本文へスキップ

心に響く聖書の言葉


本当の宝とは

 街で教会案内のチラシを配っていると、一人の男性が受け取った後、すぐに私の方に向き直り、
「要りません!」とチラシを渡し返されました。とっさに私も
「どうして要らないのですか?」とムッとしながら質問を返すと、その男性は
「キリスト教なんて意味がない!」と言われました。あまりにも失礼なその言い方に
「あなたは聖書を読まれたことがあるのですか?」と睨みました。すると彼は
「あるわけないだろ!」と捨てゼリフを残してその場を立ち去られました。

 私はとても矛盾を感じました。なぜなら私達が物事の良し悪しを言う時には、そのことについての知識を持った上で初めて判断されるべきものでしょう。聖書が何を言っているのか、キリストが何を教えられたのかを知らないのに、頭ごなしに「そんなもの要らない!」と決め付けてしまうのは誤りだと思います。

 じつは、このような風潮は歴史のなごりだとも言えるのです。かつて徳川幕府がキリスト教の影響を怖れるあまり、仏教を御用宗教と定め、キリスト信者をバテレン・ヤソと呼び、キリストを信奉する者は誰であれ反逆者として迫害し殺していきました。彼らが怖れた「キリスト教の影響」とは、人間は自由・平等であるべきという考え方に他なりません。幕府に忠誠を誓わせたかった人々にとってこのような思想は危険なものと考えられたのです。
 それが今なお、日本人の心の中で、キリスト信者は国に対しての反逆者、日本人として恥ずかしい事だという考え方が根深いところに残っているのです。しかし、「人間は自由・平等であるべき」という考え方のどこが間違っているのでしょうか。現代ではそれは当然の事として受け入れられています。あえて言うなら、かつての古い考え方は排除され、聖書の教えが正しいことを皆が認めている時代なのです。

 私は日本に生れ育ったことを誇りに思っています。しかし、イエス・キリストの教えは私達日本人にとって必要かつ大切なものであると信じています。イエス・キリストは次のように教えられました。
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」マタイ 5:44
「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」マルコ 9:35
 ある人たちはこう言います。「そんな甘い考え方ではこの競争社会で生き残れるわけがない」と。しかし人生の成功とは、ただ単に人よりも偉くなることでしょうか?人よりもお金持ちになることが本当の幸せでしょうか?私はそうは思いたくありません。

 聖書の中に次のようなことばもあります。
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17:1
 どんなに出世し富んだとしても、争いが絶えず、隣人を憎み、隣人から憎まれ続けるなら、その人の人生はとてもむなしいものです。しかし、イエス・キリストが教えられた「自分の敵を愛しなさい」を実行していく人は、すべての道において喜びと平和を必ず見出します。

 聖書には、私達日本人が見失いかけている
本当の宝があります。それは神に造られ、神に愛されている人間として、正しく歩む指針です。私はあなたに心から、聖書を読まれる事をお勧めします。そして本当の宝を見つけていただきたいと願います。