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心に響く聖書の言葉


父の日礼拝説教 Tペテロ章3章1-12節「父親として、夫として」



 父の日は、母の日と同様、教会で始まった記念日です。天に召された父親を偲び、与えられた深い愛に感謝し、教会で記念式を持ったのが始まりです。父の日には、ぜひ父親に感謝の気持ちを表してください。もしあなたの父親がすでに天に召されているなら、父の言葉を思い起こし、偲び、神様に感謝する時としてください。

1.父親として

@教育
 聖書の教えの中で、父親に向けられたものは旧約聖書に多く見られます。そこでは「威厳と愛をもって厳しく子どもを育てなさい」と教えられています。

箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

箴言 23:13 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。


 しかし新約聖書では、「子どもたちを怒らせてはいけません」とトーンダウンしています。

エペソ 6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

コロサイ 3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。


 この矛盾は、旧約聖書の教えを受け取ったユダヤ人の間で厳しい父親像が確立し、あまりにも厳しいしつけ教育が行われたため、新約聖書ではその行き過ぎを戒め、バランスを取っていると言えます。つまり、厳しいだけが父親ではなく、甘やかすだけが父親ではないという事です。

 父親が子供を育てるためには「主の教育と訓戒によって」とあるように、天の父なる神様の御言葉をよく学び、父親がまず神様の御心に従う態度を持つ必要があります。そのうえで愛をもって子供たちを正しく教えるのです。そうするなら、間違いのない教育をすることが出来るはずです。



A責任
 父親に与えられた責任は、アダムが創造されたときからはっきりとしています。それは額に汗を流して働くことです。

創世記3:17-19 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」


 父親は働いて収入を得、奥さんと子どもたちを養っていかなければなりません。それが父親の責任です。ですから嫌な仕事でも、嫌なことを言われても頭を下げて仕事を続けなければなりません。
「男は敷居をまたげば七人の敵あり」と言われるように、社会に出ると多くの敵があり、苦労がありますが、何があっても働いて家族を支えていかなければなりません。それほど大きな責任を背負っている父親ですから、家庭において父親が尊ばれることは大切な事です。奥さんが夫の事を「主人」と呼び、ご主人に仕えることは聖書の正しい教えなのです。

2.夫として

3:1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
3:2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
3:3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、
3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。
3:6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。
3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。


 Tペテロ3章でペテロは夫婦に教えています。1節から6節までが妻たちにあてられ、7節だけが夫に命じられています。女性から見ると不公平だと感じるでしょう。それは家庭の問題を引き起こすのは妻が常に原因だからでしょうか?・・そうではないと思います。ただ、夫婦関係のカギは奥さんが握っていることは明らかです。ですからまず妻たちに命じられているのです。

「神を恐れかしこむ清い生き方をしなさい」
「柔和で穏やかな霊という心の中の隠れた人がらで着飾りなさい」
「どんなことも恐れないで善を行いなさい」と。

 夫には次の二つの事が命じられています。
 @
妻は弱い器だという事をわきまえなさい・・・肉体的に、精神的に男性より女性の方が弱いという事です。ですから、夫は妻に対して暴力を振るう事、暴言を吐くこと、精神的に追い詰める事などをしてはならないのです。「弱い者いじめ」という言葉がありますが、自分より弱い人をいじめたり、迫害する事はどの時代にあっても、どの社会にあっても許される事ではありません。

 A
尊敬しなさい・・・夫が妻をなかなか尊敬しないからペテロはこの様に書く必要がありました。創世記の中では、男性がはじめに造られ、女性はその助け手として男のあばら骨から取られたと教えています。その結果、男性優位、女性蔑視の考え方が社会に広がってしまいました。しかし、それは間違った聖書解釈、間違った受け取り方であり、神様の御心ではありません。

 ペテロはその誤りを訂正するために「妻を尊敬しなさい」と教えたのです。おそらくこれを聞いたユダヤ人男性は「何をバカなことを!」と思ったに違いありません。それゆえ、ペテロは妻を尊敬しなければならない理由を説明しています。「いのちの恵みを共に受け継ぐものとして」・・つまり、あなたが神様に愛され永遠のいのちを与えられているのと同じように、あなたの妻も神様に愛され永遠のいのちを与えられている尊い人だからという理由です。

 ※ペテロの教えの根底には「夫婦は一つ」だという聖書の教えがあります。結婚は神様が引き合わされ結び合わされたことです。夫婦は二人で一つの体、二人で一人となっているのです。ですから神様が夫だけを祝福されるという事はありません。同様に、妻だけを祝福されるという事はありません。神様は夫婦を常に一つだと見られています。二人が共にいのちの祝福を受けるのです。神様が導かれた夫婦の絆とはそれほど強いものなのです。ですから、あなたが伴侶を尊敬するなら、あなたも尊敬に値する人になるのです。



3.幸いな日々のために


@困難な時代において
3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。
3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」


 ペテロの教えはイエス様が公生涯の中でいつも教えられたことと同じです。イエス様から直接ペテロは学んだのです。では、なぜ私達にこれらの教えが必要でしょうか?・・・難しい時代だからです。困難な時代だからです。人の心が神様から離れてしまい、自我の中に生きるようになると、社会は混乱してしまいます。家庭は崩壊してしまいます。私たちはその様な時代に生きているのです。

Aクリスチャン家庭への影響
 クリスチャンの家庭であってもこの世の惑わしがあります。子供達を主の教育によって育てたいと思いますが、日本の義務教育は神様を無視した教育であり、人間中心の教育です。進化論だけが教えられ、創造論は全く触れられもしません。精神的に苦しむ人には、人道主義のカウンセラーがアドバイスをし、聖書の教えは宗教として敬遠されます。その様な社会では、クリスチャン家庭が「
神の国とその義を第一にしなさい」というイエス様のことばに従う事が難しいのです。

 ペテロは、神様に背を向けて歩む人たちが求めているものについて記しています。

Tペテロ4:3 あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。


 知らず知らずのうちにクリスチャン家庭にもその影響があります。この世の享楽を味わいたいという欲望が襲います。

Bいのちの恵みを共に
 それに歯止めをかけるものは何でしょうか?・・それは祈りです。祈りがなかったら、悪魔の策略に私たちは引きずり込まれます。悪魔は常に信仰者に働いて、汚い言葉を吐かせ、非難させ、自分の欲望を追い求めさせるのです。しかし、祈りによって私たちは悪魔の策略を打ち破ることが出来ます。夫婦がお互いに「舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求める」なら、夫婦の祈りは妨げられません。家庭は祈りによって悪魔の策略から守られるのです。

 「
いのちの恵みを共に受け継ぐ人」という尊敬があるなら、夫婦はうまくやっていけるはずです。家庭は言い争いの場ではなく、神様の祝福の場となります。「自分の方が偉い、自分の方が働いている、あなたに何が分かるの!」という態度を捨て去りましょう。「でも…だって…」と言いたい人は、Tペテロの手紙をはじめから読み直すことをお勧めします。

 
父の日に、父親であるあなたは、あらためて家庭を顧みるときとしましょう。父親として、夫として、どのように歩んできたか振り返り、そしてこれからどのように歩んでいくのかを再検討しましょう。最高の模範は、天におられる父なる神様です。天の父は、罪びとの私たちを滅びから救い出すために大きな大きな犠牲を払ってくださいました。愛するひとり子を惜しまずに十字架につけ、死に渡されました。ここに私たちの赦しと救いがあります。ですから父親は愛する家族のために犠牲を払うことを惜しんではいけません。また家族の救いのために祈り続けましょう。