心に響く聖書の言葉

十戒・第一戒   礼拝音声ファイル


出エジプト記20章3節
 モーセの十戒1 「ほかの神々があってはならない」


 十戒は、モーセを通してイスラエルに与えられた神様の法律です。それはイスラエルを選びの民、宝の民として祝福し、そして彼らをキリストへ導くためでした。キリストが来られ、罪の赦しが与えられたので、律法(十戒を含む)はその役目を終えました。この古い契約のもとにクリスチャンは生きていません。イエス・キリストによって新しい契約が与えられ、キリストの恵みの中に生きる者となったからです。しかし、十戒を詳しく学ぶことは無駄ではなく、神様の御心、聖さ、義を知ることが出来ます。

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」

 これは十戒の第一の戒めです。何よりも先に与えられたこの戒めは、神は唯一であり、他には神はいないことを人間は認めるべきだと戒めています。神は私たちの創り主であり、天地万物を統べ治められているおかたです。聖書は創世記1章から、唯一の神が存在し、その神が私たち人間を創造され、歴史の中で常に働いておられることを教えています。

 聖書で語られている神が、歴史の中で絶えず多くの人々に信仰され続けてきたのには理由があります。聖書の内容は、神話とは異なり、歴史の事実に基づいています。神ご自身がその存在を示され、私たちにそのことばを語られてきたのです。特にモーセに対しては「顔と顔を合わせて語られた」と聖書は記しています。また、多くの預言者を通してご自身のメッセージを人々に伝えて来られました。そして最後に神はそのひとり子イエス・キリストを世に遣わされ、ご自身の存在と御心を明らかにされたのです。

 イエス・キリストは祈りの中で父なる神について次のように語られました。

17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。

 日本には多くの宗教がありますが、「神が語り続けてこられた」という宗教は他にありません。道徳的な戒めであったり、神話と呼ばれる古い逸話の伝承であったりします。伝統や伝説、祭りを大切にされている方々も多いのですが、神様の存在やその御心を知らないで宗教的行事だけに力を入れるのは本末転倒です。私たちを祝福される真の神様を知らなければ、神事や祭りを行う意義や価値はありません。

 神様は預言者イザヤを通して次のように語られました。
45:5 わたしが【主】である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
45:6 それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが【主】である。ほかにはいない。
45:21 告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、【主】ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。
45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。

 神様はご自身を常に示して来られました。そしてあなたが個人的にこの神様を信じて生きることを望んでおられます。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」という戒めは、イスラエルの民全員に与えられたのですが、「あなたには」と命じられています。申命記5章では「神は私たち、ひとりひとりと契約を結ばれたのである」と記されています。信仰は常に神とあなたとの問題です。神様は遠い存在ではなく、いつもあなたを見ておられ、あなたに語りかけておられるのです。

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