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心に響く聖書の言葉


ヨハネによる福音書18章12-27節「主を否定したペテロ」


 ゲツセマネの園にてイエス・キリストは捕えられました。そこで著者ヨハネが私たちに示そうとしたのは、イエス・キリストは自ら進んで捕えられ、十字架への道を歩まれたということでした。またゲツセマネの園は、肉にある人間の弱さを示していました。誘惑や試練に会うとき、私たちは愚かな判断、行動をしてしまうものです。本日の聖書箇所ではイエス様の一番弟子であったペテロの弱さが記されています。

1. 写本上の問題

18:12 そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕らえて縛り、
18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
18:14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
18:15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。
18:16 しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れて入った。
18:17 すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。
18:18 寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。

 聖書のことばは神の霊感によって書かれた、全く誤りのない神のことばです。ただし、それは、最初に書かれた原典においてのみそうであり、原典を書き写した写本には極わずかですが、所々誤りがあることも認めなければなりません。現存する新約聖書の写本は部分的なものも含めると5300以上に上り、それらには相違があったり、文字の脱落や付け加えがあったりします。基本的な考え方は古い写本ほど信憑性が高いとされていますが、100パーセント原典と同じということではありません。ですから原典が失われてしまった現在では、原典を完全に復元することは不可能です。
 また、翻訳の問題も避けられません。新約聖書が書かれたギリシャ語を日本語に翻訳する場合、言葉のニュアンスや意味がずれてしまうことは止む終えません。それでも現在、私たちが持っている日本語訳聖書は神のことばとして間違いなく十分な真理を伝えています。

 どうしてこのようなことを書いたのかと言いますと、ヨハネによる福音書で記されているイエス様の裁判記録が問題となるからです。ヨハネによる福音書では、まずアンナスのもとへイエス様は連れて行かれ、そこで裁判を受けられたことになっています。そしてその後に大祭司カヤパのもとへ連行されています。しかしカヤパのもとでの裁判記録はありません。ここで問題となるのは、
@ 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、アンナスによる裁判の記事はなく、イエス様は大祭司カヤパのもとでのみ裁判を受けたことになっています。
A ヨハネによる福音書では、13節でカヤパのことを大祭司と記しているのに、19節ではアンナスのことも大祭司と呼んでいます。大祭司が二人いることはありません。
B アンナスの前で裁判が開かれたとするなら、その後、大祭司カヤパのもとでも再び裁判があり、夜が明けて議会が再び招集されて判決が言い渡され、その後、ローマ総督ピラトによる裁判が開かれたことになります。処刑を急いでいた祭司長や律法学者たちがそのような手間をかけるとは考えにくい。
 この問題の解決策として挙げられるのは次の二つです。
@アンナスは前任の大祭司であったので、ヨハネはアンナスに敬意を払って大祭司と呼んでいるか、退職後も依然として民衆に大祭司として受け入れられていたので大祭司と呼んでいる。(参照;ルカ3:2、使徒4:6)それで祭司長たちは当時でも権力のあったアンナスの前にまずイエス様を連れて行った。(しかし、「ことば」にこだわって福音書を書いたヨハネが、大祭司でない人を「かつて大祭司であった」という理由で「大祭司」と書くとは思えません。)
A写本の文章の位置が入れ替わっているため。1892年にシナイで発見された古いシリヤ語訳写本は4-5世紀の写本ですが、この聖書箇所が組み替えられていて、24節「アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った。」が13節の直後に来ています。(ただしこの写本では他の箇所でも組み換えがあるので要注意ですが)また、後期のギリシャ語写本でも同様の写本がありますが、それらは時代的に新しい写本であるため信憑性が十分でなく、採用されていません。しかし、もしそれらの写本の順序に従って、24節を13節の後にするならすべての問題が解決します。裁判はカヤパのもとで行われたということで福音書すべてが一致し、ヨハネも一貫してカヤパが大祭司であると呼んでいることになります。

2. 大祭司の裁判

 いずれにせよ、大祭司の前でイエス様は裁判を受けられた、ということで本題に入っていきたいと思います。
18:19 そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。
18:20 イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。
18:21 なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」
18:22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。
18:23 イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」

 大祭司の尋問に対してイエス・キリストはほとんど答えておられません。弁解、弁明を避けておられるように受け取れます。それは旧約聖書の律法に従ってのことでしょう。律法の中に、裁判において証言するのは本人ではなくて、二人か三人の証言者によるという規定があります。
申命記19:15 どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。
 ですからイエス様は、質問をする大祭司に向かって、「なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか?」と質問で返されているのです。そばに立っていた役人は「大祭司にそのような答え方をするのか!」といって平手打ちをします。この役人の言葉と行動に私たちは注目すべきです。というのは、役人は自分が平手で打ったお方がどういうお方かを知りませんでした。彼が平手で打ったお方こそ真の大祭司でした。イエス・キリストは永遠の大祭司であり、神様と人をとりなすお方です。このとりなしの働きを啓示するために、人間の大祭司が一時的に立てられたのです。その人間の大祭司の権威を認め、その権威を尊重することは大切なことです。ですから役人が取った行動は全くの間違いではありませんでした。しかし、彼は目の前にいるお方が真の大祭司だと知らなかったのです。もしもこの役人が、霊的な目が開かれて、自分の目の前にいるお方が聖なるお方、全能の神、メシアであることを知ったなら、役人の行動は全く変わっていたでしょう。彼は即座にキリストの足元にひれ伏し、礼拝したことでしょう。

3. ペテロの弱さ

 裁判の記事と並行してペテロのことが記されています。ゲツセマネの園でイエス様が捕えられたとき、ペテロも逃げてしまいました。しかし、彼はもう一人の弟子と共に身をひそめながら人々の後をついていきました。もう一人の弟子が誰であるのかは明らかにされていませんが、おそらく著者ヨハネ自身であると考えられています。ただ、ガリラヤの漁師であったヨハネが大祭司の知り合いだとは考えられないという意見もあります。
18:25 一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った。「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」ペテロは否定して、「そんな者ではない」と言った。
18:26 大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」
18:27 それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。

 ペテロはイエス・キリストの弟子であることを三度否定しました。彼はイエス様に「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」マルコ 14:29「あなたのためにはいのちも捨てます」ヨハネ13:37 と言った通り、ほかの弟子がどうあれ、自分はイエス様についていくという覚悟があったのでしょう。一度は逃げ去ったものの、隠れながら群衆とイエス様についていったのは、事と次第によっては自分もイエス様と共に死のうという覚悟を持っていたのかもしれません。だからこそ、たき火に当たりながら、周りの人に気づかれそうになった時には、「こんなところで捕まっては話にならない、この場は何とか切り抜けよう」という思いから、「イエスの弟子ではない、そんな人は知らない」と否定したとも考えられます。

 このようなことは実際に私達にも起こってくることだと思います。たとえば、現在、中国で聖書が足りないので、聖書を隠し持って中国へ入り聖書を届ける人たちがいます。もしあなたがその働きに参加するとします。空港の入管で「何の目的ですか」と聞かれたとき、「観光です」と答えるでしょう。しかしそれは本当ではありません。本当の目的は聖書を届けること、「宣教」です。しかし、「宣教」と答えるなら中国へ入れてはもらえません。
 ペテロの答えは「宣教」と答えることのできない私たちと似ているのかもしれません。こんなところで捕まってはイエス様のために働けないという思いです。そのために嘘をつきました。主を否みました。鶏が鳴いた時に、彼はその不信仰を示されました。主イエス様を裏切ったという自分の弱さに情けなくなりました。彼は外に出て行って激しく泣いたと他の福音書は記しています。ペテロの生涯の中で、もっとも自分自身の弱さに愕然とし、絶望した瞬間であったに違いありません。

 このペテロの記事が、イエス様の裁判の記事と並行して記されています。著者ヨハネはあえてそうしたのだと思います。それはイエス様が裁判にかけられていると同時に、ペテロも裁判にかけられていたということです。「あなたはイエスの弟子なのか?」・・そう尋問されていたのです。ペテロは「そんなものではない。」と三度、嘘の証言をしました。しかし、神様の恵みはペテロの上にあふれました。イエス様は復活されたとき、絶望と罪悪感に沈んでしまったペテロを生き返らせます。(21章)

 ヨハネがこの福音書を書いた目的は、私たちがイエス・キリストを信じて永遠のいのちを持つためでした。そしてもう一つの大切な目的は、信じた私たちが、たとえ弱さのゆえに罪を犯しつまづいたとしても、再び信仰によって立ち上がり、イエス様の弟子として歩むようになるためです。
 ペテロが三度主を否むその前に、イエス様はペテロに次のことばをかけておられました。
ルカ 22:32 「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 イエス様はペテロの弱さを知っておられました。ペテロが自分を否むこともご存知でした。それでも彼を見捨てず、彼を励まし、使徒として用いられました。ペテロと同様、弱い私たちですが、そのような者にも恵みとあわれみを注いでくださり、尊い器として用いてくださるイエス様に心から感謝いたします。

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