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心に響く聖書の言葉


知らずに拝んでいるもの



「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しい事を話したり、聞いたりする事だけで日を過ごしていた。そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。
『アテネの人たち。あらゆる点からみて、私はあなた方を宗教心に熱い方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝む物をよく見ているうちに、「知られない神に」と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべての物をお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由な事でもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神はすべての人に、命と息と万物とをお与えになった方だからです。』
 使徒の働き 17章より

 これはキリストの証人である使徒パウロのメッセージの一つです。宣教のためにアテネの町に着いた時、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じてこのメッセージをしました。

 二千年前のアテネといえば、当時における先進国であり、現在でもパルテノン神殿の遺跡で有名です。当時、アテネの人々は文明を喜び、新しい物、流行を求めることにやっきになっていました。反面、町には多くの神々の像が置いてあり、人々は熱心にそれらに礼拝をささげていました。

ーーこれらは今の日本の状況とよく似ていると言えるでしょう。片方では先進技術を用いた物があふれ、流行を求めていますが、もう片方では心の支えとして宗教から決して離れることが出来ないのです。

 残念なことに多くの人々が
「知られない神」に祈っていました。パウロの言葉を借りて言うならば、「神は決して人間の手で造られたり、宮に安置されてじっとしておられる方ではない」のです。

 さらにパウロのメッセージは続きます。

「神は、そのような無知の時代を見過ごしにしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになった一人の人〈キリスト〉により、義を持ってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方〈キリスト〉を死者の中からよみがえらせることによって、この事の確証をすべての人にお与えになったのです。」

 イエス・キリストは十字架に架かり、神のさばきを受けて下さいました。罪を一度も犯されなかったお方が、さばきを受けるべき私達の身代りとなってくださったのです。そして神はこのキリストを墓の中よりよみがえらせる事によって、神の福音を明らかに示して下さったのです。

 唯一の神が与えられた福音を、信じ受け入れられませんか?それとも今のまま
「知られない神」に祈り続けられるでしょうか。



 神はイエス・キリストを救い主と信じ受け入れる人に、絶大な祝福を約束されています。

「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべての事を働かせて益としてくださる事を、私達は知っています。」ローマ人への手紙8章28節