、天の配剤(はいざい)、経綸(けいりん)、天啓(てんけい)」、または単に「時代」とも訳される言葉で、聖書中のギリシア語「オイコノミア」に由来しており、新改訳聖書ではこの言葉をおもに「管理人」「管理」または「務め」と訳しています。聖書全体を学んでいくと、神様が時代を区分しておられ、それぞれの時代において人間には管理者としての責任が与えられているので、「ディスペンセーション」という言葉がこの解釈法に用いられています。

「オイコノミア」、「オイコノモス」(派生語)が用いられている聖書箇所には次の箇所等があります。

ルカ16:1-2 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計報告を出しなさい。』

Tコリント4:1-2 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。

エペソ3:2 あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。

※欽定訳聖書では次の二か所で「dispensation」が用いられています。
エペソ1:10  that in the
dispensationof the fullness of the times He might gathertogether in one all things in Christ, both which are inheaven and which are on earth-inHim.(時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。)

エペソ3:2  if indeed you have heard of the
dispensationof the grace of God which wasgiven to me for you,(あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。)

 世界史を旧約時代と新約時代に区分するなら、その人はある意味でディスペンセーショナリスト(Dispensationalist)と呼ぶことができるでしょう。現在よく知られている時代区分は七つですが、このテキストでは八つの時代区分としています。それはダビデ王とソロモン王に代表される王国時代を一つの時代として区分するべきだと考えるからです。

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