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心に響く聖書の言葉


使徒の働き 講解説教

使徒の働き4章1-22節
「イエスの御名によって」



一.初代教会に与えられたしるし


4:1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
4:2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、
4:3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
4:4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。


 使徒の働きは教会時代(新約時代)の始まりを記しています。神様は多くの不思議なしるしを現わすことによって律法の時代から教会の時代へ移行したことを証明されました。最も特別なしるしは聖霊が降り、使徒たちが聖霊に満たされて外国語で説教しだしたことです。また、神様は使徒たちによって病人を癒し、また牢獄から使徒たちを解放されました。そして、弟子たちに霊感を与え、神のことばを記させて新約聖書がまとめられていきました。

 ※気をつけてほしいことがあります。繰り返しになりますが、現在では神様は夢や幻によって新しい啓示を与えられません。その理由は、聖書がすでに完成したからです。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、全66巻で聖書は完結し、神様の御心が完全に記されました。今、私たちはこの御言葉によって歩めと命じられています。ですから、どれほど現状にぴったりの夢や幻を見たとしても、神様の啓示だと信じないでください。

 初代教会に与えられたしるしの一つが、使徒3章の生まれつき足のなえた人のいやしでした。彼は毎日神殿の入り口に置かれ、数十年に渡り施しを求めていたので、エルサレム中の人たちが、彼が立って歩く姿を見て驚きました。瞬く間に多くの群衆が集まってきました。集まった群衆にペテロたちは大胆に福音を伝えたので、イエス・キリストを信じる人が増やされました。

 使徒たちを中心とする信者の数が非常に増えたため、神殿の外庭と呼ばれる場所は人であふれるばかりになったはずです。暴動の恐れを感じた神殿を警備するする人たち、祭司たちはペテロたちを捕らえ、事の収拾に努めようとしました。ただ、この時には彼らがイエスの弟子達だとは気づいていませんでした。

二、サンヘドリン

4:5 翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。
4:6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。
4:7 彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。


 翌日、議会が召集されました。サンヘドリンと呼ばれるユダヤの最高議会であり、最大71人から構成される議会です。(当時は立法、司法、行政がこのサンヘドリンで行われていました。)
 さらにアンナス、カヤパ、そのほかの大祭司一族も加わっています。ユダヤ人社会で権威を持っていた人たちです。彼らはつい数ヶ月前にイエス・キリストを有罪とし十字架につけた人たちでした。



@使徒たちへの質問
 彼らの質問は、「何の権威によって、誰の名によってこんなことをしたのか?」でした。ユダヤ人の社会ではラビと言う権威があります。聖書に精通し、聖書を教える権威を持つ人で、ユダヤ人の間でとても尊敬される人です。(その働きは教会の牧師とよく似ています)
 ラビになるためには試験を受けなければなりません。トーラー(モーセ五書)をすべて暗唱することは最低条件です。ラビ試験に合格することはユダヤ人にとって大きな名誉です。合格後はラビ○○と呼ばれ、人を教える権威を持ち、有名なラビほど多くの弟子を持ちます。この時代には偉大なラビには不思議な力があるとさえ信じられていたようです。
 サンヘドリンの裁判では、ペテロたちが足なえを癒し、人々を集めて教えるからには、偉大なラビの名において行っているに違いないと彼らは考えたのです。

Aペテロの答え
 サンヘドリンの人々に対して、ペテロは聖霊に満たされて大胆に語りました。

4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
4:9 私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、
4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」


 「ナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」とペテロは答えました。ただし、弁明だけでなく、「あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせた・・」と言う事により、福音を伝え、彼らの罪を明らかにし、彼らこそ裁かれるべきであることを主張しています。
 さらに、有名な詩篇の言葉を引用し、彼らを糾弾したのです。(参照;詩篇 118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
 そして「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」と宣言しました。

 イエス様が十字架に架けられたときには、あわてふためき、イエス様のことを三度も知らないと否定し、自分のおろかさを嘆いたペテロの弱々しい姿から、まったく変えられ堂々としたペテロの姿をここに見ることができます。彼の変身の理由は、復活された主イエスにお会いしたから、そして聖霊に満たされたからです。

B議員たちの困惑と判決
4:13 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
4:14 そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
4:15 彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。
4:16 彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
4:18 そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。


 サンヘドリンの議員たちは、足なえがいやされた理由を聞いても、イエス・キリストの復活の話を聞いても、自分たちには全く関係がないかのように議論を進めていることに驚きます。なぜ、彼らの心にキリストの福音が届かなかったのでしょうか?・・・その理由は、自分たちはさばく側であり、さばかれる側ではないと思っているからです。そして、イエス・キリストから始まった騒動を鎮めたいという目的があり、それは自分たちの立場、権威を保つために必要な事だったからです。つまり、サンヘドリンの議員たちは人間の権威を保つことに懸命だったのです。しかし、ペテロたちは、人間の権威ではなく、神の御子キリストの権威こそあがめられるべきだと主張し、そこに大きな隔たりがあったのです。

三、神の権威と人間の権威

4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
4:22 この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。


 イエス・キリストを信じる信仰の前には、人間の権威は何の役にも立ちません。信仰は人から頼まれて持つものではありません。福音を伝えることも、人に命令されたからするのではありません。教会の礼拝に集うのも、聖書を読むのも、お祈りするのも、賛美するのも、牧師が頼むから、家族や兄弟姉妹が頼むからするのではありません。神様が私たちに望まれている事だからするのです。人に聞き従うためでなく、神に聞き従うためです。だからと言って、キリスト者はこの世の権威を認めないのではありません。

Tテモテ2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

Tペテロ2:13-14 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

 また、牧師と言う立場についても聖書は次のように教えています。
Tテモテ 5:17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。

 立てられた権威や主にある働き人を軽視することは正しいことではありません。しかし、神の権威こそ優先されるべきです。その良い例は、旧約聖書に登場するダニエルです。ダニエルはメディア・ペルシャを支配したダリヨス王に誠心誠意をもって仕えていました。しかし、悪意を持った人々のたくらみにより、「30日の間、祈ってはならない」と言う命令が下されたとき、ダニエルはいつものように日に三度、ひざまずいて神様に祈りと感謝をささげました。人間の権威ではなく神の権威にダニエルは従ったのです。(ダニエル6章)



 キリストの福音は私たちに、神の御前における平等を教えています。

ガラテヤ 3:28 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。


 私達は神の御前に一人の罪人であると同時に、神様に愛されている者です。誰にとっても罪の赦しと救いが必要です。誰でもキリストを信じるなら、神の家族の一員となり、キリストの体の一部分となります。すべての体の部分が大切であるように、必要でない人は一人もいません。すべての部分が健全に働いて教会は神様の栄光のために働くことが出来ます。
 イエスの御名によって教会員は一つとされています。ですから私たちは、イエスの御名によって共に集まり、イエスの御名によって祈り、イエスの御名によって礼拝をささげます。それがキリストの教会です。



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