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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書6章1-15節 「第四のしるし・五千人の給食」

一、群衆に追い求められるイエス

6:1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。
6:2 大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
6:4 さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

 イエス・キリストの第四番目のしるしは、驚くべき奇跡であり、多くの人々の記憶に残ったしるしでしたので、四つの福音書すべてに記録されています。「五千人の給食」と呼ばれるしるしです。場所はベツサイダでした。マタイによる福音書では、バプテスマのヨハネがヘロデ王によって殺されたことを聞いて、イエス様が寂しいところ(ベツサイダ)へ行かれたと記しています。神から遣わされた偉大な預言者の死の報告に、イエス・キリストは心を痛められ、静かな場所で父なる神様に祈ろうとされたのです。
 またマルコによる福音書では、伝道活動をしてきた12弟子たちに休息を与えるために、と記されています。その両方の目的をもって弟子たちと共に舟に乗り、ガリラヤ湖を渡ってベツサイダの静かな場所へ行かれました。
 【地図参照】 ガリラヤ湖は、以前はゲネサレ湖と呼ばれ、一世紀後半よりテベリヤ湖と呼ばれるようになりました。

 しかし、そこにも多くの群衆が追いかけてきました。メシアを待ち望む人たち、病気で苦しむ人たち、そして野次馬たちが、キリストの話を聞こう、キリストを一目見ようとイエス様と弟子たちの後を追って岸伝いに先回りしたのです。その数は男性だけで五千人。女性子供を含めると一万人以上だったでしょう。静かな所で祈りたいというイエス様のご計画は完全に邪魔されてしまったのです。
 もしも私がイエス様の立場でしたら、自分の計画通りに進まないことで苛立ってしまうでしょう。特に気が沈んでいるときには、自分のことで精いっぱいなのに、人々を接待するのは難しいことです。しかし他の福音書では、イエス様は彼らを哀れみ、病人たちを癒し、神のことばを語られたと記されています。そして夕方までそれは続けられたのです。また5節を読むと、食事のもてなしまでしようとされます・・・神の御子でありながら、仕える者となられたイエス様の姿をここに見ることができます。計画を立てることは必要ですが、自分が立てた計画よりも神様が立てられた計画を優先する事が大切だと教えられます。

二、弟子たちを試されるイエス

6:5 イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
 ピリポの驚きと、あぜんとした顔が思い浮かびます。
6:7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
 ピリポはすぐに計算をしました。すると200デナリ(約200万円・・・1人分200円×10000人)という金額がはじき出されました。また諸事情を考えると、到底無理なことだと言うしかありませんでした。
 ●お金の問題・・・だれもそんな大金を所持していない
 ●場所の問題・・人里から遠いため、一万人分の食事を調達することは不可能。
 ●時間の問題・・・すぐに買ってこなければならない。
 ●奉仕者の問題・・そんなに大変な仕事を誰ができるのか。

 状況を考えるなら、誰もが絶対無理、不可能だと投げ出してしまいます。それが現実であり、どうにもならないことだと。しかし、イエス様はピリポを試されたと書いてあります。ピリポに対する中間試験のようです。何をテストされたのでしょうか?それは、ピリポの信仰を試されたのです。ピリポと共におられる方は、神の子キリストであり、信頼に値するおかたです。ピリポはすでにイエス様が行なわれた数々のしるし、奇跡を見てきました。そしてピリポ自身も12弟子の一人として働き、悪霊を追い出し、人々の病気を癒してきたのです。そのピリポが自分に解決できない問題にぶち当たったときに、何を信じ、誰に信頼し、何を求めるのかを試されたのです。ピリポはあっさり、「できません」と答えました。ピリポの答えは不合格でした。彼はお金のことで無理と判断してしまったのです。信仰が働かなかったのです。

 次はアンデレです。アンデレについてはすでに1章で学んだのですが、彼は人々をイエス様に紹介する働きをした弟子です。ここでも一人の少年をイエス様のもとへ連れて来ました。
6:8 弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
6:9 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

 原語のギリシャ語では訳し方により、もう少し期待を込めた言い方に訳せるそうです。「どうにかならないでしょうか?」・・・恵みの点数を加えたとしても、アンデレも不合格でした。

 ※私は聖書神学校で教師をしておりましたが、学期ごとの試験は授業の重要な部分だと考えます。生徒は通常の授業では常に受け身です。言われた通りテキストを開き、書かれた通りノートをとります。しかし試験のためには自分でまとめ、暗記し、理解しようとするからです。また、テストを採点していて分かることは、要領のいい人と悪い人、暗記力のいい人と悪い人では点数に差が生じるということです。でもそれは神様が求められている信仰とは別の問題ですので、テストの点数で生徒を判断しようとは思いません。たとえ零点でも心が主に向いているなら素晴らしい信仰者なのです。また、試験の後に間違えたところを訂正することも重要です。失敗してもそこから学べばいいのです。それは信仰の成長と同じです。信仰の失敗から私たちは何度も立ち直ることができるのです。ピリポ、アンデレはイエス様のテストに失敗しました。けれどイエス様は彼らを少しも叱責されておられません。彼らが失敗から学ぶことを願っておられるからです。

三、群衆を満たされるイエス

6:10 イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
6:12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
6:13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
6:14 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。
6:15 そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。
 イエス様は群衆をその場に座らせ、パンを取り、感謝をささげて人々に分け与えられました。不思議なことにパンと魚は次々に増えていきました。すべての人が食べて満腹して余るほどでした。その光景はどんなであったでしょう。人々は偉大な神の御わざに驚嘆し、興奮したに違いありません。熱狂のあまり、イエス様を王にするため無理やり連れて行こうとしたほどであったことがうなづけます。

 ※五千人の給食の記事を疑いの目をもって読まれる方もおられるでしょう。しかし、考えてみるなら、この出来事には一万人近い証人がいたのです。彼らはイエス様の奇蹟を見て、体験し、満腹したのです。福音書が書かれた時には、彼らの中の多くが生存していました。もし、この記事がでたらめなら、聖書として受け入れられなかったはずですから、この出来事の信ぴょう性は揺るがないのです。

四、このしるし(奇蹟)が示すこと

@イエス様が神から遣わされた方であることの証明
 五千人の給食のしるしは、旧約聖書の預言者たちが行ったしるしと似ています。モーセはお腹を空かしたイスラエルの民のために天からのマナを与えました。そして彼らが渇いた時には岩から水を出させました。また、炎の預言者エリヤは貧しいやもめのために奇蹟を起こしました。かめの粉は尽きず、つぼの油はなくなりませんでした。エリシャの奇跡も同じでした。イエス様が行なわれた奇蹟は、彼らと同じ、神の御わざでした。それはイエス様が神から遣わされた方であることの証明です。

A神様は私たちに必要なものを備えてくださるかた
 ここでイエス様は人々に神のことばを語り、霊的な必要を満たされただけでなく、人々の病気を癒されました。そしてお腹をすかせた人たちの胃袋を満たされました。神様は私たちが必要なものをご存知で、そして神様は必要な物を備えられるお方です。
 何より、天の神様は救い主キリストを私たちに備えてくださいました。そして私たち人間にとって最も必要な罪の赦しと永遠のいのちを約束されています。それを受け取る方法は私たちの行いによるのではありません。知識によってではありません。もちろん成績など関係ありません。主は心を見られるからです。私たちが自分の罪のけがれを知り、その赦しを神様に求めるなら神様は私たちの罪をゆるし、いのちを与えてくださいます。そのために御子イエス・キリストが十字架に架かられたからです。ですから、私たちに必要なのは、イエス・キリストです。次のイエス様のことばは真実です。
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。