心に響く聖書の言葉

二章 聖書の預言の特長


聖書の将来の預言について詳しく学んでいく前に、聖書の預言の特徴を知っておいてください。


1.聖書の預言は、すべて成就される

 まず聖書の預言は、これまですべて成就してきたことを歴史から知ることが出来ます。
イエス・キリストが、「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法(聖書)の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。マタイ5;18」 と語られたとおり、聖書の預言はことごとく成就してきました。
 新約聖書が成立する以前には、神様は預言者と呼ばれる人たちを立て、彼らに神のみこころや将来の預言を啓示し、人々に伝えるように命じられました。神様が「みことば」を預け託されたので彼らは預言者と呼ばれたのです。一般的な「予言」はその人自身が考え出したことですから、何の権威も責任もなく、天気予報のように当たるときもあれば当たらないときもあります。しかし、聖書の預言は神の権威に基づいており、100%成就してきたのです。


2.聖書の預言の内容

 聖書の預言には大きく分けて、イスラエル民族に関する預言と、救世主(メシア)に関する預言があります。


a.イスラエル民族に関する預言
 イスラエル民族は神が選ばれた「選民」と呼ばれ、聖書中、特別な立場と特権を与えられています。それは差別ではなく、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、そしてダビデ等、信仰の偉人たちに与えられた特別な祝福でした。彼らの純粋な信仰に報いて、神様は子孫を祝福し、領土を約束し、繁栄を約束されたのです。特にアブラハムに与えられた次の約束は祝福の起源として唯一無二の預言と言えるでしょう。

創世記12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」


 この約束によって、イスラエルは特別な民族として現在も存在し続けているのです。歴史のなかでイスラエルが神に対して不信仰に陥り、堕落するたびに神様はイスラエルにさばきを警告(預言)されました。そして試練のなかでイスラエルが信仰を取り戻すと、再び祝福(回復)を与えられました。
 ・エジプトでの奴隷生活 BC約1700〜1500年
 ・アッシリア捕囚 BC722年
 ・バビロン捕囚 BC586年
 ・ローマ帝国によるエルサレム陥落 AD70年
 AD70年にエルサレムが陥落し、イスラエル民族は約1900年間、離散の民(ディアスポラ)として虐げられた生活を余儀なくされてきました。そして現在、世の終わりが近づいたことの前兆としてイスラエルは再建国し(1948年5月14日)、現在に至っています。これは旧約聖書のエゼキエル書37章において預言されていました。散らされたイスラエルが「干からびた骨」として例えられ、その骨が集まってきていのちを吹き返し、人になるという預言です。これは霊歌となり歌い継がれています。『DRY BONES』

※そして将来、患難期という七年間が預言されていますが、それもイスラエルに関する預言に含まれます。六章で詳しく取り上げます。


b.救世主(メシア)に関する預言


 次に、聖書には救世主(メシア)に関する預言があります。旧約聖書には1850箇所とも言われるほど多くの箇所でメシアについて預言されています。イスラエル民族は長きにわたって奴隷生活、捕囚、離散、迫害という苦しみの時代を通ってきたので、イスラエルを救い解放し平和を実現してくれる救世主を待ち望むようになった事は当然だと言えるでしょう。人々は預言者が伝えた救世主が来られるという(来臨と言います)預言を信じ、希望を置いたのです。

 ただし、メシア預言には、二つの相異なった側面がありました。イスラエルを救い、平和の杖を持って支配する王としての姿と、苦しめられ、さげすまれるみじめな姿の両方が描かれていました。そのためこれらの預言にはさまざまな解釈がなされ、正しい理解がされないまま時代が過ぎてきました。

 現在、私たちはこの預言の真実を知ることが出来ます。それは、救世主(メシア)の来臨は二度起こることが預言されていたということです。

@約二千年前にイエス・キリストは一度目の来臨をされました。
 この時、救い主がベツレヘムという町で生まれることや、病人を癒し、悪霊を追い出すこと、ロバの子に乗ってエルサレム入城されること、苦しみを受けて死なれること等の預言が成就しました。

 当時のイスラエルの人々はイエスが救世主として王となり、ローマ帝国の圧政から自分たちを解放してくれるものと期待しました。しかし、それは実現されず、イエス・キリストは十字架に架けられ、処刑されてしまいました。そのため多くのイスラエル人は失望し、イエス・キリストにつまずきました。そして現在に至るまで、イスラエル人はキリストを無視し、別のメシアを待ち望んでいるのです。(外務省公表のイスラエルにおけるキリスト教徒の割合はわずか2%です)

Aイエス・キリストは再びこの地上に来臨されます。
 その時にはイスラエルを救い、平和の杖を持って支配する王として来臨され、メシア預言のもう一つの側面がすべて成就するのです。

 イエス・キリストご自身、再び戻って来ることを約束されました。
ヨハネ14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

 また、墓の中からよみがえったイエス・キリストが天に戻られた時、御使いが現れて弟子たちに将来起こることを伝えました。
使徒1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」


 したがってメシアであるイエス・キリストが二度来臨されることが明らかにされています。メシア預言を理解する重要なカギがここにあります。旧約聖書では一度目の来臨と二度目の来臨がはっきり区別されておらず、解釈が困難でしたが、来臨が二度あることを理解すれば問題が解決されます。イエス・キリストは一度目は「悲しみのメシア」として来られ、人間の最大の問題である罪の赦しを与えるために十字架で贖いの死を遂げられたのです。そして二度目は「栄光のメシア」として来られ、正義の王として支配されるのです。

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