心に響く聖書の言葉

キリストを礼拝することは正しい事か?


聖書の疑問の一つに、「キリストを礼拝することは正しい事か?」と言う問題があります。それはイエス様が次のように教えられたからです。

ヨハネ4:23-24 「 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

 イエス・キリストは「父を礼拝しなさい」と教えられました。では、キリストを礼拝することは正しいことではないのでしょうか?同様に、聖霊を礼拝するという事は正しいことではないのでしょうか?聖霊を礼拝するという事はおそらく誰も聞いたことがないはずです。私たちの礼拝の対象は父なる神様だけでしょうか?さらに問うなら、感謝すること、賛美をささげること、祈ることも、キリストに対してではなく父なる神様に対してのみささげられるべきものでしょうか?

 この解決のためには、聖書のみことばがどのように教えているか、注意深く見ていくことが必要です。
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 聖書には、キリストを礼拝している場面ががいくつかあります。


マタイ2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
マタイ2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
マタイ14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。
マタイ15:9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」28:9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
マタ28:17 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
ヘブル1:6 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
黙 5:12-14 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」 また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。
黙11:16-17 それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。


 また、次の聖書箇所はキリストを礼拝しなさいと言うようなニュアンスです。
ピリピ 1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
ローマ 9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。


 しかし、使徒パウロの書簡では父なる神とキリストとをはっきり区別していて、礼拝、感謝、賛美は父なる神様にささげられています。
ローマ1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
ローマ7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
Tコリント1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
Tコリント15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
Uコリ ント2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
エペソ5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
コロ サイ3:16-17 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

ローマ 15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
Uコリント 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
Uコリント 11:31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。
エペ ソ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
エペソ 1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
コロサイ 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。


 ペテロも同様です。
Tペテロ 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

 キリストに対して感謝をささげているのは次の一カ所のみです。
Tテモテ 1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。

 祈りと賛美について言えば、キリストに祈りなさい、キリストを賛美しなさい、と言う聖句は一つもありません。その代わり、キリストの御名によって父なる神に祈りなさい、キリストを通して賛美しなさいと教えています。
ヨハ 16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヘブル 13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。


 また、福音書の中でイエス様が「祈りなさい」と言われる時には常に「父なる神に祈りなさい」という意味です。
マタイ 9:38 「だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

 これらの聖句からわかることは、現在の私達クリスチャンが礼拝すべきは父なる神様であり、感謝、祈り、賛美も父なる神様に対してささげるべきだという事です。ただし、マタイによる福音書や黙示録が示すように、キリストが目の前におられる時には彼に礼拝をささげることは間違いではありません。しかし、キリストが天におられる現在は、父なる神に礼拝、賛美、感謝、祈りをささげることが正しいと言えます。ただし、キリストの御わざや十字架に架かってくださったことに感謝することは当然の事だと思います。しかし、祈るときには常に「キリストの御名によって父なる神に祈る」ことが求められています。

 聖霊に対する礼拝、祈り、感謝、賛美は1カ所も記されていません。けれども聖霊の働きがあってこそ真の礼拝、祈り、感謝、賛美となることを忘れてはいけません。

ローマ 8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
ローマ 15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。


 大切な事は私たちに示されている三位一体の神をごちゃまぜにしてはいけないという事です。父なる神、御子イエス、聖霊の神、それぞれの働きがあり、区別されていることをしっかり理解すべきです。

・父なる神は創造者であり、礼拝を受けるお方です。
・イエス・キリストは信仰の創始者であり、模範を示すお方です。父なる神の御心に従い、父に祈られました。また永遠の大祭司であり、父なる神と人間の仲保者として立てられたお方です。
・聖霊は私たちを導き、励まし、父なる神を礼拝する心を与えられるお方です。

 もし私たちが三位一体の神を信じているのなら、それぞれの働きを理解して礼拝すべきです。それは三位一体の神の否定ではありません。父なる神を礼拝するという事は、三位一体の神を礼拝しているという事であり、キリストを礼拝し、聖霊を礼拝している事にもなるのです。

 これは賛美すること、感謝すること、祈ることにおいても同じことです。祈ることでは、「聖霊のとりなしを受けて、御子イエスの御名によって、父なる神に祈りなさい」と教えられています。この区別をしっかりすべきです。

 イエス・キリストが語られた「霊とまことによって礼拝する」と言う意味は、究極的には「聖霊に満たされて、イエス・キリストの御名によって、父なる神を礼拝しなさい」と理解されるでしょう。