心に響く聖書の言葉

十戒・第九戒  


出エジプト記20章16節
「偽りの証言をしてはならない」

1.人をさばくこと

20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
 「証言」という言葉は法廷用語であり、文字通り、裁判の証人として立ったとき、偽りを言ってはならないと命じています。しかしながら、この戒めは法廷に立つごく一部の人だけにではなく、その適用はすべての人に及びます。他の戒めと同様、この戒めにも神の義が啓示されており、神の愛と聖さが示されています。創造者が私たちに何を望まれているのか、私達がどのように生きるべきなのかを知ることが出来るのです。

2.第九戒によって示された神の御心

@ 義が支配する国
 この戒めを通して示される神の御心は、「神は義であり、正義を愛しておられる」ことです。それで私たちは、嘘、偽りを捨てて、真実で正しい生き方をすることが求められています。もし、偽りの証言がまかり通るようになったら、この世は混乱し、不道徳がはびこる社会となってしまいます。何が正義で何が悪かさえわからなくなります。


 残念ながら、法廷で一部の証人は嘘の証言をし、隣人を落としいれようとします。申命記19:15-21では、一人の証言では真実を確かめることは難しいとして、二人か三人の証言が必要であると規定しています。神様の願いは、私たちが真実を語り、神の義が現されるようになることです。イエス・キリストは「主の祈り」のなかで、「御心が天で行なわれるように、地でも行なわれますように」 と教えられました。

 義が支配する国こそ神が望まれる世界なのです。正義が行なわれ、愛と平和が満ち溢れる世界です。残念ながらいまの人間の世界はそうではありません。それは「神などいない、自分だけが頼りだ、お金で幸せが買える」というサタンの策略に多くの人が引っかかってしまったからです。ヨハネ8:44でイエス様は悪魔について「彼は偽り者であり、偽りの父である」と説明されました。私たちはサタンの策略に騙されてはいけないのです。天国あるいは地獄にあなたは一円も持っていくことができないのです。
 神様の願いは義の支配する世界です。感謝すべきは、神様はそのような国をあらかじめ計画されていて、将来実現してくださる約束を私たちは頂いています。


A 偽善者にならないように
 マタイ23章には当時の指導者たちの偽善を猛烈に非難されるイエス・キリストの言葉が綴られています。
23:25 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
23:26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
23:27 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。
23:28 そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

 偽善者とは外側だけを清め、内側を清めない人です。二心のある人、賛美とのろいを同じ口から出す人、二枚舌の人です。白塗りの墓のように外側はきれいに見えても中は汚れでいっぱいです。偽善者は偽りの証言をする人と同じです。神様はそのような人を忌み嫌われ、さばかれます。また、信仰者は見せかけの信仰ではなく、真実を持って神様を礼拝することが求められています。
ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。


B 真理の証人になる

 聖書は私たちに真理の証人となることを命じています。それはキリストの証人です。
使徒1:8  しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
 もし私たちの言葉に偽りがあるなら、私たちの証言を誰が信じてくれるでしょう。福音を伝えようとするなら、常に真実を語り、偽りの証言をしてはなりません。


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