本文へスキップ

心に響く聖書の言葉


衣食があれば満足! 第1テモテ6章4-11節




 本日はお金のことに関する聖書の教えです。

 ローマ時代では1世紀においてすでに貨幣が流通していました。両替商、つまり銀行も盛んでした。(ユダヤ:シェケル、ギリシャ:ドラクマ、ミナ、ローマ:デナリ)
 日本で貨幣制度が始まったのは7世紀であり、朝廷が唐の貨幣をまねた和同開珎(ワドウカイチン)の普及に努めました。しかし不人気でしばらくすると流通は止まり、中国から入って来ていた貨幣(渡来銭)が使われ続けました。16世紀になり、やっと江戸幕府により正式に貨幣統合され、日本の貨幣が流通するようになりました。(寛永通宝や小判)

6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
6:7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
6:8 衣食があれば、それで満足すべきです。
6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。


1.金銭を愛することが悪の根

 「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」――これをクリスチャンでない人が聞かれると驚かれるでしょう。資本主義社会ではお金がなければ会社を設立したり、運営することができません。パン一個買うにもお金が必要です。「キリスト教では霞を食べて生きろと教えているのか!」と腹を立てる人もおられるでしょう。

 しかし誤解しないでください。神の御言葉である聖書は、「お金は必要でない」と教えているのではありません。お金を愛することが悪の根だと教えているのです。つまりあなたの心がどこにあるのかと言うことです。「金の亡者になるな」と言えば誰でも納得されるでしょう。

 9節の「金持ちになりたがる人」の本来の意味は「お金に心を占領されている人」と言う意味です。使徒パウロはそれが「悪の根」だと教えます。根がしっかりした植物は上にも下にもどんどん伸びていきます。上の枝を切っても根があるとまた伸びてきます。同様に、心がお金に占領されている人は、その根によって悪い思いと行いが伸びていき、増々悪の道に走る人となってしまうのです。



2.本当の金持ちになれ!

 パウロは6−8節で、本当の金持ちになる秘訣を教えています。それは「満ち足りる心を伴う敬虔」です。

 ところで、「お金持ち」とは幾らくらい持っている人のことを言うでしょうか?…一般的にお金持ちのことを「億万長者」と呼びますから、1億円持っていれば「お金持ち」と言えるでしょう。でも最近は「そんなのはお金持ちに入らない」と言う人もいるでしょう。私は財布のなかに1万円札が入っていれば「今日は金持ちだ」と感じます。つまり、「お金持ち」という基準はその人の心次第なのです。

 大切なことは「持っているもので満足する敬虔な心」だとパウロは教えるのです。「衣食があれば、それで満足すべきです」と教えています。衣食住ではありません。家はなくても何とか生きて行けるからです。

 使徒パウロは福音伝道に生涯をささげたので、自分の家にはほとんど帰れませんでした。イエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と御自身のことを語られました。

 私たちが持っているもので満足できないのは、隣りの人と比べるからです。隣りの人が新車を買ったら自分も新車がほしくなります。隣りの人が旅行へ出かけたら自分も旅行へ行きたくなる。ご主人に相談すると「そんな暇はない!」と言われ、「自分は不幸だ、旅行にも行けない」と嘆くのです。

 人は持っているもので満足できないと、その欲望が実を結び、犯罪を犯してしまいます。モーセの十戒では次のように戒められています。

出エジプト20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」



3.求めなさい

 それではクリスチャンは何も欲しがってはいけないのでしょうか?――そうではありません。本当に必要なものなら与えられるように祈りなさい、とイエス様は教えられています。

マタイ7:10-11「子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」


 パウロもローマ人への手紙で次のように書いています

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。


 神様は罪人である私たちのために、大切なひとり子をさえ惜しまずに世に遣わし、十字架の死によって贖いとしてくださいました。それほど恵み深い神様なのですから、あなたに必要なものを与えられないはずがないのです。

マタイ 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。


 あなたが喜びに満たされるために、全能の神様があなたに必要なものを与えると約束しておられるのです。

 では私たちに必要なものとは何でしょうか?――パウロは着る服と日々の糧だと言っています。本当に必要なものはわずかなのです。

 それでも尚、「私は不幸だ、私には何もない」と嘆く人がいます。その人は次のことを知っておくべきです。――パウロが「持っているもので満足しなさい」と教えた人のなかには奴隷たちがいました。

6:1 くびきの下にある奴隷は、自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。それは神の御名と教えとがそしられないためです。
6:2 信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。

 奴隷の持ち物はほとんど何もありません。服くらいであとは家具も食料も家畜もすべて主人のものです。パウロはその奴隷たちに「しっかり働き、持っているもので満足しなさい」と命じたのです。

 現在、日本に住む私たちには自由があるだけでも素晴らしいことです。断舎離しなければならないほど持ち物はいっぱいです。ーー満足すべきです。しかしたとえ奴隷だとしても、キリストにあって罪の奴隷から解放された自由人であることを喜ぶことが出来ます。神様の子どもとして愛され、永遠の祝福を約束されていることを感謝することが出来ます。

 衣食があれば、それで満足すべきです。今日から金銭を愛する生活をやめましょう。あなたに永遠の富をあふれるばかりに与えてくださる全能の神を信じ、満ち足りた生活を始めましょう。