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心に響く聖書の言葉


人生は出会いで決まる



 人生は出合いで決まるとよく言われます。

 素晴らしい先生、よき友、そして一生を共にする伴侶など、素晴らしい出会いは私達の人生にとって宝であり、欠かす事の出来ないものです。非行にはしり、何を持ってしても更生できそうにない青少年でも、真剣になってその子を理解し、誠心誠意を持って励ましてくれる人がいるならば必ず立ち直る事が出来るのです。あなたには素晴らしい出会いがあったでしょうか?

 私にも多くの素晴らしい出会いがありました。遠く離れていても、私達家族のために祈って下さっている方々がおられます。しかし、私にとって最も素晴らしい出会いは、イエス・キリストとの出会いです。

 教会に集っていた両親の間に生れた私は、赤ん坊の時から教会へ連れて行かれました。漠然と、我が家の宗教はキリスト教だと受けとめ、神についての信仰は無くとも、ただ習慣的に教会へ行き、祈り、献金をしていました。(宗教は違っていても多くのかたは私と同じような経験をされているでしょう)

 しかし、一人の宣教師が私に質問をされました。

「あなたは本当にクリスチャンですか?」

…この言葉に私は「はい」と答える事が出来ませんでした。クリスチャンと言いながら神の存在など考えたこともなく、ただその日その日で生きていた私でしたから。この時から真剣に神の存在について考えさせられました。そして聖書を学ぶうち、神が本当に存在される事を知りました。

 聖書は、イエス・キリストについてこう書いています。

「キリストは神のみ姿であられるかたなのに、神の在り方を捨てる事が出来ないとは考えないで、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質を持って現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」

 神について無知な私のために、神はひとり子イエスをこの世に遣わされました。そして世に現われて奇蹟を起こされただけでなく、人間にとってもっとも深刻な問題である罪の解決を与えるために来られたのです。イエス・キリストは人が受けるべき罪の刑罰を身代りに受けるため十字架に架かり、死なれました。彼が流した血の代価によって私の罪が赦されると聖書は教えています。そして、赦しの確証のためにイエス・キリストは墓の中から三日目によみがえられたのです。

 もしもキリストとの出会いがなかったら、私は間違いなく、ろくでもない人生を送っていたでしょう。誘惑に弱い人間ですし、人より楽をしたいという願望が強い人間だからです。しかし、キリストに出会って私は変えられました。聖書を学んで何が良いことで何が悪いことなのかを知り、正しく歩んでいきたいと心から願うようになりました。

ですから、私は心からあなたにも救い主イエス・キリストをご紹介したいのです。