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心に響く聖書の言葉


母の証し

私の母が亡くなった
母は華奢な体で、長い間シンナーの臭いがきつい塗装を吹き付ける仕事をしていたので、私は母が長生きできるかずっと心配していたが、父の死後23年間を過ごし85歳まで生きてくれたのは神様の守りと支えだったと感謝している


母の生涯はドラマを地で行くような苦難の連続だった
みなしごとして育ち、兄と二人、預けられた親戚ではその家の家事と子守をさせられ
小学校さえほとんど行くことが出来なかった
耐えきれなくなった兄は妹(母)を置いて家出をした
残された母は一人で苦労を背負った
二十歳ごろ結婚をしてやっと普通の家庭を持つことが出来た
海の近くに家を購入して子供三人を育て始めたころ、隣三軒を延焼する火事を起こして家も僅かな貯金もすべて失った
当時、幼稚園年長だった私は燃え落ちる自分の家を見て呆然としていたことを覚えている
かわいそうに思った幼稚園の先生がランドセルをプレゼントしてくれた

私は母の子として育ったことを誇りに思う
母は学歴もなく平仮名さえ十分に書くことが出来なかった
しかし誰よりも柔和で謙遜だった
人の悪口を言わず、人と争うことがなかった
静かな人で口数が少なかったが、人を心からもてなした
自分のためにお金を使うことがなく、惜しみなく分け与えた
老後の年金はほとんど子供や孫たちに与えていた
クリスチャンになった私は謙遜な人になりたいと願っているが、母には到底かなわないと思う

母は事あるごとに遠くに住む私家族にもお金を送ってくれた
孫、ひ孫が誕生、入学、卒業するたび、そしてお年玉
牧師として働いていた私はぎりぎりの生活をしていたので、送ってもらったお金でいつも苦境を助けてもらった
与えられるばかりで与えることが出来なかった私は、母のためにただ祈るしかなかった
放蕩息子の罪滅ぼしとして、母の日と誕生日には花を贈った
お花を受け取った母は、電話口でこちらが恥じ入るほど花を喜び感謝してくれた
お世話になったお花屋さんに母の死を告げ、最後の花束、カーネーションを包んでもらい火葬場で棺の上に置いた


告別式の最後のあいさつで姉が言った
「母は喘息持ちで咳をしだすと止まらなくなります
それで教会に来ても一番後ろの隅っこに座り、教会の人に迷惑がかからないように静かに座り、咳が出るのをこらえていました
母は死期を悟っていたのか最近、『もういつ逝ってもいい』と話していました
そして温かいお風呂のなかで眠るように息を引き取りました」

この母を今まで支え、与えてくださった神様に心から感謝いたします
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私はこのホームページを聖書のことばを伝えるために開設していますが、私の母のためにこのページだけは用いさせてくたさい