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心に響く聖書の言葉


教会に与えられている祝福  コロサイ1章13‐29節

1.教会への祝福
 イエス・キリストの祝福を受ける人たちの集まりを「教会(エクレシア)」と呼びます。教会は神様の祝福の受け皿となっていると言ってもよいでしょう。旧約時代においてはイスラエルが祝福の受け皿でしたが、現在は教会に祝福が注がれています。それはイエス・キリストが教会の頭であるからです。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。

@サタンの国から神の国へ移してくださいました。
1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

 すべての人はサタンの支配下にあり、罪の奴隷でした。しかし、御子イエス・キリストを救い主と信じるとき、キリストのご支配の中に移され、罪の赦しと自由を与えられます。(日本語訳は「ご支配」という訳ですが、英語訳は「Kingdom」と訳されています。)それはサタンの国の奴隷から解放されて、神の御子の王国の国民になったと言うことです。
 22節では「赦し」の代わりに、「和解」という語が用いられています。
1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。
 「和解」とは単なる仲直りではなく、罪を赦され、受け入れられることです。キリスト者は神様に罪を赦され、子として受け入れられているのです。

A傷のない者として神様の前に立たせていただく
1:22後半 それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。
 キリスト者は死んでもキリストと同じようによみがえることが約束されています。そして神様の御前に立ちます。それはさばきのためではなく、報いのためです。キリストの十字架によって信仰者の罪はすでにさばかれ、赦されているからです。キリストにある者は永遠に神様と共に住み、その祝福の中を歩むことが約束されています。

 パウロはこの福音を伝えるために労苦しながら奮闘していると証ししています。
1:28 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
1:29 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています

 福音にはその価値があります。福音を信じ救われた人々が集う教会は祝福されるからです。教会に集う時に、信仰者はキリストの恵みにあずかり、神様の臨在を感じ、神様の栄光をほめたたえる者となるのです。

2.教会の問題
 しかし、教会の歴史は祝福の連続ではありませんでした。
1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。
@間違った教え
 偽教師たちが紛れ込んできて、聖書の真理から外れた教えをするようになりました。
A.ユダヤ主義:初代教会時代にはユダヤ主義という間違った教えが広まりました。キリストを信じても、旧約聖書の律法を守らなければ救われないと教えました。当時のユダヤ教の習慣に慣れ親しんだ人たちにとってその慣習から離れることは難しかったせいでしょう。使徒パウロはこのユダヤ主義が間違いであるときっぱり宣言しています。
B.異端:次に起こったのは異端です。「神様から新しい啓示が与えられた」という主張から異端は始まりました。一例としてモルモン教が挙げられます。モルモン教の始まりは次の通りです。
 ジョセフ・スミス・ジュニアが、当時の教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、どの教会へ行ったらよいのかを神に祈り求めました。彼が14歳の時(1820年)、父なる神とイエス・キリストが現れ、言葉を交わしたと証言しています。スミスによれば、「すべての教会はことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない。イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにあなたは神から召された!」と告げられたとのこと。そして数年後にモロナイという御使いが現れ、モロナイの啓示によって埋められていた金板を見つけました。御使いから「ここにイエス・キリストの完全な福音が書いてある。福音を回復しなさい!」と命じられ、それを英語に翻訳して書いたのが経典となっているモルモン書です。
 異端の始まりはジョセフ・スミス・ジュニアと同じように、「神様が私に語られた」という主張からです。ですから、
キリスト者は異端に騙されないために、聖書の御言葉だけを真理として受け入れる必要があります。もし、説教者が講段に立って「昨晩、私が寝ているときにイエス様が夢に現れてくださって、来年、新会堂を立てなさいと言われました。驚きましたが皆さん、神様の啓示ですから来年新会堂を建てましょう。ぜひ献金をささげてください」と言っても信じないでください。神様は今の時代、そのような啓示を与えることはありません。神様は聖書の御言葉によって信仰者を導かれるからです。聖書の中に御子キリストが語られた教えとその解釈が記されており、信仰者にとって必要な教えがすべて含まれています。聖書は完全であり、なにも付け加える必要がありません。
ヘブル1:1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。


A倫理的な問題
 異端の問題に加え、教会のもう一つの問題は、倫理的なことです。
A.コリント教会の問題
Tコリント11:18 まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。
11:19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
11:20 しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。
11:21 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。
11:22 飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。

 初代教会時代には多くの人々が救われて教会は勢力を増していきました。神様の祝福でしたが、同時に問題も増えました。コリントの教会において、主の晩餐は食事会のように持たれていましたが、先に集った人たちが我先にと用意されたパンを食べてしまい、また葡萄酒をありったけ飲んでしまって酔っぱらう人も出る始末でした。それで文句や不満があふれ、教会が分裂しだしました。使徒パウロは「教会を軽んじているのか」と言ってコリント教会の人たちを戒めています。
B.日本における教会の問題
 日本でもかつて、教会が社交場のようになってしまい、教会の純粋性を求める人たちから不満があふれました。また、形式化、典礼化しすぎた教会礼拝の持ち方にも疑問が起こりました。礼拝の妨げになると言って子供たちを締め出し、礼拝時には咳払いするのも躊躇するほど厳かな礼拝式が尊ばれました。教会は伝道の一環として多くの大学や病院を設立しました。しかし次第に職員にはクリスチャンがいなくなり、福音が語られない施設となってしまいました。

 教会がキリストにある純粋さを失ったら、それは祝福を失うことです。イエス様は次のように教えられました。
マタイ 5:13 「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」

 教会がキリストにある純粋さを保ち続けるなら、地の塩、世の光としての役目を果たし続けることができるのです。

C.諸問題
 多くの教会が礼拝にゴスペル賛美を取り入れるようになりました。ゴスペルコンサートを開催する教会もあります。それで私たちは賛美について正しい理解をしておく必要があります。賛美集会が単にコンサートになってしまってはいけません。音楽が好きだから、楽しいから賛美するのではなく、「主の御名をほめたたえるために賛美をする」ことに意義があります。「ゴスペルが大好きだから」ではなく、「イエス様が大好きだから」賛美するのです。ゴスペル教室と銘打って、クリスチャンでない人も集め、会費を取ってゴスペルを指導する教会があります。あるいは、クリスチャンでない音楽家を招いて賛美集会を開く教会もあります。イエス様が聞かれたら悲しまれるでしょう。クリスチャンでない人に賛美をしてくださいと教会が頼むことは、大変な間違いです。もしも礼拝に集われている求道者の方に、牧師が「集会の祝福のためにお祈りをお願いします」と頼むなら、教会員は躓かれるはずです。求道者に「祈ってください」と言う事と「賛美してください」と言う事は同じことだと思います。
 現在、日本においても結婚式はチャペルウェディングが主流になっています。そのため多くの結婚式場が牧師や神父にアルバイトを頼み、結婚式の司式をお願いしています。中には偽牧師も多いそうです。伝道のためと割り切って司式をされる牧師もおられますが私はしようと思いません。クリスチャンでない人に、神様の御前において結婚の誓いをさせることなど到底できないと思うからです。もし「誓います」と宣言させたとしても、それは信じていない神に対する誓いですから、偽りの誓いです。偽りの結婚の誓いをさせることになってしまいます。ですから私は恐ろしくてクリスチャンでない方々の結婚式の司式をお断りしています。

1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。
 神様はイエス・キリストによって教会を祝福してくださいます。その教会の一員である私たちを祝福してくださっています。
@聖書を唯一の神のみことばであると信じ
Aキリスト者としての純粋さを保って
神様が与えておられる祝福の中を歩み続けてください。クリスチャンとしての輝きと塩気を保ち続けてください。教会はキリストという堅固な土台の上に堅く立たなければなりません。