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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書 12章1-11節「ナルドの香油」


 12章は、過越の祭りの六日前にイエス・キリストがベタニヤへ来られたところから始まります。それはイエス様が十字架に架けられる一週間前でした。ベタニヤという町はエルサレムのすぐ近くにあり、ラザロをよみがえらせた場所でした。瞬く間にこの話はその地方に広まり、多くの人々を信仰に導きました。しかし同時に反対者たちのねたみを増幅させ、指導者たち、祭司長たちからイエス・キリストは指名手配され、いのちを狙われることとなりました。
 その様な状況の中で、イエス・キリストは犯罪者のように逃げ回るのではなく、ご自身が天から地上へ来られた最大の目的のためにエルサレムへ向かわれます。人々の罪を背負い、身代わりとなって死なれるためです。イエス様の目は常にエルサレムへ、十字架へ向けられていました。エルサレム入城される前に、イエス様はもう一度ベタニヤを訪れました。
12:1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。

 ベタニヤの人々はイエス・キリストを歓迎し、晩餐を用意しました。「ラザロをよみがえらせた偉大な救い主が再び来てくださった!」と喜び、おそらく盛大な食事会であったでしょう。著者ヨハネは晩餐で出された食事のメニューには何も触れず、私たちの注目をマリヤが取った行動に向けさせます。
12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
12:4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
12:5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

 ナルドの香油は現在でも手に入れることが出来ます。スパイクナードと呼ばれ、販売されています。スパイクナードは植物の根っこから抽出され、主な産地はネパールの海抜3300〜5100m、ヒマラヤの地です。香りの説明では「松やにの香り、土の湿った香り」とありますから、現代の甘い香水に慣れている私たちはあまり期待しないほうがよいかも知れません。アロマオイルとして販売されており、ストレスや緊張をほぐす効果、また殺菌、消臭作用があります。現在でも高価なものですが、イエス様の時代には外国からの輸入品であり希少品としてかなり高価な物だったようです。「300グラムー300デナリ」と聖書で説明されています。1デナリはほぼ一日の労働賃金ですので、マリヤがこのときに使用した300グラムのナルドの香油は、サラリーマンの年収に値するものだったのです。それを一度に使ったのですから、その場所に居たイスカリオテのユダが、マリヤのこの信じられない行動を非難したのです。「なぜ、この香油を300デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか!」おそらく他の弟子たちもユダの言葉に同意したのではないでしょうか。「もったいない!」「何と無駄なことをするのか!」と。しかしマリヤがささげたナルドの香油は、私たちに大切なことを教えているのです。

A.イエス様がどれほど価値あるかたかを示している
 マリヤはイエス様に香油をすべてささげる事が無駄ではないと知っていました。なぜなら、マリヤはイエス様がどういう御方なのかを知っていたからです。彼女は常にイエス様が語られることばをしっかり聞いて心に留めていました。イエス様が行なわれるしるしを見、そして死んでしまった兄弟ラザロを目の前でよみがえらせていただきました。イエス様こそイスラエルが待ち望んでいたメシアであると信じ、疑いませんでした。ですから、高価なナルドの香油を一度に注いでも、もったいないとは思いませんでした。持てるものすべてをささげたとしても無駄ではないと。

B.イエス様の十字架と葬りを示している
12:7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
12:8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」

12:9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
12:10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
12:11 それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。


 イエス様はマリヤが取った行動を否定されませんでした。それどころか「マリヤはわたしの葬りの日のためにそれを取っておこうとしていたのです」と言われ、「もったいない」と思っている人々の考えを訂正されました。マリヤだけはこれから起こることを理解していました。イエス様が受けられる十字架の苦しみ、死、そして葬りと復活を。それで彼女はイエス様が葬られるときのためにナルドの香油を準備しておこうと心に決めていたのです。その当時、遺体には香油やもつ薬を塗って埋葬しました。マリヤが用意したナルドの香油はイエス様の葬りのためだったのです。
 12弟子たちでさえ理解できなかったことをマリヤは信仰によって理解していました。それは、イエス様が話をされているときにマリヤはそばを離れず、イエス様のことばの一つ一つを注意深く聞き、信じて疑わなかったからです。姉のマルタからは「妹は座ってばかりいて手伝いもしない」と文句を言われました。けれどイエス様は「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」とマリヤの行動を擁護されました。

C.心からの礼拝と奉仕を示している
 マリヤはイエス様がこれからエルサレムへ上り、苦しみを受けられ、葬られることを理解し、イエス様のために自分ができることをしようと決心しました。マタイとマルコ福音書では「イエス様の頭に油を注いだ」と書いてあり、ヨハネ福音書では「足に塗った」とあります。そして、彼女は自分の髪の毛でイエス様の足に塗ったナルドの香油をぬぐいました。髪の毛は女性の光栄であり、女性の尊厳です。その髪の毛で香油と足の汚れをぬぐうことは、まったき献身であり、心を注ぎ出した行為です。ナルドの香油をささげ、髪の毛でぬぐう事によってマリヤはイエス様に対して自分が出来る限りの心からの礼拝をささげ、奉仕をしたのです。
 ヨハネはこの福音書で、読者である私たちが神の御子イエス・キリストを信じるために記事をまとめています。その目的のため、イエス様が行なわれたしるしと語られたことばを綴っていますが、唯一、イエス様に対してささげられた礼拝と奉仕として「ナルドの香油」のこの記事は光り輝いています。

 ナルドの香油は、受難を目前に控えたイエス様を励まし、慰めただけでなく、その香油は香りを放ち、晩餐の席を満たし、その場にいたすべての人たちも、その香りに包まれました。強烈な香りの記憶はその状況と共に私たちの心に深く刻まれるものです。その場にいた人々はイエス様にささげられたマリヤの礼拝と奉仕、そしてナルドの香油に満たされたこの出来事を生涯忘れることがなかったでしょう。
 その後、イエス様がエルサレムへ入城されたときも、捕らえられ裁判にかけられたときも、そして十字架に架けられたときも、ナルドの香油はイエス様の全身からその香りを放ち、ささげられた礼拝を思い出させ、主の受難の苦しみを癒したでしょう。マタイとマルコ福音書では主イエスの次のことばを記しています。
「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」マルコ14:9

 マリヤは主の葬りのためにナルドの香油を準備し、惜しみなく用いました。私たちも主のために出来る奉仕があります。高価な物をささげることもその一つでしょう。しかし、霊とまことによる礼拝に勝るものはありません。
※律法の規定では、香をたいてささげることが命じられていました。それは全能の神に対する礼拝の一部でした。従って、今日の聖書箇所の隠されたテーマは「礼拝」なのです。

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