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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書14章16-27節「もう一人の助け主」


一、三位一体の神


 聖霊は聖書の中で「御霊」「きよい霊」「神の霊」とも呼ばれています。イエス様が天に帰られてから約10日後の五旬節(ペンテコステの日)に聖霊が下り、教会の歴史が始まりました。その日の出来事が使徒の働き2章に記されています。
使徒2:1-4 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
 教会の歴史の中で、聖霊についての論争は絶えず続いてきました。AD381年に召集された第一コンスタンティノープル公会議において三位一体の教義が確立し、父なる神、子なるキリスト、聖霊は一つであり、神は三つの位格を持たれると広く信じられるようになりました。そしてこの教義から外れたキリスト教を異端と呼ぶようになりました。

 確かに三位一体の教義は、理解しにくいものです。「神はおひとりです」と宣言しつつ、イエス・キリストも神、聖霊も神、というのは納得できない方も多いでしょう。しかし、神様は人間がそれを理解できるように、神様が造られた被造物を通してご自身の三位一体を示されていると思います。

●神様が創造されたこの地上にあるすべての物質は3つの姿を持っています。固体、液体、気体です。地上で観測することが不可能なものもありますが、理論的にはすべての物質には三つの姿、三つの相があります。氷は形があり、目で見て手で触れますが、融けて水になると形がなくなります。水蒸気になると見ることも触ることもできません。三位一体の神と似ているのです。
●人間も神の御姿に似せて造られましたから、神の三位一体を示しています。人間は体と霊と魂から成ります。体は目に見え手で触れますが、霊と魂は見ることも触ることもできません。しかし確かにあります。魂のない人間はただの人形でしょう。霊のない人は生きているだけで、人ではありません。
●以前、「神は光です」と学びましたが、光と熱と電磁波の関係を調べると、これも三位一体の神とよく似ています。周波数の違いにより見えるようになったり見えなくなったり、感じられたり感じられなくなったりします。また、その永遠性も神の存在と似ています。
 ですから、三位一体の神を理解しようとするなら、神様が創られた自然自体がそれを教えていて、だれもが理解することができるのです。

二、旧約聖書における聖霊の働き

 聖霊が最初に登場する聖書箇所は、創世記1章1-2節です。
創世記1:1-2 初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
 創造の初めから「神の霊」は神とともにあり、神とともに働くお方として記されています。また、旧約聖書には預言者たちに神の霊が下ると、彼らが預言を始めたという記事があります。ですから預言者として立てられた人の事を「神の霊が宿っている人」と呼んでいます。聖霊によって預言のことばが預言者に与えられて聖書は成立してきたのです。

三、約束された聖霊

 イエス様は聖霊が与えられることを約束されました。そのとき、聖霊のことを「もう一人の助け主」「真理の御霊」と呼ばれています。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、
真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」
14:22 イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現そうとしながら、世には現そうとなさらないのは、どういうわけですか。」
14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
14:25 このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
14:26 しかし、
助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
※「助け主」は新共同訳では「弁護者」と訳されており、法廷において私たちの弁護をしてくださるお方、味方になって弁明してくれる人、という意味のギリシャ語(パラクレートス)です。(英語ではHelper)
 最後の晩餐の席でイエス様は12弟子たちに愛を示し、彼らを励まされました。後に彼らが通らなければならない苦しみや迫害を知られ、その時に備えて彼らを教えられました。18節で、「あなたがたを捨てて、孤児にはしません」と語られました。弟子たちにとってイエス様はまさに親のような存在だったでしょう。イエス様がいなければ何もできず、イエス様が頼りでずっと付いてきたのです。「イエス様、食べる物がありません、パンが五つと魚が二匹だけです。・・・イエス様、風が強くて舟が沈みそうです、助けてください・・・」と。カルガモの子が親の後を並んで付いていくように、イエス様の後について12弟子たちは歩いてきたのです。そのイエス様が天に帰られたなら、弟子たちは孤児のように途方に暮れたでしょう。しかし、イエス様は彼らのことを「孤児にしない」と約束されました。「もう一人の助け主を父なる神が遣わしてくださる」と約束されました。

四、内住される聖霊

 その聖霊は17節によると、「あなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられる」と言われ、聖霊なる神が一人一人の弟子の中に住んでくださることが約束されています。聖霊が住んでくださるということは、つまり三位一体の神が人のうちに住んでくださるということです。ですからイエス様が「わたしはあなたがたを孤児にはしません。わたしはあなたがたのところに戻ってくる」と言われたのは再臨のことではなく、「聖霊と共にキリストもあなたのうちに住まれる」という霊的真理を示されています。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

 23節では、人の中に三位一体の神が住んでくださるために、一つだけ条件が与えられています。それはイエス・キリストを愛することです。キリストを愛し、キリストに従う者にだけキリストは住んでくださるのです。このことを私たちキリスト者は重く受け取らなければならないでしょう。形だけの信仰や家の宗教ではなく、イエス・キリストを心から愛することこそ本当の信仰だと言えるのです。ですから、キリストを愛さない人に聖霊はわかりません。イエス様が共に居てくださるということがまったく理解できません。しかし、イエス様を愛する人にはそれがわかるのです。これは神の知恵によることです。

 神が人のうちに住まれるという真理はなんと素晴らしいのでしょう。聖書の多くの箇所がこの真理を教えています。パウロは次のように記しました。
ガラテヤ 2:20 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
Uコリント 5:17 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 聖霊を与えられることによって私たちは新しく生まれます。かつての罪の中に生きていた自分から、神様の恵みと祝福の中を歩む者に変えられるのです。そして与えられた聖霊は決して取り去られることがありません。聖霊が取り去られないという約束は、教会時代の特徴でもあり、教会時代が「聖霊時代、恵みの時代」とも呼ばれる理由となっています。そしてクリスチャンはこの神様の恵みの管理者としてふさわしく歩むことが求められています。
Tコリント 6:19-20 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
 人があなたを見て、「確かに神がこの人と共におられる」と証言するなら、それは神様の栄光となります。

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