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心に響く聖書の言葉


神様は本当におられます ローマ人への手紙1章14-25節

 あなたは神様がおられることを信じていますか?
またクリスチャンのかたは、何の証拠があって神様がおられると信じているのでしょうか?

 「神の存在を証明してください」と質問されたなら、どう答えるでしょう?・・神様の存在を証明することは簡単なようで実はとても難しいことです。たとえば、生まれつき目の見えない人に、赤色や緑色を説明するとしたらどうでしょう?・・赤色は、「リンゴの色で・・熱い炎の色です!」と言っても目が見えない人には分かりません。リンゴも炎も見たことがないからです。同じように、私達は神様を見たことがない(見ることが出来ない)ので、神の存在証明はとても難しいのです。

 それでも、人類は神様の存在を証明しようとしてきました。様々な証明方法がありますが、一般的に知られている二つの証明と、聖書が教える二つの証明を取り上げたいと思います。

1.一般的証明



@宇宙論的証明
 すべての存在する物や運動には原因ときっかけがあります。宇宙はどんどん広がっていますが、必ず始まりがあり、広がり始めた原因があります。研究者たちはビッグバンという爆発によって宇宙は広がったと考えていますが、そのビッグバンにも起きる原因ときっかけがなければなりません。

 生命が誕生したのにも原因があります。生命は何もないところから誕生できません。生命が誕生するには原因ときっかけが必要です。そのようなすべての存在と運動の究極的な原因となれるのは、次元を超えておられる神以外にありません。ですから神が存在していると証明できるのです。

A目的論的証明
 二つ目は目的論的証明です。秩序正しい物には作った人が必ず存在していて、目的を持って作られているという証明です。たとえば携帯電話を見てください。小さい部品が複雑に組み合わされていろいろな機能が使えるように作られています。携帯電話が偶然に出来たとは誰も考えません。目的を持って作った人がいると考えます。

 人間は携帯電話よりはるかに複雑ですが、規則正しいメカニズムで生きています。誰かが目的を持って作らなければ、これほど精巧な人間が存在するはずがありません。宇宙天体の規則正しい動きもまた同じです。偶然ではありえません。宇宙や人間を目的を持って作ることができるのは神だけです。ですから神が存在していると証明できるのです。

2.聖書的証明



 聖書では神様の存在を次のように証明しています。

@被造物証明
 使徒パウロがローマ人への手紙の中で書いている神様の存在証明は、先ほどの一般的証明に似ています。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

 被造物とは、大地、海、人間、動物、植物など地上のすべてと、宇宙全体のことです。被造物をよく観察し、問題意識を持って調べるなら、神様の永遠の力と神性がはっきりと認められると教えているのです。

 犬や猫を見て「かわいい!」と思うだけでは不十分です。この犬や猫はなぜ生まれたのか?誰が命を与えているのか?と疑問を持つべきです。夕焼けに輝く空を見て「きれい!」と思うだけでは不十分です。それほど素晴らしい不思議な自然現象を創造されたおかたがおられることに気付くべきだというのです。

 事実、世界中の多くの人たちが神様の存在に気付いています。それで全世界のどこへ行っても宗教があり、何らかの形で人々は神様を拝んでいます。その多くは偶像を造って礼拝の対象としています。しかし、残念ながらそれらは自分勝手な礼拝だとパウロは教えています。

1:21-23 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

 日本の宗教は死んだ人々を神・仏と呼び、崇拝します。その一方で、多くの人が「信じる心が大切で、何を信じるかは問題ではない」と言います。「信じる対象は何でも良い。仏でもキリストでも良い。狐でも鰯の頭でも良い。信じる事が大切だ。」と。

 また、日本人が信じているのは、自分たちにとって都合のよい神様です。日本での大発明はインスタント食品ですが、神様もインスタントで作ってしまいます。紙を丸めて布で包み、ひもでぶら下げて、「てるてる坊主」の出来上がりです。そして作ったてるてる坊主に「明日、天気にしておくれ」と祈るのです。実は「てるてる坊主」の曲には三番まで歌詞がありますが、その歌詞はとても恐ろしいものです。

「てるてる坊主」
1 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ いつかの夢の 空のように はれたら 金(きん)の鈴あげよ
2 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ わたしのねがいを 聞いたなら あまいお酒も たんと飲ましょ
3 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ



 「明日、晴れにしてくれなかったら、首を切るぞ」と脅すのです。神様への祈りというより脅迫です。日本人のお粗末な神概念がここに現われていると思います。

 理解していただきたいのは、「信じる心」が大切なのではなく、「何を信じるのか」が大切だということです。人間が考え出した神を礼拝しても何の価値もありません。それどころか自分勝手な礼拝をしている人々には、「神の怒りが天から啓示されている」と使徒パウロは教えています。人間が造った神ではなく、人間を造られた神様を礼拝するべきです。

 ではどのようにして人間を造られた真の神様を知ることが出来るのでしょうか?――パウロはキリストの福音の中にはっきりと神様の存在が証明されていると教えています。

A福音証明
1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです


「福音のうちには神の義が啓示されていて」とあります。つまり、福音のうちに神様の存在証明があるという事です。福音には、神様の聖さ、神様の愛、そして神様の救いが示されています。
※福音とは、イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んで、葬られ、三日目によみがえられたという良き知らせです。

A.神様の聖さ
 福音には神様の聖さが示されています。神様に背を向け、不正を行ない、自分勝手に生きている人間を神様はさばかなければなりません。神様は正しいかたですから、罪を見逃すことが出来ないからです。罪人はさばかれて地獄へ行き、永遠に苦しみを受けることが定められています。

B.神様の愛

 しかし、福音には神様の愛も示されています。神様は愛する人間を滅びから救うために、大切なひとり子イエスを地上に遣わし、十字架に架けられました。私達が受けなければならない刑罰を、キリストが身代わりとなって受け、死なれたのです。それゆえキリストを救い主と信じる者の罪は赦されことが福音の中で約束されています。

C.神様の救い

 そして、福音には神様が備えられた救いが示されています。神様はキリストを墓の中から三日目によみがえらせました。キリストは何度も弟子たちの前に現れ、ご自分がよみがえったことを証しされました。

 キリストの復活は、
@神様がおられること
Aキリストが救い主であること
B福音の約束が間違いないこと
を証明したのです。私達が福音を信じる事によって罪赦されて永遠のいのちを持つことを証明するために、これ以上の証明方法はありません。
ですから福音には、神様の存在が明確に証明されているのです。

 神様が存在する証拠がないのではありません。信じようとする気持ちがないから神様がわからないのです。疑う人は何でも疑うことが出来ます。自分の親が本当の親か疑う人がいます。親が「私は本当にお前の親だ」と言っても信じません。結局DNA鑑定をすることになります。しかし疑う人はDNA鑑定の結果でさえ、疑うのです。疑う人は何を聞いても、何を見ても、何を学んでも疑い、いつまでたっても真実を知ることが出来ません。そのため、疑う人は人の愛も信じることが出来ません。神様の愛を信じることが出来ません。それは人間としてなんとみじめな生き方でしょう。
 イエス様は、疑い深い弟子トマスに次のように言われました。
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」ヨハネ20:27


どうか福音のことばを聞いて、信じる者になってください。