本文へスキップ

心に響く聖書の言葉


こんなに長い間一緒にいるのに ヨハネ14:9-11

1.間違い
 長い間、間違って覚えていた言葉があります。「どろじあい」という言葉です。それを「泥試合」と書くものと思い、ダラダラと決着がつかない試合のことだとばかり思い込んでいました。正しくは「泥仕合」であり、その意味は「互いに相手の秘密をあばきあう,みにくい争い」です。他にも多くの人が間違って覚えてしまいやすい言葉が色々あります。
【誤】 ウサギおいしい ⇒ 【正】 ウサギ追いし
【誤】 台風一家 ⇒ 【正】 台風一過
【誤】 良い爺さん ⇒   【正】 異人さん
【誤】 取りつく暇(ひま)がない ⇒ 【正】 取りつく島がない
【誤】 目(め)の当たり ⇒ 【正】 目(ま)の当たり
【誤】 汚名を挽回する ⇒ 【正】 汚名を返上する
【誤】 予言者 ⇒  【正】 預言者(聖書に登場する)
【誤】 三身一体 ⇒ 【正】 三位一体

 誰にでも間違って覚えていたり、信じてきたことがあります。そのなかで最大の間違いは、「神はいない」という考えです。漢字を間違えて覚えても大した問題ではありませんが、これは大問題です。見えないと言う理由だけで神は存在しないと決め付けてよいでしょうか?あなたの永遠を左右する大問題に対し、いい加減な判断をくだすのは愚かなことです。――なぜなら神は本当に存在されるからです。

 神様は世界の歴史のはじめから人間にそのメッセージを伝えてこられました。神様のことばは預言者等によって宣べ伝えられ、その後、聖書として記され、後の時代へと書き残されてきました。しかし人々の心はかたくなで
取り付く島がなかったのです。
 神の御言葉を信じないかたくなな人々のために、神様はそのひとり子を地上に遣わされました。「預言者でだめなら、息子を遣わそう。息子の言うことなら彼らも聞いてくれるだろう」と。それで神様は御子キリストを世に遣わし、御子によって神の御心を余すところなく示されたのです。それだけではなく、人々の罪のためにキリストを十字架にかけて殺すことが父なる神の御心でした。それは罪の赦しと永遠のいのちを人々に与えるためでした。それゆえイエス・キリストは罪を着せられ、十字架に架けられ処刑されたのです。しかし、イエス・キリストは三日目に墓から見事によみがえられ
汚名を返上し、救いの確証を与えられたのです。

 イエス・キリストの福音は、1549年に フランシスコ・ザビエルらの一行が鹿児島に上陸した際、日本に伝えられました。人々はこの教えを受け入れ、永遠のいのちに入り、救いの喜びをいただきました。その一方で「キリスト教は
異人さんの宗教だ」と決め付けて弾圧し迫害する人々が増えていきました。その結果、今だに「キリスト教は外国の宗教」であり、日本には『日本の神々』がいると信じて疑わないのです。

2.ピリポの間違い 9-11節
 12弟子たちはイエス・キリストともに寝食を共にし、御言葉を聞き、イエス様が行われた奇跡を
目の当たりにしました。それなのに彼らはイエス・キリストのことを間違って理解していました。
14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。

 ピリポは「イエス様は偉大な預言者であり、イスラエル王国を立て直して王となられるお方に違いない」と考えていました。でもイエス様が神であるとは思いもしませんでした。それでイエス様はピリポの考えを訂正され、「わたしと父とはひとつ」であると教えられました。さらに14章後半ではもう一人の助け主である御霊(聖霊)について教えられました。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。


 後の神学者たちはこのイエス様の教えを
三位一体という言葉で表しました。私はこの三位一体の教理をなかなか理解できませんでした。「どうして三人の神がいて一人の神と言えるのか?」そのことを宣教師に質問したときに次のように答えてくださいました。「人間でも同じでしょう。学校の先生なら生徒にとっては先生ですが、奥さんにとっては旦那さん、子供たちにとってはお父さんで、呼ばれ方も態度や接し方も違うでしょう。神様も同じような方法で私たちに接しておられるのです」と。確かに考えてみると、コップに入っている水も三つに形(固体、液体、気体)と働きを変える事ができます。また、電線を流れている電気も普通は見えないが、光となったり、熱となったり、動力としてその姿と働きを現すのです。つまり私たちの身の回りには三位一体を教えるものが満ちているのです。

3.人間の間違い

 人は自分に益になるもの、興味あるものしか受け入れない傾向があります。そのため多くの人が信仰を持つことを敬遠するのです。「神を信じることは金儲けの妨げ、自由な恋愛の妨げ、家庭円満の妨げになる!」――だから神を信じないのです。
 しかし多くの人は歳をとってくるとはたと宗教心に目覚めます。墓の心配、死後の世界に対する恐怖からです。そのとき、ご利益宗教や道徳的空想宗教は都合が良いのです。彼の宗教心はそれで満足するからです。しかしそれは大きな間違いです。そのような宗教は高級車1台分の価値しかありません。それに乗って心地よい気分を味わい満足してると言うだけです。しかし、それは一時的であり、やがて錆びつき壊れていく物であり、永遠ではありません。
 
 では何が大切なことでしょうか?ーー目的を持ってあなたを創造し、あなたを守り導いておられる神が本当におられることを知ることです。創造主を知らないから、人は生きる価値や目的もわからないのです。そのため私たちの社会は醜い争いにあふれていて、まさに
泥仕合になっているのです。人間が考えだした空想の神々を信じても、意味がないことは言うまでもありません。人間の歴史の中に実際に働かれ、証拠を示してこられた創造主こそ信じるべきお方です。そしてその創造主が人間に与えられた最後のメッセージこそイエス・キリストであり、十字架と復活の福音なのです。