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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書17章6〜26節「大祭司の祈りU」

 今朝の聖書箇所は先週に引き続いて最後の晩餐の席でのイエス様の祈りです。大祭司の祈りと呼ばれている祈りです。著者のヨハネはこのイエス様の祈りをとても重要視して記していると感じます。それはイエス様の宣教活動の締め括りのことばとして、そして最後の祈りとしてまとめているからです。

一、福音宣教をゆだねられる大祭司


17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
17:7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。
17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。

 成すべき御業を成し遂げ、語るべきことばをすべて語り終えたとイエス様は言われました。父なる神様から受けた使命をすべて終えたという達成感のあることばとなっています。そしてイエス様の働きを通して弟子たちは主の御言葉を信じ、イエス・キリストが天から来られたことを理解し、そして永遠のいのちを持ち、神様のものとなったと祈られました。

二、私たちのために祈られる大祭司

 イエス様はご自分が十字架の贖いを成し終えて天に帰られることを知っておられましたので、すぐ後にくる聖霊時代における福音宣教の働きを弟子たちに託されました。それでイエス様は彼らのために祈られました。「わたしは彼らのためにお願いします」・・これから使徒として彼らがどんな困難にも負けず、働いていくためでした。そして弟子たちの福音宣教を通して救われるクリスチャンたちのために同じ内容のことを祈られました。ですから、このイエス様の祈りはあなたのために祈られた祈りでもあるのです。
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
17:12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
17:13 わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。
17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
17:24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
17:26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」
 イエス様は使徒たちのために、また私たちクリスチャンのためにどのようなことを祈られたでしょうか?イエス様の祈りと願いを知るなら、私達が何を求めて祈ったらいいのか、そしてどのように信仰者として生きていったらよいのかを知ることができます。イエス様の祈りから次の三つを挙げることができます。
 1. 御名の中に彼らを保ってください
 2. 悪いものから守ってください
 3. 聖め別ってください
ひとつずつ、注意深く見ていきましょう。

1. 御名の中に彼らを保ってください
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
 「御名の中に保つ」とはどういう意味でしょうか? 同じ意味で語られているのは「一つになる」ということです。21節以降も私たちが「一つになる」ことを願ってイエス様は祈っておられます。また、「御名の中に保つ」ことの理解の助けになるのは、「御名のもとに集まる」です。
マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

 イエス様の御名のもとに集まり、心を一つにして祈ることが語られています。それは同じ信仰を持ち、同じ希望と祈りを持って主の体である教会に集まることです。共に心からの礼拝をささげ、共に賛美をささげ、共に祈り、共に交わりを保つことです。同じように「御名の中に保たれる」ということは「神の家族として一つとなって生きる」ということです。その偉大な模範として、父なる神とイエス・キリストが一つであることを例として挙げられており、同じように彼らが一つとなるようにと願っておられます。

 クリスチャンたちが神の家族として仲睦まじく集う教会ーーが理想の教会です。互いに愛し合い、励まし合い、主にある豊かな恵みを分かち合う教会、そしてその中心にはイエス・キリストがおられ、心からの礼拝を共にささげる教会は、天国に最も近い場所だと言えるでしょう。

 ただ、実際の教会には多くの問題があることも現実です。教会に集われる人には、大人もいれば子供もおり、老人もいます。男性も女性もいて、育った環境や性格も趣味も違います。教会によっては様々な国籍のかたも集われています。当然、習慣の違いがあるでしょうし、考え方の違いがあります。信仰のことを言うなら、聖書解釈が違ったり、伝道方針が違ったりもします。仲たがいがあり、つまずいたりして、なごやかに交わることができないときがあります。百人集まるときに百人がみな同じ意見を持つことは奇跡に近いでしょう。理想の教会との違いにつまずいてしまう人もいます。教会につまずくくらいなら共に集まることをやめたいと思う人もいます。そのようなときには、イエス様が「御名の中に保ってください」と祈られたことを覚えましょう。私たちは同じ信仰を持って生きています。同じ御霊をいただいています。同じイエス様を信じています。イエス様を愛するように互いに愛し合おうとするなら多くの問題は必ず解決できるはずです。愛はすべての結びの帯であり、私達が一つとなるために新しい戒めとしてイエス様が与えられたのです。御名の中に保たれるために、まず、私達は御名のもとに集まることから始めましょう。そこから教会が始まります。

2. 悪いものから守ってください
17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
 ここで言われている悪い者とは誰でしょう? まず第一にそれはこの世の権威を持つ悪魔です。私たちが戦うべきは人間相手ではなく、悪魔や悪霊と戦う霊的な戦いであると記されています。悪魔の攻撃に屈することなく、その策略を見抜き、霊的な勝利を得ることができるように祈るべきです
エペソ6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


 第二に、悪い者とは迫害者です。しかし迫害者に対して武器を取って戦うのではありません。私たちは彼らを愛して彼らのために祈ることが命じられています。イエス様の祈りは「守ってください」ということでした。実際のところ、ヨハネ以外の使徒たちは皆、迫害者によって殉教の死を遂げました。しかしイエス様の祈りが聞き入れられなかったのではないはずです。この世のいのちが守られることも大事ですが、それ以上に、弟子たちがこの世のものでないことを理解し、迫害者によってこの世の命がとられるときに至っても、その信仰が支えられ、天国の希望を持って平安を保つことができるように祈っておられるのだと思います。彼らは殉教しましたが、主から与えられた福音宣教の使命を十分に果たすことができました。彼らの働きのゆえに福音が今、全世界に広がり私たちのところにも届いたのです。

3. 聖め別ってください
17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
 他の日本語訳では「彼らを聖別してください、聖なる者としてください」と訳されています。神様の御心は私たちが聖い者となり、聖い生き方をすることです。
 「真理によって聖め別ってください」ーーその真理とは「みことば」ですから、聖書のことばによって私たちがこの世の罪やけがれから遠ざかり、主に遣わされた者、世の光として輝いた生活をすることをイエス様は祈られています。
エペソ5:26-27 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
 「みことばにより、水の洗いをもって」ーーつまり聖書は私たちの心と良心を洗い清めることができるのです。もし、御言葉を読まなければ、救いをいただいていても私たちの心はこの世のけがれに汚染されてしまいます。そして私たちはイエス様にとって役に立たない者となってしまいます。最後の晩餐の席で、イエス様が弟子たちの足を洗われたのは、このことを象徴しています。
ヨハネ13:8ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」


 この世にくっついているのは足だけであり、足だけが汚れていきます。その足をイエス様によって洗ってもらう必要があるのです。
 確かにこの世界で生きていくときに、私たちは全く聖いことにしか関わらないと決心しても、必ず汚れたものを見聞きすることになります。性的な堕落を助長する雑誌やテレビ番組があり、見たくなくても目に入ってしまいます。社会に出ていくなら、人を差別する言葉や暴力的な言葉、卑猥な話を聞いてしまいます。全く関わりたくないというなら私たちはこの世から出ていかなければなりません。しかしそれは神様の御心ではありません。ですからどうしてもこの世の中で生きていくとき、私たちの良心は次第に汚れてしまうのです。この世とくっついている足がだんだんと汚れていくのです。だからその汚れを洗ってきれいにしなければいけません。イエス様はそのために象徴的に弟子たちの足を洗われました。今、私達は聖書の御言葉によって汚れた足を洗うのです。

 エペソ4章(1-4、13-16、22-32)は今朝のイエス様の祈りを、私達の生活に適応したような聖書箇所です。
4:1-4 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

4:13-16 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

4:22-32 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

 
あなたのために祈られたイエス様の祈りと願いを知って、私たちも同じ祈りと願いを持ち、その御心に従って歩みましょう。

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