マタイによる福音書10章1-32節 「十二使徒の宣教」

 前回、「収穫の主に収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」という御言葉を学びました。救いと導きを求めている人があふれているからです。10章に入り、イエス様は12使徒を任命し伝道に遣わされます。ガリラヤではじめられたイエス様の福音宣教が拡大されていきます。

1.十二使徒 1-4節

10:1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
 ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは漁師でした。マタイは取税人。シモンは熱心党員と紹介されています。ユダについては最初から「イエスを裏切った」として紹介されています。彼らの共通点よりも違いのほうが強調されています。取税人は、ローマの手先となって働いた職業です。熱心党員は国粋主義者です。支配国ローマを憎み、その支配からの解放を願っていたグループです。熱心党員にとって取税人は裏切り者でした。漁師たちは政治的な事柄と全く関わりのない人たちでした。そういう人たちがキリストの名のもとに集められ、使徒として任命されました。キリストの名のもとに集められるという事は素晴らしいことです。身分や過去はどうあれ、キリストにあって私たちは新しく生まれ変わった者であり、一つであり、兄弟姉妹となっていることを覚えたいと思います。

 イエス様は彼らに「使徒」と言う名を与えられます。使徒とは大使、アンバサダーと言う意味に近い言葉です。キリストから全権をゆだねられた大使として任命されたのです。彼らは大きな責任を押し付けられたわけではありません。「働き手を送ってください」という祈りの中で、彼らは働き人が必要だという思いを持ち、自分もその働きに加わりたいと思ったはずです。イエス様と行動を共にし、その御言葉を聞き、しるしを見て彼らはイエス様に対する絶大な信頼を寄せていったでしょう。それゆえイエス様からの任命を受けたときに彼らは誇りに思い、喜んで引き受けたことでしょう。イスカリオテ・ユダでさえ、初めは純粋な気持ちでイエス様に従ったに違いありません。

 イエス様は彼らを福音宣教に遣わされます。その準備として、どのように宣教したらよいのか、どのような心構えが必要なのか、という注意点を教えられます。言わば、伝道のための準備会です。その準備会は緊張感にあふれています。なぜなら、迫害に遭うことが前提で語られているからです。「迫害され、命の危険にさらされることを覚悟しなさい」と言う準備会です。おそらく弟子たちは真剣にこのイエス様の言葉に耳を傾けたでしょう。ですから今日の聖書箇所はイエス様の弟子となって伝道していこうとする人のための学びです。献身者のための学びです。伝道したいと願うすべてのクリスチャンにとって有益な学びです。

2.特別な宣教

10:5 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。
10:6 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
10:7 行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
10:9 胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。
10:10 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
10:11 どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
10:12 その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
10:13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
10:14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
10:15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。
 この宣教が特別な宣教であることが分かります。
@「異邦人の道に行ってはいけない、サマリヤ人の町に入ってはいけない」と命じられます。
A彼らには特別な力、権威が与えられました。病人をいやし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出す権威が与えられました。
B「お金は持っていくな、旅行用の服も、二枚目の下着や靴も持っていくな。」
・・・つまり、食事も服も靴も行く先々でもらいなさいという事です。それは当然だからと言われています。普通に考えるなら、当然ではありません。伝道した先々で私たちが「ご飯を食べさせてください、服をください」と言うなら、たかりか新手の詐欺だと思われます。ですから、この宣教は特別な宣教だと言えます。いわば期間限定の特別伝道です。そこには特別な目的があります。メシアであり、ユダヤ人の王として来られたイエス様が直接任命し、権威を与えて遣わされた伝道です。したがって宣教先はユダヤ人であり、異邦人は対象外でした。キリストはユダヤ人に約束されたメシアだからです。また、使徒たちはメシアの大使ですから行く先々でメシアと同じしるしを行うことが出来ました。ユダヤ人の王の大使ですから、人々からもてなしてもらうことは当然なのです。ですから私たちの現在の伝道とは違うのです。

 使徒たちが伝えたメッセージは「天の御国が近づいた」です。それは「待ちに待ったメシアが来られました。もうすぐ王となられ、王国がはじまります」と言うメッセージです。何度も言いますが、イエス様がユダヤ人に語られた福音は、「天の御国の福音」であり、「イスラエルに約束された王、メシアとしてわたしは来臨しました。王国時代がもうすぐ始まります。」という知らせです。

 しかし、その後の歴史を私たちは知っています。イスラエルはご自分の国に来られたキリストを受け入れず、十字架につけて殺してしまいました。それ故、イスラエルはさばかれ、エルサレムはAD70年にローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人たちは再び離散の民となりました。王国の到来は延期され、異邦人の時が訪れました。教会時代です。教会時代を「異邦人の時」とも言います。この時代には異邦人である私たちに福音が伝えられる時代だからです。教会時代に宣べ伝えられる福音は「イエス・キリストを信じる信仰によって罪赦されて永遠の命をいただく」という神様の約束です。また、「異邦人もイスラエルに与えられている祝福にあずかることが出来る」ということが奥義として約束されています。
エペソ 3:6 「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」
共同の相続とは何でしょうか?・・・イスラエルに約束されたものを異邦人クリスチャンも共に相続します。それはパレスチナの土地ではありません。それはメシア王国の祝福です。それは千年間続くと黙示録に記されていますから千年王国と呼ばれます。この相続に異邦人クリスチャンもあずかるのです。
 教会時代が終わるときに、イエス様は再び天から降りて来られ、千年王国の王として治められることが預言されています。聖書はこのことを繰り返し預言しています。聖書の預言は歴史の中ですべて成就してきました。一、二回しか預言されていないことでも成就してきましたから、数百箇所において預言されている王国預言が成就するのは火を見るより明らかです。預言通り、シオニズムの風が吹き、離散したユダヤ人たちがパレスチナの土地に帰ってきました。そして1948年5月14日 - イスラエル国として独立宣言をして再建しました。1900年近く離散していた民族が再び国を興すことは歴史にありません。イスラエル建国はイエス・キリストが再臨され、王国が始まる時が近いことを示しています。

3.宣教の心構え

10:16 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
10:17 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。
10:18 また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
10:19 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
10:20 というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
10:21 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
10:23 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
10:24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
10:25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。
10:26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
 イエス様は12使徒たちに宣教の心構えを話されました。(これは宣教を志すすべてのクリスチャンにとって必要な心構えです。)まず、イエス様は使徒たちに「狼の中に羊を送りだすようなものです」と語られました。恐ろしい状況だというのです。心構えの中心は「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」です。

蛇のようにさとく;この意味は、17節で「人々には用心しなさい」とあるように、気を付けて伝道しなさいという事です。迫害され、鞭打たれ、裁判にかけられても、失望してはいけません。あがき、反抗するなら状況を悪化させることになってしまいます。特に裁判では、賢く答えなければなりません。言葉のわなに引っかかってはいけません。自分の身を守ろうと思って余計なことを語るより、御霊に教えられることを話しなさいと教えられます。イエス様はここで「迫害を賢く切り抜けていきなさい」と教えているのです。※蛇はサタンを表すことがほとんどですが、ここではサタンの賢さだけを取り上げて象徴として語られています

 身近な事でもクリスチャンは騙されないようにしなければなりません。神様を信じるのはいいのですが、なんでも信じればいいのではありません。間違った教え、異端の教えを信じてはいけません。優しいのを逆手にとってだまそうとする人もいます。詐欺にだまされてはいけません。保証人になるなと聖書が書いているのは大切な教えです。賢く歩まなければ、主から与えられた恵みを台無しにしてしまうことになります。

鳩のようにすなお;イエス様の弟子となり、福音宣教することによって人々から憎まれます。家族から迫害される人もいます。その時に私たちは素直であるべきです。憎んだり、悪口を言ったりすべきではありません。もし、殺されそうになった時には、刃向かったり、神様の奇跡を信じて無抵抗をつらぬくのではなく、素直に逃げなさいと教えられています。また神様に対して素直であれという事は言うまでもありません。神様の福音を伝えることや神様の守りを信じることにおいて素直さが大切です。

10:27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
10:32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

 イエス様は宣教に携わる者に対してバラ色の人生を約束されませんでした。反対に迫害の嵐が吹き荒れることをあらかじめ示し、その中をどのように生き抜いていくかを教えられました。弟子たちはその後、主に教えられたとおり激しい迫害に遭いながら、宣教を続けました。イエス様は私たちに対していつも誠実なお方であることを知ります。だからこそイエス様の約束の言葉が真実であると信じるのです。
 今、日本は伝道の時です。激しい迫害を受けることなく伝道が出来ます。命の危険にさらされるようなことはほとんどありません。自由に福音を伝えることが出来ます。トラクトを配ることが出来ます。私たちの教会は宗教法人を取得していますから、国が礼拝、伝道を認めてくださっています。国のお墨付きをいただいて伝道が出来るのです。イエス様が再び帰ってこられる日が近いことを覚えて福音宣教のために祈り、できる事から始めていきましょう。