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心に響く聖書の言葉


禁欲主義、律法主義に陥る危険≪騙されるな!≫ コロサイ2章20節〜3章6節


2:20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
2:21 「すがるな。味わうな。さわるな」というような定めに縛られるのですか。
2:22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
2:23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
3:4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。
3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。
3:6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。


1.誤った教え

 コロサイ人への手紙は、使徒パウロがコロサイにある教会に宛てて書いた手紙です。パウロはこの時、牢獄に囚われていましたが、獄中にてコロサイの教会の諸問題について聞き、教会の中に異端的な教えが入り込んできたことを知って、彼らに警告すべく手紙を書き送りました。その異端的な教えとは次の三つが挙げられます。

@ユダヤ主義
 イエス・キリストを信じた後も、モーセが命じた律法の規定を守るべきだとする教えです。キリスト者であっても、割礼を受けるべきだと主張し、安息日や祭りの規定(過越、仮庵、七週の祭り等)、食べ物の規定などを守るよう教えました。そのように教える人たちはユダヤ主義者と呼ばれました。
2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
2:17 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。


A御使い礼拝
 御使い礼拝は、ヘレニズム文明のギリシャ哲学、特に二元論から生まれました。二元論とは、天地万物、現象は二つに分類できるとする教えです。すべてのものは、光と影、表と裏、善と悪に分けられる――そのような考え方から、目に見えるものは悪であり、目に見えないものは善だとします。従って目に見えない神は清く正しく、目に見える人間は汚れた肉であり、直接神と交わることが出来ない。それゆえ神と交わるためには御使いという仲介者が必要だと教えました。そこから御使い礼拝が始まっていったのです。(ガブリエル、ミカエル、ルーシファーの名が登場)。その信仰は当然のごとくオカルト的になっていきました。
2:18 自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。

B禁欲主義
 キリスト者の目標は神の御前に清く正しい生活を送ることだと教えました。「すがるな、味わうな、触るな」と、欲を殺した生き方が神に喜ばれることだと主張しました。しかしパウロはこの教えを、「人間の戒めと教えであり、・・人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」と否定しました。

2.真理の教え
 「かつては言い伝えやこの世の幼稚な教えに捕らわれていたが、今、私たちはキリストと共に死に、新しく生まれたのだから、かつての古い教えに戻ってはならない」とパウロは強い語調で訓戒しています。キリストが私達の罪の刑罰を負って身代わりとなり十字架で死なれました。そこで私たちもキリストと共に死んだのです。バプテズマと訳される「バプテゾー」というギリシャ語は「水に浸す、水に漬ける」が本来の意味です。水の中に入って行き、沈められ、水と一体となる。私たちはキリストにバプテズマされたとパウロは教えています。キリストと共に死に、キリストと共によみがえった――キリストに継ぎ合わされ一体となった――これが福音の真理であり奥義です。

3.だまされてはいけない
 先日、私の携帯電話に詐欺メールが届きました。私は一瞬不安になりました。しかし全く登録した覚えがないので無視することが出来ました。しかし携帯電話をよく利用する人なら心配になるでしょう。心配になって記載された電話番号に電話しようものなら散々厳しいことを言われ、架空の返済請求を迫られることになるのです。言葉のプロにかかると白いものも黒と言わせてしまうものです。自分は悪いことはしていなくても悪人とされてしまう。なぜそんなことになってしまうのでしょうか?…確信がないからです。確信を持っていないと、人は騙されるのです。聖書の教えにおいても、霊的なことについても、確信がない人は簡単に騙されてしまうのです。

 パウロはこのコロサイ書で「だまされてはいけない」ことを幾度も教えています。
2:4 私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。
2:8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。


 騙されないためには確信を持つことが必要です。それにはしっかりとした土台に立つことです。
1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。
 しっかりした土台に立つためには、どうすればよいのでしょう?――まず聖書をよく読み学ぶのです。キリストの十字架がどれほどすばらしい神のご計画であったかを理解してください。あなたがこのキリストの贖いによって完全に救われていることを確信してください。さらに真理を探究し続け、正しい教理を身に着け、敬虔な信仰生活を送ることによって、揺るがぬ信仰を持つことが出来るのです。

 偽りの教えに騙されない信仰を持つことは重要なことです。その上で、パウロはキリストを信じた人たちに、天国人として次のように歩みなさいと薦めています。
3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。