1980年代半ばにカラオケボックスが誕生しました。
歌を歌うために多くの人が一所に集まるようになりました。歌は不思議な泉のように私たちの心を映し出し、癒す力があります。私が昔よく聞いたレコードは、ジョン・デンバーでした。
♪"Music makes pictures and often tells stories
All of it magic and all of it true"♪
彼の歌を聞きながら、本当に歌はいいな〜と思いました。しかし、クリスチャンになってもっと素晴らしい歌を見つけることが出来ました。教会学校に集っていた子どもたちが、一心になって歌っていました。
♪"主、我を愛す。主は強ければ、我弱くとも、恐れはあらじ"♪
(原曲は英語で "Jesus loves me,this I know. For The Bible tells me so!)
という神様への賛美です。宣教師の先生にお願いされてギターを教会へ持って行き、一緒に賛美するようになりました。聖書のお話もするようになりました。それからというもの子供讃美歌、聖歌のカセットテープを借りて、何度も聞いて覚えたものでした。賛美は私にとって掛け替えのないものとなりました。
賛美の曲の中でも「ゴスペル」というジャンルの曲があります。もともとはアメリカの黒人クリスチャンたちが歌い始めた賛美を「ブラックゴスペル」と呼び、それが現在のゴスペルの元となっています。
しかしそこには暗い過去があります。17世紀から19世紀にかけて、アフリカに住んでいた黒人たちは捕らえられアメリカ大陸に船で輸送され、奴隷として売買されました。売られたアフリカ人は人権及び彼らの言語・宗教までいっさい剥奪されました。その悲惨な状況下で、彼らのうちのある人々は、イエス・キリストの福音を聞き、キリストにある救いを経験し、信仰を持つようになりました。黒人の教会が誕生し、彼ら独自の賛美をささげるようになりました。そして現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれました。
アメリカにおける奴隷売買、人種差別という愚かな歴史が背景にあってゴスペルが誕生したのです。人間は大きな間違いを犯し、愚かな行為を続けてきました。その犠牲となって苦しむ人たちがいました。けれども神様は彼らを見捨てませんでした。イエス・キリストの救いはどんなに悲惨な生活を強いられている人にも救いと恵みを与え、喜びを与えて、その人たちの口に賛美を備えられました。
旧約聖書の詩篇40篇に次のように記されています。
40:1 私は切に【主】を待ち望んだ。主は私に耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくださった。
40:2 滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。
40:3 主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ【主】に信頼するだろう。
これはイスラエルの王であったダビデの言葉です。彼は王様となりましたが、決して安易な人生ではありませんでした。前王であったサウルにいのちを狙われ、苦しめられました。即位した後も、自分の息子の一人アブシャロムに王位を狙われ、逃避生活を余儀なくされました。その様な苦難に加え、彼は自分の内側の罪に悩み苦しみました。ダビデは自分の罪を神様に告白しています。
詩篇40:12 数えきれないわざわいが私を取り囲んでいるのです。私の咎が襲いかかり私は何も見ることができません。それは私の髪の毛よりも多く私の心も私を見捨てました。
この罪咎を悔いた心と神様への揺るがない信頼により、ダビデは神様の大いなる祝福を受け、偉大な王となり、賛美する心を与えられたのです。
歌は心を映す泉のようだと書きましたが、歌にはもう一つの大切な働きがあります。私たちの心をその歌っている歌詞のほうへ導く働きです。♪恨みます〜、とか ♪つらい人生は嫌だ! ♪お別れしましょう…と歌っていると、どうしても暗い気持ちになります。
しかし、賛美にはむなしい歌詞がありません。嘆きの言葉もありません。賛美の歌詞には神様への感謝があふれています。自分の罪を嘆く歌詞があっても最後には♪引き上げられる、♪救いがある、♪希望がある…と歌います。賛美をすることによって私たちの心は強められます。賛美は生きる力を与え、私たちの目を輝かせます。ですから聖書は「賛美しなさい」と教えるのです。
詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
エペソ5章19節
人間を創造された神様は、神様を愛する人々へ多くの祝福を用意してくださいました。その一つが賛美なのです。賛美に満ちた人生を送れたらどんなに素晴らしいことでしょう!