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心に響く聖書の言葉


逆転勝利の人生 創世記37章〜45章

 ヨセフはヤコブの11番目の息子として生まれました。創世記37章からはそのほとんどがヨセフの物語となっており、アブラハムの生涯の記事よりも多く記されています。ヨセフの生涯を一言で言えば、それは波乱万丈の生涯でした。滅びの穴に落とされ、奴隷となり、投獄されました。そこから彼は引き上げられ、エジプトのパロ王に次ぐ権威者(首相)にまでなりました。神様がヨセフに与えられた救いと祝福を通して、私たちは多くの霊的教訓を学ぶことが出来ます。

1.どん底の人生

 皆さんは自分の人生がどん底だと感じたときがあるでしょうか?誰にでもそんな経験があるはずです。がっかりしたり、失望したり、失敗、逆境と思うときがあるでしょう。こんなことなら生まれてこなければよかったと、真剣に不幸を嘆いたことがあったかも知れません。ヤコブの息子ヨセフは、彼の生涯において三度のどん底という経験を味わいました。
 
37章 ヨセフは父ヤコブの最愛の妻ラケルが産んだ子であったため、父ヤコブから特別扱いを受けて育ちました。さらに神様がヨセフに将来起こることを啓示され、兄たちがヨセフを拝むようになるという夢を見て、それを皆に話しました。当然ながら、兄たちの怒りを買い、穴に落とされ殺されそうになり、最終的には奴隷としてエジプトへ売られてしまいました。ヨセフが17歳の時でした。彼は自分が持っていたすべてを失うという経験をしました。また、愛する兄弟たちから捨てられたという経験ほどつらいものはありません。さらに彼は奴隷という最低の身分となったのです。
 
39章 ヨセフはエジプトで奴隷として仕えていた主人に信頼され、優遇されるようになりました。当時、ヨセフは若い好青年でしたから、ご主人に気に入られ管理の仕事を任せられるようになりました。しかし、ヨセフはご主人の奥さんにも気に入られ、彼女はヨセフに関係を言い寄りました。ヨセフはその誘惑をきっぱり断ったために逆恨みされ、冤罪で牢獄へ投げ込まれました。人に陥れられるという経験をしたのです。私達は自分が犯した罪のためにさばかれて刑罰を受けるなら甘んじて受けることが出来るでしょう。しかし、全く身に覚えのない罪を着せられ、さばかれることには耐えられません。
 
40章 牢獄にいる間に、王に仕える献酌官長の夢の解き明かしをしました。そのお礼にヨセフは牢獄から出してもらえる約束でした。しかし彼は二年間、忘れられてしまいました。ヨセフはやっとこれで解放されると期待していたのに、落胆させられました。暗闇の中でじっと耐える生活。それは神様に見捨てられたような経験でもあったでしょう。----ヨセフは30歳になるまでの約13年間、まさにどん底と言える経験をしたのです。

2.主が共におられる人生

 しかし、そんな状況にあっても聖書はヨセフに与えられた神様の恵みを記しています。
39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。


 さらに41章で、献酌官長がヨセフとの約束を思い出し、ヨセフは牢獄から解放されパロによって召し抱えられました。穴の中に捨てられても、奴隷の身分であっても、牢獄生活を送っていても、神様はヨセフを決して見捨てられてはいませんでした。----神様はその愛する信仰者たちに同じようにしてくださいます。人は神様から見捨てられたと思っても、神様は決して見捨ててはおられません。神様はその愛する人々に試練と共に十分な恵みを備えてくださいます。それは私たちが成長し、神様の働きのために用いられるためです。次の有名な詩があります。

『砂の上の足跡』(Foot Print)

ある夜 私は夢をみた
イエスさまと一緒に 砂浜を歩いていた
私の人生のひとこまひとこまが 空いっぱいに映し出された
どの場面にも 二人の足跡が砂の上についていた
ひとつは私のもので もうひとつはイエスさまのものだった
私の人生の最後のシーンが映し出されたとき
私は砂の上の足跡をふりかえってみた
なぜか ところどころ 一人分の足跡しかないことに気づいた
しかもそれは私の人生のどん底で いちばん悲しい時だった
私はどういうことか分からず イエスさまにたずねた
『イエスさま 私があなたに従うと決心してから
いつも一緒に歩いてくださると 約束してくださったではありませんか
それなのに私の人生で一番辛い時 一人分の足跡しかないのです
なぜ私があなたを最も必要とした時 私をみすてられたのですか』
イエスさまはこう言われた
『私の大切な子よ 私があなたから離れたことは一度もなかった
あなたが試みにあって苦しんでいた時  一人分の足跡しかないのは
そのとき 私があなたを背負っていたからだ』

 この詩は、神様の恵みが主を愛する者と共に常にあることを教えているのです。

 聖書はヨセフの心配や怒り、恨みの言葉などを一切記録していません。試練の時に彼がどれほど苦しんだのか、どんな言葉で神様に祈ったのか何も記されていません。分かることは、彼がどのような状況に置かれても腐らず、しっかり与えられた義務を果たした、ということです。奴隷の時には奴隷としてしっかり仕えました。誘惑に対してしっかりと対処し、悪を遠ざけました。冤罪で牢獄に居ても人生を投げ捨てず、待たされても希望を持ち続けました。神様は彼を祝福され、引き上げ、高い地位を与えられました。

3.神様が導かれる人生

 ヨセフがエジプトの首相になって、彼のすることすべてが祝福されました。神様はエジプトの王パロが見た夢の解き明かしをヨセフに与え、エジプト全土に7年の大豊作があること、そしてその後に7年の大凶作に襲われることを啓示されました。(41章46-57節)それでヨセフは豊作の7年間に食料を出来るだけ多く蓄え、のちの大凶作時に備えました。その結果、飢饉のとき、エジプトは蔵を開き、蓄えた食料を売り、莫大な財を得ることが出来ました。パレスチナに住んでいたヨセフの兄弟たちもヨセフの元に食料を買いに来ました。兄たちは自分たちが奴隷として売った弟のヨセフが、まさかエジプトの首相になっているなどとは夢にも思いませんでした。

 兄弟たちがヨセフの元に食料を求めてやってきたとき、ヨセフはすぐには自分の正体を明かしませんでした。それは兄たちの心を探るためでした。しかし、彼らがヨセフを陥れたことを後悔しており、父ヤコブを愛していることを知って、ヨセフは自分の感情を押さえきれなくなり、すべてを打ち明けました。

45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
45:9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。


 ヨセフは兄たちによって奴隷として売られたことを恨まず、それは神様の救いのご計画であったと告げました。発想の逆転という単純なことではなく、全知全能の神への信仰による悟りであり、自分が受けた苦難は災いではなく、むしろ主の恵みであったと確信したのです。

 同時にヨセフは心から兄たちのひどい仕打ちを赦し、兄たちを愛しました。このヨセフに私たちは十字架に架けられたイエス・キリストの姿を見るのです。主イエスは自分を迫害し、ののしり、いのちを奪う者のために祈られました。

「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」

 このイエス様の祈りは私たち一人一人に向けられています。神様の御心がわからないので私たちは神様に文句を言って罪を犯します。神様の存在が分からないから、多くの人は自分勝手に生きて、自分の欲求を満たすため愚かな罪を行います。自分が何をしているのか分からないのです。それでもイエス・キリストは身代わりの死を選ばれました。それはあなたの罪を赦すためです。あなたを永遠のさばきと滅びから救うためです。

 罪が赦される事はどれほど私たちを立ち上がらせることが出来るでしょう。十字架は呪いの場所でしたが、キリストによっていのちの場所と変えられました。十字架は赦しと救いの象徴となりました。ヨセフが兄たちの罪を赦したのは、のちに来られるキリストのひな型となっているのです。
 赦すことと赦されることはなんと尊いことでしょう。キリストによって罪赦された人は、今度はあなたが赦すことを実践していきましょう。イエス様のように、ヨセフのように、神様の救いのご計画があると信じて、人の罪を赦しましょう。

 神様はヨセフの生涯にどん底と思えるような試練を与えられました。同じようにあなたにも理由がわからない試練があるでしょう。しかし、神を愛する人々には常に神が共にいてくださり、神様の恵みが備えられます。必ず逆転勝利の人生が待っています。なぜならイエス様が常に共に歩んでくださっているからです。「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と約束してくださっているからです。今日、問題を抱えて苦しんでいるなら、一切を主にゆだねて神様の救いを待ち望みましょう。