心に響く聖書の言葉

聖書的シンプルライフ第八章


第 八 章  シンプルライフはシングルライフではない




 この社会に生きていて、生活をシンプルにしようとすると、人との関わりを避けていくことが手っ取り早いことだと感じるときがあるでしょう。確かに他の人と関わらないなら、嫌な思いをすることもないし、自分のことだけをしていればそれで済みます。「自分ひとりで生きていきたい!」それが宗教的になると「修道士となる、出家する」となります。人を避け、自分の世界で生きる。・・現代の問題は、人との直接の関わりを避けて、ネット社会の中で生きている人たちが増えていることです。ネット上でコミュニケーションは取るのですが、顔が見えないので、理想の自分像を作って相手と話をすることが出来ます。心にある醜い想いさえ文字にして、ありのまま公開することが出来ます。相手を中傷することも平気でやってのけます。便利ですが恐ろしい世界でもあります。

 神様の御心は、私たち信仰者が一人で生きていくことではありません。「人と言う文字は人と人とが支え合ってこそ人なんです!」と、どこかで聞いたことがあるでしょう。確かに人は一人で生きることはできません。私たちが一人で生きていくことは神様の御心ではありません。


 神様が人を創造されたときに、まず男を創造されました。そして、「人が一人でいるのは良くない」と言われ、助け手として女を男のあばら骨から造られました。(創世記3:18) ですから人が結婚して子供を産み、家族として生きることは神様の御心です。結婚しなければ夫婦問題は起こりません。子供を産まなければ子育ての苦労をしなくて済みます。シングルはシンプルですが、しかし神様の御心ではありません。


 同様に、クリスチャンが一人で常に礼拝することは神様の御心ではありません。教会に集って兄弟姉妹と共に礼拝する事が神様の御心です。いつも感じることですが、教会という所は常に問題が起こる場所です。教会運営上の問題に加え、牧師の個人的な問題、教会員の問題、教会員同士のいざこざ、分裂など問題は尽きません。クリスチャン一人一人の意見、考え方が異なるからです。愛しあっている夫婦でさえ意見が衝突するのですから、教会員同意が教会のためと思い、熱心に自分の意見を主張する時に必ず意見がぶつかる時があります。それで人はつまづくのです。そのような苦い経験をしたクリスチャンは、「教会へ集うから嫌な思いをする、教会へ行かなくても信仰は保てる」と考え、教会へ行くことを止めてしまいます。しかし、それは神様の御心ではありません。

ヘブル人への手紙 10:25  ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


牧師に対しては次のように書かれています。

使徒の働き 20:28  あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。


 地上の教会は天上の教会と違って完全ではありません。不完全です。集まっているクリスチャン一人一人が完全ではないからです。でも、神様は不完全な私たちを用いて神様の栄光をあらわそうとされています。不完全な教会を通して神様の栄光をあらわそうとされているのです。

 自分が犯した罪のために苦しむのは当然ですが、教会の問題のために苦しむなら、それは神様の祝福にあずかることだと考えてください。キリストの身体である教会のために苦しむことを喜びとしてください。教会に集わなければ、いざこざに巻き込まれず、シンプルな信仰生活をおくることが出来るかもしれませんが、それはまったく神様の御心から外れていることです。


 私たちは教会だけでなく、この社会の中に置かれています。社会から迫害されて、みじめさを味わうくらいなら、自給自足の生活をして、人との接触を避けたいと思うかもしれません。しかし、それは神様の御心ではありません。

Tペテロの手紙3:13-15  もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。


 クリスシャンが家庭、教会、社会の中で生きていくための秘訣は、主イエスと共に生きることです。信仰と希望を持っていたのに、がっかりして落ち込んでいたエマオ途上の弟子たちと共にイエス様は歩いておられました。落胆していた彼らと会話を続けられ、御言葉によって励まされました。私たちも問題で気落ちした時に、主イエスがあなたと共に歩んでくださっていることを信じましょう。その時、他の人と共に歩んでいくことが主の祝福だと知るでしょう。


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