心に響く聖書の言葉

六章 患難期とは




 近い将来、いまだかつてなかった患難の期間があることを聖書は多くの個所で預言しています。特にヨハネの黙示録では多くのページを用いて、戦争や大災害等によって世界の人口の多くが死んでしまうことを預言しています。この期間のことを患難期と呼び、その期間は七年と定められています。また患難期は前半と後半の二つに分けられ、特に後半を大患難期と呼びます。(神学者によっては七年間を大患難期と呼んでいます。)聖書中では患難期について次のように記しています。

『苦難の時』
ダニエル12:1 国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。

『ヤコブの苦難の時』
エレミヤ30:7 わざわいだ。実にその日は大いなる日、比べようもない日。それはヤコブには苦難の時。だが、彼はそこから救われる。

『大きな苦難』
マタイ 24:21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。

『試練の時』
黙示録3:10 あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。

1.患難期の目的

 神様のご計画には必ず目的があります。人に与えられる苦しみにも目的があるように、この預言されている患難期にも神様の特別な目的があります。

@全世界に対するさばき

 患難期の目的としてまず挙げられるのは、全世界に対するさばきです。それは教会時代においてキリストの福音が宣べ伝えられ、神様の救いが無償(恵み)で世界中の人々に提供されたのに、それを受け入れず福音を拒んだ人々に対する神様のさばきだと言えます。

イザヤ26:20 さあ、私の民よ。あなたの部屋に入り、うしろの戸を閉じよ。憤りが過ぎるまで、ほんのしばらく身を隠せ。
26:21 それは、【主】がまさにご自分のところから出て、地に住む者の咎を罰せられるからだ。地は、その上に流された血をあらわにし、そこで殺された者たちを再びおおうことはない。

エレミヤ25:31 その叫び声は地の果てまでも響き渡る。【主】が諸国の民と争い、すべての肉なる者をさばき、悪者どもを剣に渡されるからだ。──【主】のことば──
25:32 万軍の【主】はこう言われる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大いなる暴風が地の果てから起こる。
25:33 その日、【主】に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らは悼み悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。』」

A最後の救い

 患難期はさばきの時ですが、同時にそれは最後の救いの時でもあります。激しい苦難を通して神様に目を向け、自分の罪を認めて悔い改める最後の機会なのです。ただしこの期間に福音を信じて生きる人は激しい迫害を受け、多くが殺されてしまうことが預言されています。

黙示録7:9 その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。
7:13 すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。
7:14 そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、長老は私に言った。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。

Bイスラエルの回復のため

 患難期の目的として最たることは、イスラエル民族を主の民として回復させる期間だということです。イスラエルは、約束された救い主キリストを拒否し、十字架に付けて殺した故、神様の祝福を失って路頭に迷っている状態です。彼らは神様に選ばれ愛されている民族ですが、教会時代においてキリストの血を流した責任を取っているのです。

マタイ27:23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」
27:24 ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」
27:25 すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。

 次の個所でも、イスラエル選民が神の恵みから失脚した事を宣言しています。

マタイ21:43 ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがた(イスラエル)から取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。

使徒13:46 そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがた(イスラエル)に語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。

 マルコによる福音書12章に記されたぶどう園のたとえでは、父なる神様がぶどう園の主人として描かれ、イスラエルの非道が暴かれ、さばかれる様が預言されています。

マルコ12:9 ぶどう園の主人はどうするでしょうか。やって来て、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。

 事実、紀元70年にエルサレムはローマ軍によって陥落し、多くのイスラエル人は殺され、残った人々は外国へ離散しました。そしてその場所でも彼らは迫害される歴史をたどってきたのです。

 しかし、神様はイスラエルを見捨てられたのではなく、必ず回復されることが預言されています。使徒パウロはローマ人への手紙11章で、イスラエルに対する神様のご計画を明らかにしています。

11:25 兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時(教会時代の終わり)が来るまでであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
11:27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。
11:28 彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。
11:29 神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

 したがって、イスラエルは現在まで不信仰であり祝福を失った歩みをしていますが、神様の賜物と召命は変わることがなく、彼らは依然神様の選びの中に在り、神に愛されている民族なのです。神様は再びイスラエルを集められ、神の選民としての祝福を与えられるのです。

アモス9:14 わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。
9:15 わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。──あなたの神、【主】は言われる。」

 イスラエルが再び集められ、祝福されるという預言は、私たち日本人にとってはなんとも不公平に思えます。なぜこれほどまで神様は一つの民族だけを祝福し、特別扱いされるのかと疑問に思います。この疑問に対する答えは簡単ではありません。長い歴史の中で定められたことであり、ただ一つ確かに言えることは、神様は約束を守られるお方であり、神様が語られた御言葉は失われることがないということです。

 神様はアブラハムを選ばれ、彼に祝福の約束(契約)をされました。その約束は、イサク、ヤコブ、そしてモーセ、ダビデへと受け継がれました。たとえ人間側の反抗、反逆があっても約束されたことは破棄されませんでした。そして歴史の最後まで約束は取り消されないのです。「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」という御言葉の通りなのです。

 イスラエル民族に与えられた祝福を理解するなら、それは私たちにとっても喜ばしいことです。なぜなら異邦人クリスチャンに与えられた約束も決して破棄されることがないと知るからです。キリストの十字架の血による贖い、罪の赦し、永遠のいのち、聖霊の内在、神の子という特権、そして、将来与えられるキリストの花嫁としての祝福・・これらの約束も私たちの不信仰や犯した罪によって取り去られることはありません。現在、教会時代に宣べ伝えられている福音メッセージをアブラハムが聞いたなら、きっと彼は私たちをうらやむことでしょう。



2.患難期の期間

 患難期の期間については、おもに旧約聖書のダニエル記、新約聖書のヨハネの黙示録に啓示されています。ダニエル記の預言は「七十週の預言」と呼ばれています。

ダニエル9:24 あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。
9:25 それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。
9:26 その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。
9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」

 聖書翻訳の問題もあり、解釈が難しい箇所ですが、要約するとイスラエルには七十週(490年間)が神様によって定められているというのです。その最後の一週、つまり七年間が荒廃の時として預言されています。この箇所の解釈を多くの方々がまとめておられますので、詳しく学びたい方は次のホームページを参照してください。
御使いガブリエルがダニエルに告げた「七十週の預言」 空知太栄光キリスト教会牧師 銘形秀則先生
完全解読 70週の預言 レムナント主宰 久保有政先生
世の終わりはなぜ7年なのか?  札幌ガーデンチャーチ牧師 ゆうき牧師
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次回は患難期に預言されている出来事を見ていきます。

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