マタイによる福音書12章38-50節 「悪い姦淫の時代」

 前回はベルゼブル論争から学びました。イエス・キリストが聖霊によって悪霊を追い出しているのを見ながら、それをベルゼブルの力だと冒涜する人は、決して赦されないことを学びました。彼らの心が悪に傾き、悪魔の心と同じになっているからです。それゆえ34節で「まむしのすえたち」と彼らを呼ばれています。パリサイ人たちの不信仰の陰には悪魔の働きがあります。だからと言って、人はその罪の責任から逃れることはできません。人の心が悪いから汚い言葉が口から出てくるように、心が悪いから悪魔に支配されてしまうのです。

1.ヨナのしるし

12:38 そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
 そのパリサイ人等が、「先生、しるしを見せていただきたい」と丁寧な口調で求めます。彼らの目的はイエスを訴える口実をさらに得るためでした。形だけの謙遜を装い、「あなたが本当にメシアならしるしを見せてほしい」というのです。以前学んだことを思い出すでしょう。それは悪魔がイエス様を誘惑した時のことばです。「あなたが神の子ならこの石をパンに変えてみよ」・・パリサイ人等の言葉の背後には、悪魔と悪霊の働きが潜んでいることが明白です。

 イエス様の答えは39節−40節です。
12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
12:40 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
@悪い姦淫の時代はしるしを求める ・・・・パリサイ人たちの心の悪を指摘しながら、邪悪な心は神を求めず、不思議なことを求めるようになると教えられます。「神がいるというなら奇跡を見せてくれ」・・神を信じたくない人の常です。
A預言者ヨナのしるし以外は与えられない
 旧約聖書の中にはたくさんのしるしの記事が記されています。なぜ、預言者ヨナのしるしだけなのでしょうか?
ヨナのしるしの特徴は、
◎大きな魚に飲み込まれ、三日三晩の後に吐き出されて、彼は二ネベの町へ宣教に行きました。これはイエス・キリストの復活のひな型です。
◎このしるしはアッシリア帝国の首都二ネベのためのしるしでした。聖書中の他のしるしはイスラエルのため、信仰者のためですが、ヨナのしるしだけは違います。異邦人のためであり、その堕落と不信仰のゆえに裁きを宣告されていた二ネベの人々のためでした。
 この二つの特徴を踏まえて、主イエスは語られているのでしょう。つまり、ここで宣言されていることは、「邪悪なパリサイ人たちのために私はしるしを行わない。ただ、ヨナのしるしと同様、邪悪な人々のためにしるしとして私は墓の中から三日目によみがえる」ということです。
12:41 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
12:42 南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。

 邪悪な二ネベの人たちはヨナの宣教で悔い改めました。異邦人であるシェバの女王はソロモン王の知恵を聞くために遠くからやってきて信じました。ヨナよりもソロモン王より偉大なキリストを見ても悔い改めない人は必ず裁かれるのです。
※通常、神のしるしは救いを求める人々や信仰者のために与えられています。参照;ヨハネ 14:11 「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」

2.汚れた霊

12:43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
12:44 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
12:45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
 再び汚れた霊についての主の教えをマタイは記しています。救い主キリストが来られ、神の国を宣べ伝えられ、イスラエルの人々から悪霊を追い出されました。汚い部屋がかたずけられ、空っぽになった状態です。しかし、その部屋に救い主をお迎え入れしなければ、再び悪霊が押し寄せてくると語られています。これはイスラエルの歴史が証明しています。彼らは救い主を受け入れなかったゆえ、40年後にはエルサレム神殿はローマにより破壊され、イスラエル人は世界中に散らされて1900年近く流浪の民となりました。1948年にイスラエル国再建以降、現在も彼らはイエス・キリストを受け入れず、ユダヤ教の中でがんじがらめの生活をしています。イスラエルの不信仰の背後には悪霊の働きが続いているのです。
※この箇所はクリスチャンに適応されることが多い個所ですが、イエス様の語られた対象はキリストを受け入れない人々です。「邪悪なこの時代」とは当時のイスラエル民族全体について言及されているようです。

3.わたしの兄弟、姉妹、母

@連れ戻しに来た家族 
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。
12:47 すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」
 
 イエス様の母マリヤと兄弟たちが訪ねてきます。彼らが訪ねてきた理由をマタイは記していませんが、マルコ福音書では書いてあります。
マルコ 3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。
 ヨハネ福音書では兄弟たちはイエスのことをメシアだと信じていなかったと書いています。
ヨハネ 7:5 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。
 母マリヤはイエス誕生の時に天使ガブリエルのお告げを聞いて感謝の祈りをささげたのではなかったでしょうか?イエス様が30歳になるまで共に生活をし、彼の正しさをいつも見ていたはずです。彼がカナの婚礼で行なうしるしを見ていました。それでも「あなたの息子は気が狂った、ベルゼブルに取りつかれている」と言う噂を信じてしまったのです。そして、兄弟たちと共にイエスを連れ戻そうとしました。イエス様の宣教の働きを止めさせようとしたのです。マタイはここにも悪魔の働きがあることを示そうとして、この記事を続けているのでしょう。母マリヤも兄弟たちも、悪いうわさによって不信仰になりました。そしてイエス・キリストの宣教の働きを止めさせようとしました。それは悪魔の目的と同じです。

Aイエス様の答え
12:48 しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」
12:49 それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
12:50 天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
 
 このイエス様の言葉は、両親や家族をないがしろにしていいという事ではありません。生きている限り、私たちは親、子供、兄弟、姉妹を敬い、愛するべきです。それは神の御心です。しかし、血のつながりよりもっと深い絆があることをイエス様は教えておられるのです。それは神の家族です。信仰による家族です。血のつながりは生きている間だけです。けれども、永遠の天国では驚くばかりの数の新しい家族がいます。それは永遠に続く神の家族です。血によってではなく霊によって結ばれた家族です。
 イエス様が「わたしの母、わたしの兄弟」と言って、手を差し伸べた先にいたのは、家も家族も捨ててイエスの宣教命令に従った12弟子たちと、彼をメシアと信じて救いを求めてきた心の貧しい人たちでした。彼らは信仰により神の家族となりました。
 私がクリスチャンになった時に、家族、親族一同に、大反対されました。私は反対があまりにも強くて心が折れそうになりました。自分の信仰を押し通すより、家族の意見に従って、自分が教会へ行くことを我慢すればいいのでは、とも思いました。しかしその時に、牧師に言われた一言で救われました。「あなたの家族のために一緒にお祈りしましょう」

 イエス様の宣教という視点から考えると、それは悪魔、悪霊との戦いであり、試練と誘惑の連続でした。私たちが福音を伝えようとするときも、同じように迫害があります。他人からの迫害なら耐えるのは難しくない。けれど家族や友人からの迫害はつらいものです。家族の反対や親しかった友が離れていくのはさびしいことです。その背後には、悪魔と悪霊が働いています。悪いうわさと伝え、誤った理解を与え、反対させます。そして私たちを神の愛から引き離そうとあらゆる攻撃を仕掛けてくるのです。しかし神の愛は私たちを取り囲んでいます。
ローマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


 私たちが悪魔と悪霊に対抗できるのは、みことばと祈りによってです。迫害を受けるときには後退のように思いがちですが、決してそうではありません。神様の栄光を現わすことが出来るときなのです。宣教のために労している人々には激しいサタンの攻撃があります。ですから宣教者の働きのために祈り、支援することは尊いことです。御国のための大きな前進です。その宣教の働きを止めさせてはいけません。