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心に響く聖書の言葉


聖書の預言とは?



 クリスチャンは、聖書がただの本ではなく、「神のことば」であると信じています。盲目的にそう信じているのではなく、それにはいくつかの根拠があります。その中で最も分かりやすく説明できるのは、「預言が成就している」という根拠です。聖書の預言の具体的な例として、まずユダヤ民族(イスラエル)についての預言、そしてイエス・キリストについての預言を見ていきましょう。


ユダヤ民族の預言

 聖書には、ユダヤ民族について多くのことが記してあります。ユダヤ人といえば、彼らほど波乱万丈の運命をたどった民族は他にありません。第2次世界大戦時のナチス・ドイツ、ヒットラーによる大虐殺(ホロコースト)や、中東戦争、パレスチナとの紛争で、知らない人はいないでしょう。

 彼らは二度祖国を失って、約2600年の間、世界各地を流浪し、行く先々で迫害を受けてきた民族です。それにもかかわらず、民族の純粋性を失わず、滅びもせず、近年になって1900年ぶりに祖国を再建したのです。英国の著名な歴史家、アーノルド・トインビーは、「ユダヤ民族が現在、存在すること自体が奇蹟である」と言いました。

 ユダヤ民族は、特異な歴史をたどってきましたが、実は、彼らの歴史は事前に聖書に預言されていたのです。彼らの歴史をたどってみると、彼らが現在に至るまで、預言されていた通りのコースを歩んできたという驚くべき事実に直面するのです。ではそれを具体的に見ていきましょう。



★400年間、奴隷となるという預言


 話は紀元前約2000年にさかのぼります。メソポタミヤにアブラハムという人がいました。このアブラハムの子孫が現在のイスラエル人です。神はこのアブラハムに、彼の子孫が400年間、外国で奴隷となることを予告されました。

「そこで、アブラハムに仰せがあった。『あなたはこのことをよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を私が裁き、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出てくる』」創世記15章13−14節

 歴史を見ますと、実際イスラエル人はエジプトで約400年間、奴隷としての生活を強いられています。この預言されていた400年間が終わったときに、神は、モーセという偉大な指導者を立てられました。このモーセが神の命令によってイスラエル人をエジプトから今のパレスチナへ連れ戻しました。これは世界史で「出エジプト」と呼ばれており、紀元前1440年頃であったことが分かっています。このことは映画「十戒」などで、すでに多くの方がご存じでしょう。

★バビロンに捕らえられるという預言

 紀元前750年頃、神はイザヤという預言者を遣わして、ユダヤ民族に預言しました。

「見よ、あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで貯えてきたものがすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます」

「この国は全部、廃虚となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に70年間仕える。」


 これらの預言は文字通り成就しました。バビロニアのネブカデネザル王の軍隊は、紀元前606年にユダヤ人達を捕え移しはじめ、エルサレムの町を破壊し、生き残ったユダヤ人達を奴隷としてバビロンへ捕囚しました。ユダヤ人がバビロンで捕囚となっていた期間も預言通り70年間であったことも歴史上の事実です。

★全世界に散らされるという預言

 バビロン捕囚後、ユダヤ人はパレスチナへ帰ってきました。その数百年後、神はイスラエルに救い主イエス・キリストを遣わされました。しかし、ユダヤ人はこのキリストを十字架に架けて殺してしまいました。このことによってユダヤ民族は、再び神の祝福から遠ざけられ、次の預言を成就させてしまったのです。

「【主】は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。」
申命記 28章64節

 紀元70年、ローマ帝国軍がエルサレムを全滅させ、百万人のユダヤ人を殺しました。そのとき生き残ったユダヤ人は世界中に散って逃げました。しかし「キリストを殺した民族」という焼印を押された彼らは、行く先々で迫害を受けました。ユダヤ人は預言された通り、全世界に1900年もの間、散らされ、自分たちの身にわざわいを背負ったのです。

もう一度イスラエルは集められるという預言

 聖書の預言はそれで終わりではありません。神はユダヤ民族を完全に捨ててしまわれたのではありません。エゼキエル書36章24節には、
「私はあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れていくと預言され、イザヤ書11章12節では、
「主は、国々のために旗を掲げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。」と預言されていました。

 これらの預言が実現する兆しは何世紀もの間、まったくありませんでした。しかし、預言を研究していた学者達は、「聖書によれば、ユダヤ民族が故郷に帰り、彼らの国が再建される時が必ず来る」と主張し続けていました。果たして、その預言は文字通り成就したのです。1930年代になって、突然多数のユダヤ人達が世界各地の離散地からパレスチナへ帰りはじめ、ついに1948年5月14日、イスラエル共和国が再建されたのです。

 ユダヤ民族についてはこれだけではなく、彼らに今後、どんなことが起こるかについても詳しく預言されています。その預言も成就に向かっているのです。



キリストの預言


 聖書の主人公はイエス・キリストです。キリストは予告なしに突然来られたのではなく、彼の生まれることは何百、何千年も前から聖書の中で詳しく預言されていました。キリストがいつごろ、どこで生まれ、どのような生涯を送られ、どの様な死にかたをされるかなど、細かく旧約聖書は預言していました。

★生まれる家系、生まれる場所が預言されていた

 まずキリストは、「ユダヤ人」として生まれることが預言されていました。ユダヤ民族には十二部族があるのですが、キリストはそのうちの「ユダ族」に生まれると預言されていました。さらに細かくいうと、「ダビデ王の家系」に生まれるとまで預言されていました。
 同じ頃、ミカという預言者を通しては、キリストがベツレヘムという町で生まれることが預言されました。

「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
ミカ書5:2



★どのように死なれるかが預言されていた


 イエス・キリストが十字架に架かり死なれたことは一般の歴史書にも載っています。その受難の預言としてよく開かれるのが、イザヤ書53章です。この預言ではイエス・キリストが十字架に架かられた目的が、私たちの罪を赦すためであったことが預言されています。

「 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」
イザヤ書53章3〜6節

 この預言の箇所を開くと、ある方は次のように言われます。
「こんなに預言通りにいくわけがない。これはキリストが十字架に架かった後に書かれたのではないですか?」と。しかし、聖書の成立について学ぶとき、旧約聖書はキリストが生まれる以前に、既にイスラエル人にとって「神のことば」として受け入れられていたので、キリストの誕生後に書き加えられたり、訂正されたということは決してありえないのです。



 ここで取り上げた預言は、聖書にある何千という預言のうち、ほんの一例です。聖書は、歴史の出来事をそれらが起こる何世紀も前から預言していました。それらの預言を成就させることにより、聖書が「神のことば」であると証明されたのです。つまり、預言の目的は、聖書によって私たちが神の存在を知り、神が与えられた救い主キリストによって私たちを滅びから救い出すため、そして私たちが神様の栄光をほめ称える者となるためなのです。聖書の預言を調べれば調べるほど、偉大な神様のご計画に驚き、備えられた救いを喜ぶことができるのです。