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心に響く聖書の言葉


見られたくないもの

 私は日本に生まれ、日本で生活していることを嬉しく思います。四季折々の風景や食物を楽しむことができますし、交通機関を使って旅行へ出かけ、山々、海、空、光の織りなす自然の美しさを堪能し、心を新たにされることもあります。見えるものによって私たちの生活は潤います。

 反対に、見えなくて良かったと思うことがあります。ーーそれは「私の心」です。これだけは見えなくて良かった!と、誰もが思われるに違いありません。もしも、自分の心が相手に見えたとしたならどうでしょう…想像しただけでも恐ろしくなります。おそらく地上の人間関係というものはそのほとんどが崩れてしまうことでしょう。

 誰も自分の心の中をのぞかれたくありません。なぜなら私たちの心の中には汚いもの、罪であふれているからです。穏やかな顔を装っていても心の中では、ねたみや憎しみで一杯になっている時があるのです。
 
 あなたは自分の心の汚さのために悩んでおられませんか?犯してしまった大きな罪を背負って生きておられませんか?夜、寝るごとに頭の中をその出来事が駆け巡り、安眠できない夜があるのではないですか?

 使徒パウロは、自分の心の中をこう素直に表現しています。 
「私には、自分のしていることがわかりません。 私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、 自分が憎むことを行なっているからです。」 ローマ人への手紙7:15

「罪の支配の恐怖」

 罪という問題は、時として私たちの一生を駄目にしてしまいます。ちょっとした出来心で警察官が万引きをして捕まった事件が大きく新聞に載ったことがありました。彼とその家族のその後の生活はどうなったかと心配します。しかし、それは決して他人ごとではなく、同じ人間である私たちも同じような罪を犯してしまう可能性は極めて大きいのです。
 罪の問題の解決を得ようと多くの宗教家や哲学者などが試みました。ある人たちは罪から逃れようと、難行苦行を重ね、自分を痛め付けます。ある人たちは人間社会から逃避しようとします。しかし、解決が得られるどころか、人生をさらに苦しいものにしています。

 神のことばである聖書は、私達に次のように教えます。「すべての人は罪人である。」と。
人間は初めから罪人です。だから難行苦行を重ねようが、標語を目の前にいくらぶら下げようが、決して罪の支配から逃れられないのです。しかし、罪を解決する方法が一つだけあると聖書は教えています。

「あなたの罪の解決は?」

 それは赦していただくことです。イエス・キリストはあなたの罪を赦してくださるお方です。彼は神の子でありながら、人として生まれ、人の罪を背負い、十字架の死にまで従われました。それは私たちが受けなければならない罪の刑罰を身代りに受けるためでした。神はこのキリストを墓の中より三日目によみがえらせることによって罪の赦しの確証とされました。
 人が罪を赦すのではなく、神があなたの罪を赦してくださるのです。それこそ
完全な罪の赦しなのです。罪を赦された人の状態は脱皮した蝶のようです。殻に縛られず、本当の自由を与えられ、罪の内を歩みません。それは何も隠す必要のない素晴らしい人生です。
 ぜひイエス・キリストの福音を信じてください。そして、罪赦され、新しい人生を歩んでください。