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心に響く聖書の言葉


主は預言通り、よみがえられた! ルカによる福音書24章13-35節



1.二人の弟子


 イエス・キリストが十字架に架かり、息を引き取られたのは金曜日の午後三時ごろでした。彼の遺体は日没になると過越の祭りと安息日が始まるため、急いで十字架から取り降ろされ、新しく作られた墓に葬られました。

 墓の前ではローマ軍の兵隊たちが番をし、遺体が盗まれないよう警備に当たりました。二日後の日曜日(ユダヤの数え方では三日目の日曜日の朝)、急いで遺体が葬られたため、十分でなかった遺体の処置のために女たちが墓を訪れました。「マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった」とルカは証言をはっきりさせるために彼女たちの名前を記しています。

 彼女たちが墓へ到着すると、番兵たちは一人もおらず、墓の入り口は開いていて墓の中の遺体もなくなっていました。するとさらに驚くことが起こりました。彼女たちの目の前にまばゆいばかりの御使いが現れました。御使いたちは言いました。

ルカ24:5-7「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」



 彼女たちはあわてて戻り、これらの事を弟子たちに知らせました。ペテロとヨハネは走って墓を見にやって来たのですが、女たちの言ったとおり、墓の中は空っぽでした。ただ、イエス様の遺体に巻かれていた亜麻布だけが残されていました。

 その日曜日に、二人の弟子がエルサレムから約11キロ離れたエマオという村の家に帰るところでした。
(おそらくこの二人はご夫婦であったと考えられています。一人の弟子の名前はクレオパで、ヨハネによる福音書では「クロパ」と記されている人と同一人物だと思われます。もう一人がクロパの妻だとするなら、彼女はイエス・キリストが十字架につけられた時に、そのそばにいたマリアでした。ヨハネ19:25)

 彼らは目の前にいるお方が復活されたイエス様と知らずに、彼らの家に泊まるよう招いています。道々イエス様は不信仰な彼らに聖書を教え、ご自分について書いてある事柄を説明されました。つまりそれは旧約聖書の預言の解き明かしです。

24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。


 私たちも、旧約聖書の中でイエス様について書いてあることを共に見ていきましょう。

二、預言者たちの預言

@預言者モーセ BC1500頃

 モーセに与えられた預言は、彼のような預言者が与えられるという預言でした。

申命記18:15 あなたの神、【主】は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない


 モーセは次の点で特別な人でした。
a.神の重要な御言葉を伝える預言者
b.イスラエルを奴隷から解放する指導者
c.父なる神と顔と顔を合わせることのできる人
d.柔和な人
e.しるし(奇跡)が与えられる
――これらの点でイエス・キリストは似ており、この預言の成就と言えます。

A預言者ミカ BC750頃

 預言者ミカは、救い主がベツレヘムの町で生まれ、ユダ部族から生まれると預言しました。イエス様のお生まれはその通りでした。

ミカ5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。


B涙の預言者エレミヤ BC600頃

 エレミヤは、ダビデの子孫からメシアは生まれ、ユダヤ人の王となることを預言しました。イエス様が十字架に架けられたときその頭上に「これはユダヤ人の王」と書かれた板が取りつけられたのは象徴的でした。

エレミヤ23:5 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。


C預言者エゼキエル BC600頃
 預言者エゼキエルは、救い主はイスラエルの滅びた羊を探し出して世話をすると預言しました。

エゼキエル34:11 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。

エゼキエル34:16 わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。


 イエス様はカナン人の女に、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。マタイ15:24と語られました。

D預言者ゼカリヤ BC750頃

 ゼカリヤは、救い主はロバの子に乗ってエルサレムに登場すると預言しました。イエス様がエルサレムへ入城されたときに成就しました。

ゼカリヤ9:9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。


E預言者ダニエル BC550頃

 ダニエルは、救い主は殺されてしまうことを預言しました。

ダニエル9:26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。


F預言者イザヤ BC750頃

 イザヤは、救い主は苦しめられることを預言しました。そして、その苦しみは私たちの罪のための身代わりであると預言しました。

イザヤ書53章3〜6節「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」


 イザヤは、救い主の苦しみの後に罪の赦しが与えられることを預言しました。

イザヤ53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。


Gダビデ王 BC1000頃

 ダビデ王は聖書の中で特別な存在です。彼の経験を通して語ったことばが、メシアの身の上に起こりました。ダビデの生涯はキリストの生涯とシンクロしていると言えるでしょう。

詩篇22:16 犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。
22:17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
22:18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。


 ダビデは次の告白によってメシアのよみがえりを見事に預言しています。

詩篇16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。


 復活されたイエス様はこれらの御言葉から弟子たちに解き明かされたのでしょう。特筆すべきはイエス様は御自身でも、受難と復活を預言されていました。

マタイ16:21 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

三、目が開かれる



 エマオ途上の二人の弟子たちに聖書の預言を解き明かされると、二人の霊の目が開かれていきました。

ルカ 24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」


 私たちもこの二人の弟子たちと同様、聖書の御言葉が分かると心が熱くなる経験をします。
・神様の御言葉は決して間違いがなく、すべて成就する事を確信するからです。
・神様が罪深い私のために救い主を遣わしてくださったことを心から感謝するからです。
・イエス・キリストの死と復活によって、罪の赦しと永遠のいのちが確かに与えられていることを知るからです。

 主イエス・キリストは預言通り、本当によみがえられました!イエス様の復活は、あなたに救いの確証と永遠の希望を与えます。私たちは死にますが、必ずよみがえり、栄光のからだを与えられ、主と共に住むようになります。何という素晴らしい希望を私たちは与えられているのでしょう!何という神様の恵みでしょう!