心に響く聖書の言葉

聖書的シンプルライフ第九章


第 九 章  多くを求め過ぎてはいけない




 日本におけるクリスチャンの信仰生活は、窮屈だと感じる人が多いのが現実です。気質の違いもあるのかもしれませんが、教会では物静かに座って説教を聞き、行儀よくしていなければなりません。それは毎日の信仰生活でも同じであり、聖書通読が毎日課され、祈りの時間を指定され、教会の集会すべてに忠実に集うことが求められ、十一献金が厳しく命じられ、丁寧さ、行儀良さ、勤勉さが求められます。素晴らしい面もありますが手放しに喜べない悪い面もあります。イエス様のご生涯を見ていくと、当時の型にはまったユダヤ教を非難され、いつも型破りのことをイエス様は行なわれました。安息日に麦の穂を摘んで食べられたり、手を洗わないで食事をしたり(ユダヤ人は儀式的に手を洗うことが命じられていました)、取税人や異邦人と食事をしたり。


 窮屈さの原因の一つは、献身者主体の説教が続けられているからだと思います。福音書の中に出てくる12弟子たちと同じように仕えることが求められるのです。しかし12弟子たちは献身者でした。彼らは家を捨て、家族を捨ててイエス様に従った人たちです。その弟子たちと同じように行動することが説教で求められてしまいます。また、初代教会時代のように、財産を共有し、共に生活することが模範として語られます。(使徒2:43-47) しかし、それは現代に生きるクリスチャンビジネスマンにはできない話です。いつも教会にいて奉仕することはできません。祈りの時間を毎日数時間とることは至難の業です。聖書を牧師と同じように読んで研究する時間を取ることが出来るでしょうか?日曜日の午後からトラクト配布や教会の墓地奉仕に毎週駆り出されたら、月曜から土曜日まで仕事をしているクリスチャンはいつ休んだらいいのでしょうか?


 あまりにも献身者中心のメッセージが語られ続けているため、すべてにおいて忠実であることが求められすぎています。そして忠実なクリスチャンほど、自分自身に多くを課してしまうのです。多くを求め過ぎてしまうのです。その結果が窮屈な信仰生活です。熱心な思いが自分の心の中で「新たな律法」を作り出してしまうのです。

 私たちは律法主義から解放されなければなりません。イエス様の福音は、律法を作り直したのではなく、律法から解放し、私たちに自由を与えられたのです。


ガラテヤ人への手紙 5:1  キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。


ローマ人への手紙7:6  しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。


 この聖書箇所の誤解は、クリスチャンはいつも自由気ままに生きたらよいという事です。もちろん、そんなことを言っているのではありません。たとえば教会の礼拝で、奏楽の奉仕者が「今日は気分が乗らないので演奏しません。来週は来週でないとわかりません」と言ったならどうでしょう。それでは奏楽の奉仕を任せることは出来ません。ですからパウロは次のように教えています。

ガラテヤ人への手紙5:13ー18 

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。


 神様から与えられた自由を自分の肉(わがまま)のために用いるのではなく、隣人を愛して仕えるために用いなさいと教えています。奥の深い教えです。単純に言うなら、信仰生活の原動力は「愛する心」からだという事です。律法主義を打ち破る秘訣は愛です。愛することは神様の御心です。イエス・キリストの新しい戒めは、

ヨハネによる福音書13:34  あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

です。使徒パウロは「御霊によって歩みなさい。」とも命じています。御霊は私たち一人一人に心ざしを与え、喜びを与えられます。たとえば献金についての教えの大原則は、

Uコリント人への手紙 9:7  ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 御霊の働きによって愛する心、奉仕する気持ち、ささげる思いが与えられます。人まねの信仰生活をすることはできますが、心までまねることはできません。御霊だけが私たちの心を変えることが出来るのです。多くを求め過ぎてはいけません。御霊によって導かれて歩みましょう。


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