心に響く聖書の言葉

聖書的シンプルライフ第六章


第 六 章  欲求から解放される



 シンプルライフを志す人は、欲求から解放されることが必要です。そのためにはまず、キリストに対する純粋な信仰と、シンプルに御言葉を求める信仰が必要です。前章で、マルタとマリヤの記事からそのことを学びました。御言葉によって信仰が整えられるとき、欲求から解放されるのです。御言葉によらなければ、欲求を抑え込むことは困難であり、それは難行苦行となってしまいます。自分の肉の力によってシンプルライフを実現しても、実はそれは肉の欲求を満足させているだけなのです。


箴言30:7-9  二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「【主】とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。

 聖書的シンプルライフは贅沢を敵とします。しかし、貧しく生きることでもありません。貧しさも富も神様の御心ではないからです。


箴言 30:33  乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。

 当たり前の事です! 神様は信仰者に突拍子もない信仰生活を望んではおられません。ところが私たちが聞かされる多くの証しは、貧しいギリギリの生活を乗り越えて成功した伝道者の話です。そういう証しを聞くたびに、クリスチャンは貧しく生きるべきだと言う理解に偏ります。牧師が新しい電化製品を購入するたびにしかめっ面をする教会員がいます。主に仕える人は貧しくあるべき、という理解があるからです。(もちろん、贅沢三昧の牧師というのは最低だと思いますが!)神様の御心はそうではありません。富むことも貧しいことも神様の御心ではありません。


 聖書的シンプルライフは、最低の生活をしなさい!という事ではなく、当たり前の生き方をしなさいというのです。たとえば、・旅行する時にどれくらいの荷物をあなたは持っていくでしょうか?・・その滞在日数に応じた荷物だけにするでしょう。もし、持っている服、道具、寝具を全部を持っていくなら旅行ではなくなります。移住と言った方が良いでしょう。旅行には必要なものだけ!でいいのです。・運動はどれくらいがいいでしょうか?・・自分の体力に応じた適度な運動が理想です!過剰な運動は、身体を壊してしまいます。・食事はどれくらい摂るのがいいでしょうか?もちろん、適度な食事です。!少なすぎても摂りすぎても健康を損ないます。同じことが信仰生活にも言えるのです。聖書研究やお祈り、教会の奉仕や伝道、献金など・・・それらは大切であり、素晴らしいことです。しかし、それらばかりに偏ってしまうなら、生活が出来なくなります。家庭は崩壊してしまうでしょう。少ないなら、霊性を保つことはむずかしいでしょう。ですから何事にもバランスが大切です。


 シンプルライフの原則は何でしょうか?・・・必要なものを必要な時に必要な分だけ!です。私たちの肉の思いはいつも「もっと、もっと」と叫ぶのです。もっと欲しい。もっと食べたい、もっと儲けたい、もっと奉仕したい、もっと献金したい。もっと祝福がほしい・・・これらは肉の欲求です。

※語弊があってはいけませんので、「度を超えた奉仕、献金、祝福」と言う意味です。

 主イエスが教えられた祈りは、

マタイによる福音書 6:11  「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

です。「今日必要な糧を、今日与えてください」です。必要以上を求めることは愚かです。何年分かの食料を倉庫にたくわえ、これで安心だと考えた金持ちは「愚か者」と言われ、いのちを取られたではありませんか。(ルカによる福音書12:20)


 欲求から解放されるには・・・自分が満たされていることを知ることです。イエス・キリストの十字架によって罪を赦され、神の子供という特権をいただいている。神様の愛の中に生かされている。永遠のいのちをいただき、天において相続財産を約束されている。これ以上の祝福があるでしょうか?

ローマ人への手紙8:17  もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 この地上の生活では神様が必要なものを必ず与えてくださることを約束してくださっています。

マタイによる福音書 6:33  だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(衣・食・住)はすべて与えられます。

 イエス・キリストを救い主と信じる人は、この約束も信じることが出来るでしょう。約束を信じるなら、私たちはこれ以上何を求めるでしょう。「もっと」ではなく「あなたの恵みはわたしに十分です」と確信し、欲求から解放される生活こそ、聖書的シンプルライフです。


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