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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書8章1-12節 「あなたを罪に定めない」


 今日の聖書箇所は、キリスト教信仰の原点とも言える話がまとめられています。特別な奇蹟があるわけではありません。感動的な話でもありません。しかし、ここには私たちを滅び(地獄)へと追いやる恐ろしい罪の問題について取り上げられ、そしてその罪を赦してくださるイエス・キリストの救いが示されています。

1.女性の罪

8:1 イエスはオリーブ山に行かれた。
8:2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。
8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、
8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

 姦淫の現場で捕らえられた女性が登場します。おそらくこの女性はそれを仕事として生活していた人だと思われます。彼女がなぜそのような仕事をするようになったかは何も記されていません。
 また、律法学者とパリサイ人が登場します。イエス・キリストを訴える理由を得るために、この場に彼女を引きずり出したのです。律法学者は当時における法律家で、パリサイ人は宗教指導者たちでした。ヨハネによる福音書の中で、彼らがイエス・キリストを憎み、何とかしてイエスを捕らえ、死刑にしようと企んだいったことが記されています。その最たる理由はねたみでした。彼らが仕切っているユダヤ人社会に、突然彗星のごとく現われたイエスという三十そこそこのガリラヤ出身の若造が、律法の規定を無視する教えを説き、安息日に病人をいやし、そして律法には人を救うことは出来ないと教えている。最もゆるせないことは、自分は神の子であり、天から下って来たいのちのパンだと、ふざけたことを言っている。おまけに多くの群集が彼の方になびいてしまっているのを見て、パリサイ人たちは苦々しい思いを持ったのです。彼らは何とかしてイエス・キリストを捕らえる口実を見つけようとしたのです。
8:5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
 パリサイ人等は、イエスが罪人を受け入れ、彼らと食事をし、彼らの家に泊まり、弱い者を助けることを知っていました。だから、この女の罪も赦そうとするに違いない!――そうすればモーセの律法に背くことを教えたとしてイエスを捕らえることができる、と計画しました。イエス・キリストの優しさが彼の弱点だと考えたのです。
8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。

2.人々の罪

 イエス様の対応は、
8:6 しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
 何を書いておられたのか分かりません。ただ言えることは、イエス様は沈黙されたということです。律法学者たちを無視されました。そのようなことに関わりたくないかのように振舞われました。しかし、それは彼らに考える時間を与えるためだったのかもしれません。
 律法学者たちは執拗に問い続けます。イエス・キリストを囲んで、彼らの声は段々と大きくなり、怒号となっていったことでしょう。・・・異様な雰囲気だったはずです。そのときイエス・キリストは立ち上がり、彼らに答えられました。
8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

 たった一言でした。そしてまた地面に文字を書き続けられました。驚くことに、この一言だけで人々は退散して行きました。一人も残らなかったのです。
8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

 彼らが退散していった理由が分かるでしょうか?・・人の罪をさばくことばかり考えていた律法学者たちが、自分自身の罪の問題に目を向けなければならなくなってしまったからです。彼らは裁判官のような立場でしたから、人の罪を指摘し、罪を裁き、刑罰を与える人たちでした。常に人をさばく側にいたのです。そして自分たちは律法を守っているという自負があったので、自分が罪人だなどと考えもしなかったのです。その彼らが、「この女は死刑に値する罪を犯した・・」と差し出した指を、主イエスのことばによって自分自身に向けることとなったのです。「はたして自分には罪がないと言えるのか?」答えは明らかでした。罪のない人間は誰一人いないのです。
 私たち人間は時として隣人のことばかり裁いてしまい、自分のことに目を向けません。
ルカ 6:41 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。」
 イエス・キリストのことばはその愚かさに気づかせてくれるのです。

 年長者から立ち去っていったのは興味深いことです。長く生きていればいるほど、犯した罪も多く自分の罪深さを知っているからです。どれほど立派な人でも、優れた人でも、弱さがあります。信仰の偉人であったダビデ王様が犯した失態は、姦淫の罪でした。連戦連勝を続けていたダビデ王は、エルサレムに残り、ウリヤの妻バテ・シェバの入浴姿を見たとき誘惑に落ち、「その女と寝た。」(Uサムエル11:1−5)のです。
 士師記に登場するサムソンは最強の力持ちでしたが、彼も女性に弱く、それがもとで堕落し、神様からいただいた賜物を台無しにしました。また、十二弟子の一人、イスカリオテのユダの弱さはお金でした。盗み癖が彼を死に追いやってしまいました。初代教会にはアナニヤとサッピラというクリスチャン夫婦がいました。彼らは家と土地、持ち物を売ってすべてを教会に献金しようとしました。しかしいざ献金する時になって、少しは手元に取っておこうと相談し、「これがすべてです」と嘘をついてささげました。
5:3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
5:4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5:5 アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
5:6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
5:7 三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずに入って来た。
5:8 ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です」と言った。
5:9 そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
5:10 すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。

 罪の恐ろしい性質は、罪を繰り返していく時に罪と感じなくなることにあります。泥棒でもギャンブルでも最初は少しから始まります。しかし段々と麻痺していきます。そしてそれは麻薬のように止めることができなくなるのです。


 ひとりのアメリカ人宣教師が、子どもたちのための集会で次のように話されました。「罪はゴキブリホイホイです。」そして画用紙に「」の漢字を書いて説明されました。「上の部分はゴキブリホイホイの箱です。そして下の部分は捕まったゴキブリです。ゴキブリは箱に捕まるともう逃げることが出来ません!」そして「私たちの罪もおなじです。罪に捕らえられてしまったら、逃げ出すことができなくなってしまいます。そして死ぬのを待つだけです。」・・・その通りです。だからイエス・キリストの救いが私たちに必要なのです。罪の中に死んでいた私たちを罪から解放し、復活のいのちによって新しい生き方を与えてくださるからです。ローマ人への手紙では「私たちは罪の奴隷であった」と教えています。鎖につながれ罪に仕えることしか出来なかった私たちのその鎖を、十字架の血によって打ち砕き、解放して下さいました。それゆえ、キリストを信じる人は罪を赦され、永遠のいのちを与えられるのです。

3.女性の赦し

 女を連れて来た者たちはだれもいなくなりましたが、イエス様だけはそこにおられました。
8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

 イエス様は「わたしもあなたを罪に定めない」と言われました。そのことばに女性は救われたと思います。悪いことだと知っていながら生きるために仕方ないとあきらめ、罪の内を歩んでいた彼女が、捕らえられ、白昼のもとに引きずり出されて辱めを受けたとき、自分のしてきた罪を心から悔いたのではないでしょうか?死刑で当然。そう彼女は腹をくくっていたはずです。その女性に対するイエス様のことばはなんと哀れみに満ちているのでしょう。

「わたしもあなたを罪に定めない」しかしそれで良いのではありません。「今からは決して罪を犯してはなりません。」と命じられました。それは彼女のいのちだけでなく、彼女の人生を救うために必要なことばでした。イエス・キリストが与えられる赦しは罪を容認するものではありません。私たちが罪を赦されたことを感謝し、犯してきた罪を悔い改めて、神様の御心の中に歩むことを願っておられるのです。

 12節は説教の締めくくりにふさわしい御言葉です。
8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 あなたの手の中には隣人をさばくための石がありますか?もし持っておられるなら、今日、イエス様のことばを聞いて、石を捨て去ってください。主は言われます。「わたしもあなたを罪に定めない」
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