心に響く聖書の言葉

七章 千年王国とは




 神のことばである聖書には、多くの約束(契約)と預言が含まれています。約束は破棄されることがなく、預言は必ず成就してきました。世界の歴史は聖書に記されたガイドラインの通りに進んできました。そして聖書は近い将来、新しい時代が来ることを約束しています。それが千年王国と呼ばれる正義と平和に満ちた時代です。

1.千年王国の開始


 六章では患難期について記しましたが、その最終戦争(ハルマゲドン)を終わらせるため、イエス・キリストが再び地上に降りて来られることが預言されています。

ゼカリヤ14:3 【主】が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。
14:4 その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。

 オリーブ山は、復活されたイエス・キリストが天へ帰られた場所でした。その時、次の預言がありました。

使徒1:9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。
1:12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。
オリーブ山

 黙示録ではその期間が千年間だと預言しています。

黙示録20:4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
20:5 残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。
20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。


2.千年王国の目的


 千年王国は、聖書において一貫して流れているテーマであり、その位置付けはとても重要です。

a.安息の時代として

 千年王国は、安息の時代として神様によって定められています。旧約聖書には安息日、安息年という規定があります。それは神様がこの世界を六日で創造され、七日目に休まれたので、人間も七日目、七年目を休めと命じられたのです。それは人間のために定められた律法だと教えられています。(マルコ2:27)

 安息日にはすべての労働を休めと命じられました。また、安息年には耕作を止めて土地を休ませます。また負債は免除され、奴隷はその身分を解かれました。(申命記15章参照)

 したがって、千年王国は人間の歴史における安息時代だと言えます。聖書の年代を計算していくと、アダムとエバが創造されてアブラハムまでが二千年、アブラハムからイエス・キリストまでが二千年、キリストから現在までが二千年で、合計六千年が経ちました。もうすぐ七千年目が始まります。神様はその時代を安息時代とされるのです。この時代には万物は悪魔の支配から解放され、すべての争いが止み、真実の安息の時を人間は経験するのです。
※聖書には七千年目という預言はありませんが、歴史的推測と私的願望です。


b.イスラエルに与えられた約束のゆえ

@アブラハム契約
 神様はアブラハムと契約を結ばれ、彼の子孫(イスラエル)にカナンの地(現在のパレスチナ)を永遠の領土として与えることを約束されました。その境界線は広大なものでした。

創世記 15:18 その日、【主】はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。

申命記 11:24 あなたがたが足の裏で踏む場所は、ことごとくあなたがたのものとなる。荒野からレバノンまで、あの川、ユーフラテス川から西の海に至るまでがあなたがたの領土となる。

 しかし、現在に至るまでイスラエルが約束された領土すべてを支配した時代はありません。したがって、この契約は千年王国において完全に果たされることになります。

Aダビデ契約
 神様はダビデと次の契約を結ばれました。

Uサムエル 7:16 「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

 しかし、ダビデの王国は後に南北に分裂し、北王国はアッシリアに、南王国はバビロンにより捕囚され、滅ぼされた形となっています。

 ところが、五百年以上後、イエス・キリストがお生まれになった時、母マリヤに次の預言が与えられました。

ルカ1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」

 キリストが「ダビデの子」と呼ばれる理由がここにあり、ダビデの子孫として生まれ、ダビデの王座を継承するお方として誕生されたのです。イエス・キリストが宣教されたとき、十二弟子たちに次のことを約束されました。

ルカ 22:30 「そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。」

 イエス・キリストは十字架によって処刑されましたが、三日目に墓より復活され、その後、天へ帰られました。王国の約束は消えたかのような状態ですが、イエス・キリストが再び地上へ来られることが約束されています。その時こそダビデ契約が完全成就するのです。

Tテサロニケ 2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。

ヘブル 1:8 御子については、こう言われました。「神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。


3.千年王国はどのような時か


 千年王国は神様が人間のために用意された安息の時代です。旧約聖書のイザヤ書にはその時代の描写が数多くあります。それは私たちにとって大きな希望と励ましであり、試練に打ち勝つ力となります。


a.正義が支配する時代

イザヤ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2:2 終わりの日に、【主】の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
2:3 多くの民族が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
2:4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
2:5 ヤコブの家よ、さあ、私たちも【主】の光のうちを歩もう。

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。

b.長寿と健康の時代

イザヤ65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
65:22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者たちは、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
65:23 彼らは無駄に労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者の末裔であり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
65:25 狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。──【主】は言われる。」

イザヤ35:5 そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。
35:6 そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。
35:7 焼けた地は沢となり、潤いのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルが伏したねぐらは葦やパピルスの茂みとなる。
35:8 そこに大路があり、その道は「聖なる道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさまようことはない。
35:9 そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ることはなく、そこには何も見つからない。贖われた者たちだけがそこを歩む。
35:10 【主】に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。

c.呪いから解放される時代

イザヤ11:6 狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。
11:7 雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。
11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。
11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。【主】を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。

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 これらの預言により、千年王国の風景を垣間見ることが出来ます。神様が望まれている世界がここにあります。それはエデンの園が回復された様であり、人間が神様の光の中に歩み、神様が人の間に住まれるという御心が実現される時なのです。この王国にあなたも招待されています。


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