心に響く聖書の言葉

7.教会について


1.教会は奥義です。
 新約聖書の中で「奥義」(ミステリー)と呼ばれている真理がいくつかあります。その中で、イスラエル人と異邦人がともに同じ神様の祝福にあずかるということが特に強調されています。
エペソ3:5 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
3:6 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
3:7 私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。
3:8 すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。

 この奥義は前の時代には隠されていた真理であり、教会時代に入って明らかになりました。前の時代にはイスラエルと異邦人との間には明らかに壁が作られていました。神様はイスラエルを選び、愛され、祝福されました。異邦人に対して神様の態度はいつも厳しいものでした。異邦人がイスラエルと同じ祝福にあずかることは到底考えられないことでした。しかし、教会時代にはその考えられなかったことが実現しました。イスラエルも異邦人も教会という神様が祝福されるグループの一員となれるのです。同じ立場、同じ条件、同じ救い、同じ祝福を持つのです。しかし、このことは多くのイスラエル人にとっては納得いかないことでした。そのため異邦人伝道を続けたパウロたちはユダヤ人たちから激しい迫害を受けたのです。

2.教会は聖霊内住の時代です。
 教会時代だけが聖霊が内住してくださる時代です。創世記の初めから旧約聖書のどの時代においても聖霊の働きは確かにあったのですが、それは常に一時的であり、人の内側に聖霊が宿られ続けるという約束はありませんでした。しかし、教会時代において聖霊が信者の内側に宿り、取り去られることはないという約束があります。
Tコリント 3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
Uコリント 1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。
Uコリント 5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。


3.教会はキリストの花嫁です。
 Uコリント 11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
 バプテスマのヨハネもこの真理を知っていました。彼自身は教会時代に入る前に殺害されてしまったので、「キリストの花嫁」という立場を持てませんでしたが、「花婿であるキリストの友人」としてキリストが花嫁を迎えに世に来られたことを喜んでいます。
ヨハネ 3:29 花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです

4.教会は恵みの時代限定です。
 教会にははっきりとした始まりと終わりがあります。聖霊降臨(ペンテコステ)の日に聖霊が人々に与えられて教会時代が始まりました。そして教会時代の最後はイエス・キリストが空中携挙によって聖霊を宿したキリスト者を皆一挙に引き上げられるとき、この時代は終わりを告げます。教会が始まる以前の人たちはバプテスマのヨハネと同様にキリストの花嫁となれませんし、聖霊が取り去られるのは教会の完成の時ですから、それ以降の信仰者たちは教会の一員とはなれません。

Tテサロニケ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
ローマ11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、


 以上のことから、教会は特別なグループであり、奥義であり、特殊な立場を持っていることがわかります。そして教会時代が終わると同時に、かつての旧約時代と同様、再びイスラエルが選民としての祝福にあずかるようになり、神様のメッセージを宣べ伝える民として用いられるようになります。先ほどのローマ人への手紙の続きはこのことを明らかにしています。
ローマ 11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。


 神様のご計画には常にイスラエルがあることを認めなければなりません。では、なぜ教会時代が付け加えられたのでしょうか?教会の存在意義はなんでしょうか?
@キリストの花嫁となるため
 キリストの花嫁として神様が教会をこの世から召し出されたのです。それはちょうど旧約聖書の記事と似ています。アブラハムが息子イサクのために花嫁を迎えるために使いを送り出し、神様の御心に従ってリベカを迎えたのです。創世記24章参照
Aイスラエルにねたみを起こさせて信仰を奮起させるため。
 ローマ11章参照
B死に対するキリストの完全な勝利として
 イエス・キリストの勝利は死とよみに対する完全な勝利でした。将来に起こる空中携挙によって示される真理は、死ぬべき人たちが不死となり、神の国に入ることによってキリストの完全な勝利が実現されるのです。
 Tコリント15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
Cイスラエル王国実現に向けての霊的ひな型として
 教会は千年王国のひな型となっています。それは神様が歴史の中で常に用いて来られた方法です。十字架での贖いのひな型として動物がささげられたように、教会は来たるべき千年王国のひな型となっています。したがって千年王国では教会時代の特徴が完成されることになります。
・キリストによって罪のさばきと赦しがある
・キリストが共に住んでくださる
・キリストが王として支配される
・キリストに礼拝がささげられる
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