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心に響く聖書の言葉


信仰と希望と愛 第一コリント13章



Tコリント13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。


一、人間の信仰、希望、愛

「あきらめないで!自分を信じて!」という励ましの言葉をよく耳にします。すぐに投げやりになったり、挫折して諦めてしまいやすい私たちだからこそ、このような励ましがときに胸を打ちます。
 しかし「自分を信じて!」という言葉の裏には、「他人は信じることが出来ない」が隠されています。他人は信用できず頼りにならないことを誰もが知っているのです。ところが、周りから見たあなたも信用できず頼りにならない人なのです。それなのに「自分を信じて!」とは何という矛盾でしょう。

 自分を信じていたら必ず失望させられます。なぜなら人間の心は信じるに値するほど純粋ではないからです。情熱は冷めやすく意志は変わりやすいものです。――子どもの頃、夏休みに入ると、計画表を作成し、夏休みを有意義に過ごそうとしました。しかし計画表通りにはいかなかったはずです。健康のためにスポーツ、ダイエット、禁煙等を決断し実行します。しかし長続きしません。「生涯あなたを愛します」と誓って結婚したのに、『結婚は地獄だ」と後悔します。事実、結婚した夫婦の三組に一組は離婚と言う破局を迎えています。人の心は変わるのです。聖書は人の心について次のように記しています。

エレミヤ 17: 9 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。

ローマ3:10-12 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

マタイ15:18-19 口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。




 聖書では、人は信じるに値しないものであることを示しています。「隣人を愛しなさい、兄弟姉妹を愛しなさい」と教えていますが、「隣人を信じなさい、兄弟姉妹を信じなさい」とは教えません。それどころか「信じるな、だまされるな、気をつけろ」と警告しています。私たちが信じるべきは永遠に変わることがない天地万物の創造主である神です。

二、神様の愛

 その創造主である神が「私を愛しておられる」ということは驚きです。神についての多くの人のイメージはとても悪いものです。幼い頃から事あるごとに「のろわれる、たたられる、ばちが当たる」と脅されてきました。神仏は怖いものだとすり込まれてきました。「さわらぬ神にたたりなし」と。ところが聖書は「神は愛である」と宣言しているのです。

イザヤ43: 4 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

Tヨハネ4:16 神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

 この神様の人間への愛は、御子イエス・キリストの十字架によって完全にあらわされました。罪人である私たちが受けなければならない罪のさばきを、キリストが身代わりとなって受けてくださったことにより、神様の愛が示されているのです。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。



 神が御自分で創造された人間のために犠牲を払われるとは常識では考えられません。そんな宗教はどこにもありません。神は全能で偉大なおかたであり、悩んだり苦しんだりしないのが神だと誰もが考えるでしょう。創造した人間が失敗作なら、陶器師がするように失敗作は壊して新たに作り直したら良いはずです。しかし聖書の神は違うのです。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
と言われ、罪人の私たちを決して見捨てられないのです。

 あなたには大切にしているもの、思い入れのあるものがあるでしょうか?――もし大切にしているものが壊れたら、あなたはそれを修理しようとするでしょう。愛する家族が苦しんでいたら、何とかして助けたいと思うはずです。
 神様にとってあなたは愛する大切な人なのです。だから神様はあなたのために大きな犠牲を払ってくださったのです。神様はその愛するひとり子イエス・キリストを遣わされました。キリストは十字架で苦しみを受け、死なれることにより、あなたが受けるべきさばきを身代わりに受けられました。この救い主を受け入れるなら、あなたの罪は赦され、永遠のいのちを与えられると神様が約束しておられます。その確証のために神様はイエス・キリストを墓の中より三日目によみがえらせたのです。

 神様は、私たちがこの世の過ぎ去っていくものや、無くなってしまうものに信仰、希望、愛を持つのではなく、あなたの造り主である神様に目を向けることを願っておられます。
「罪の中を歩むな、永遠の地獄へ行くな、真理を知って希望を持て」と願っておられるのです。

 どうかイエス・キリストによって示された永遠に変わることのない神に、「信仰、希望、愛」を持ってください。
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備考;信仰、希望、愛の中で一番すぐれているのは愛だとなぜ教えられているのでしょうか?--そのシンプルな答えは愛だけが永遠に続くものだからです。信仰者が天国へ行ったとき、信仰と希望は現実のものとなるので、必要がなくなってしまいます。しかし、愛だけは天国においても続くからです。またもう一つの答えは、愛は神様の本質だからです。『神は愛です』と教えられているように、究極的な愛は神様だけしか持っておらず、神御自身の本質であるからです。信仰、希望は人間が基準ですが、愛は神が基準なのです。