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心に響く聖書の言葉


進化論と創造論



 私がクリスチャンになってすぐに疑問に思い、調べたことがありました。聖書では、この天と地、動物や人間は、神様が造られたのであり、進化論は誤りであることが教えられているのです。進化論しか知らなかった私にとって、これは大きな問題でした。進化論と創造論、どちらが本当なのだろう?と、居ても立ってもいられませんでした。
「もし、創造論は間違いで、進化論が正しいのなら私はクリスチャンをやめなければならない。」そう思い、図書館へかけこみました。そして手当り次第、進化論を教えている本を読んだのです。

進化論
 そして分かったことは、進化論とは、空想の域を越えない仮説なのだということでした。すべての定義が、「〜したであろう」という仮定で進められており、はっきりとした確証は全くないのです。
 皆さんも一度は見られた事のある進化の過程の絵も、ただ単に姿形が似通った生き物を、単純と思われるものから複雑なものへと順番にならべただけで、そこに根拠が何もないのです。子供が遊んでいて小さいおもちゃから大きいおもちゃと順番にならべることと何ら変わりがないと言っても過言ではありません。

創造論
 私は今度は創造論について調べてみました。するとどうでしょう。進化論では問題とされることがすべて完全に説明されているのです。例えば、聖書の創世記のなかで、神は生き物を「種にしたがって創造された」とあります。これは、自然界において、また、どんなに人工的に交配を試みても
種の域を越える変異は生じないと言う事実に、ずばり一致しているのです。近年、細胞の核の中にあるDNA遺伝子の研究が進むにつれ、このことはさらに確証されています。進化論を唱えている人たちの深刻な悩みがこのことなのです。

 また、世界の至る所で逆転した地層があることや、たくさんの化石、石油、石炭などがあることは、ノアの洪水という出来事があれば解決されるのです。



生命の発生
 そして、もっとも重大な問題は次のことです。進化論では、生命の発生は根本的な問題です。昔、生命は自然発生したと考えられていましたが、パストゥールは実験の結果、これを完全に否定し、生命は自然発生しない、ということを証明しました。それゆえ、進化論者は生命の宇宙飛来説などを挙げましたが、問題は依然として変わりません。生命は宇宙のどこであろうと自然発生しないからです。創造論が教えているように、神がいのちを創造されたことを受け入れるなら、問題は解決できるのです。

 進化論と創造論については、ぜひあなた自身で調べられることをお勧めします。

生きる目的
 私が聖書を通して神様の存在を知り、感激していることの一つは、自分に生きる価値と目的があるということをはっきり知ることができたことです。もし人類が偶然に自然発生した微生物から、偶然に進化して、偶然に生まれてきたのなら、私に生きる目的などあるはずがありません。私のいのちの価値は蟻一匹と、ゴキブリ一匹と変わらないのです。

 しかし、事実はそうではありません。私達人間は神様によって造られ、いのちを与えられ、最高のものとして活かされているのです。そして神様は私達を絶大な愛をもって取り扱ってくださり、私達が神のうちを歩み、喜び、神の栄光を誉め称えることを求めておられるのです。あなたも神様からいのちを与えられて愛されている尊い人なのです。そのことにぜひ気づいてください。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」マタイ6:26