マタイによる福音書19章1-15節 「結婚、離婚、再婚」 並行箇所;マルコ10:1-15

19:1 イエスはこの話を終えると、ガリラヤを去って、ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた。
 イエス様は弟子たちを伴い、宗教指導者たちとの衝突を避け、しばらくの間、異邦人伝道(ツロ、ピリポ・カイザリヤ)をされ、そして高い山へ登られ、弟子訓練を続けられました。そしてカペナウムに戻り、そこから出発してエルサレムを目指されます。ペレヤ地方に着くと再び大勢の群衆が押し寄せ、パリサイ人等もやってきました。
※途中、サマリヤの町を通って(迂回された?)ペレヤ地方へ来られました。(ルカ9:51〜サマリヤ人は受け入れなかった。ルカ17:11〜 10人のらい病人の癒し 別の時期とするなら、イエス様は最後の旅行ではサマリヤの町を迂回されたことになります。)

1.離婚

19:2 すると、大ぜいの群衆がついて来たので、そこで彼らをいやされた。
19:3 パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」

 パリサイ人はイエス様に難問を吹っかけて、彼の人気を落とそう、陥れようとします。ペレヤとガリラヤの領主は、ヘロデ・アンティパスでした。ヘロデ王は、自分の兄弟の妻ヘロデヤを略奪して結婚したことをバプテスマのヨハネに責められたため、ヨハネを処刑しました。パリサイ人はイエスをも同じようにヘロデ王を非難させて処刑させようという企みもあったのかも知れません。
 離婚問題については、当時、パリサイ人の間でも意見の相違があり、大きな論争になっていたようです。
 申命記24:1 人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない
 このモーセの律法の「恥ずべき事」をどのように受け取るかで大きく二つに分かれていました。シャンマイ学派と言われる人たちは「姦淫の罪」だけと解釈しました。ヒレル学派は「気に入らなくなったら」を根拠に、ささいな理由でも離婚できると考えました。「作る食事がまずい」「掃除をしていない」でも離婚出来るとしました。当時は女性蔑視が強い時代でしたから、ヒレル派の解釈が多く受け入れられていたようです。

「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」・・つまり「ヒレル派が言うように、律法は理由があれば離婚を認めているのでしょうか?」という質問です。イエス様は、人間の創造時にまでさかのぼり、結婚の意義を説明するところから答えられます。
19:4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、
19:5 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
19:6 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」

 「あなたがたは聖書を読んだことがないのですか?」と言われました。パリサイ人は聖書の専門家です。モーセ五書すべてを暗記するほど熱心でした。この一言だけでパリサイ人は怒り心頭だったはずです。しかし、イエス様の真意は、「聖書を読めばわかるはずです」と言われているのです。創世記で、父なる神が男をはじめに造り、そのアバラ骨から女を造られました。そして男と女が結ばれることにより、再び一つの体となる、これが結婚の奥義です。神の創造のわざであり、結婚とは神が男と女を結び合わされることなのです。結婚の意義はそれほど偉大です。この奥義を理解するなら、離婚がいいのか悪いのかは明らかです。夫婦はどんなことがあっても離婚してはいけません。今の時代は結婚が尊ばれません。嫌なら別れなさいとカウンセラーは勧めます。それは全くの誤りです。自由を放縦と間違えています。

2.離婚の許可

 この主イエスの答えにパリサイ人は納得しませんでした。
19:7 彼らはイエスに言った。「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」
19:8 イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。
 主イエスの答えは、「モーセはあなたがたの心がかたくななので許した」です。つまり、本来離婚は許されるべきではありません。しかし「あなたがたの心が悪いから」モーセは離婚を許可したのです。考えてください。もし、夫が妻を嫌い続けて生活するなら、どういうことが起こるでしょう?夫は妻に対してひどい仕打ちを続けるでしょう。妻に嫌がらせを続け、暴力を振るうでしょう。日本での平成22年度司法統計における離婚の原因には、「暴力、精神的虐待、不倫、生活費を渡さない」などがあります。妻を嫌う人はそのような仕打ちを行います。妻は離婚できなければ生涯、虐待を耐えていかなければならないことになります。だから嫌う夫のためでなく嫌われる妻のために止むを得ず離婚が許されているのです。
離婚理由 男性 女性
1位 性格が合わない 性格が合わない
2位 異性関係 暴力を振るう
3位 家族親族と折り合いが悪い 生活費を渡さない
4位 異常性格 精神的に虐待する
5位 精神的に虐待する 異性関係
 ※離婚の申立理由は男女ともに「性格が合わない」が1位。男性の6割,女性の4割が「性格の不一致」を理由に離婚しています。実は,他の異性と関係を持ったり,お金を浪費したり,相手に暴力を振るったことが原因で離婚するケースでも,社会的な体裁を気にして「性格の不一致」を理由にすることが多いのです。また離婚率は年々上がっています。平成23年では結婚者数は約66万組、離婚者数は、23.5万組。三組に一組は離婚しています。
 離縁状を書いて渡した目的は、妻が不貞の罪を犯したのでないことを証明しました。不貞の罪なら彼女は石打で殺されなければなりませんでした。従って離婚状を書いた理由は、彼女に再婚する機会を公に与えるためでした。(申命記24:2)

3.再婚

19:9 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」
 
 唯一離婚できる理由として、相手が不貞を犯した場合だとイエス様は教えられました。他の人と姦淫を犯し、夫婦の一体を壊し汚してしまったからです。そして離婚したなら、再婚は認められません。
※この箇所を、不貞を妻が犯した場合は、離別して再婚できると解釈する人もいますが、法の目をかいくぐるようなものです。ユダヤ人が申命記の律法を自分たちにとって都合よく解釈したことと同じです。イエス様はそのような自分本位の解釈は間違いだと教えられています。マルコ福音書では、再婚が認められるという解釈の余地はありません。
マルコ10:11 そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。
10:12 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」

 当時のユダヤ人は、妻が気に入らないなら、離婚して再婚すればいい、と考えていたので、それが誤りであることを明らかにされています。ただし、使徒パウロはもう一つ、離婚が許可される理由として、配偶者が未信者であり、配偶者が離婚を求めた場合を挙げています。
Tコリント7:15 しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。
 しかし、この場合でも使徒パウロは再婚を認めていません。これは主の命令だと断言しています。
Tコリント7:10 次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。
7:11 ──もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい──また夫は妻を離別してはいけません。

 ただし、再婚についても一つだけ例外があります。
Tコリント 7:39 妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。

4.結婚しないほうがいい?

 聖書が離婚、再婚を認めていないと言うと、いぶかる人もおられるでしょう。イエス様の教えをそばで聞いていた弟子たちでさえぼやきます。
19:10 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」
 当時の人々がいかに男性優位な考えであったかが分かります。イエス様はがっかりされたことでしょう。しかし彼らの軽率な言葉に対して腹を立てることなく、父なる神の御心を話されます。
19:11 しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。
19:12 というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」

 結婚は神様の祝福ですが、結婚しないでいいという人は次の三つの場合だけです。
@生まれつき性的不能の人 A皇帝や宮殿に仕える宦官や犯罪人など人によって去勢された人 B神の福音のために独身を決意した人。

5.夫婦に求められているもの

 私たちが結婚の意義を知り、その祝福を知るなら、私たちは夫婦が愛し合って家庭を築いていくことがいかに大切な事かを知ります。夫婦の危機があるかもしれません。すべてが嫌になって逃げだしてしまいたいと思うかもしれません。「妻を赦せない!」「夫を赦せない!」と腹を立てるときがあるでしょう。しかし、主イエス様が教えてくださったことは「わたしがあなたがたを赦したように赦しなさい」です。一万タラントの罪の借金を赦されたのだから、100デナリの罪を赦しなさい。18章で教えられた赦しのメッセージが続いています。「あなたの妻を赦しなさい!」「あなたの夫を赦しなさい!」・・・これが私たちに求められていることです。赦すことが出来れば、離婚する必要はありません。夫婦喧嘩が続くのは、文句を一つ言われたときに三つ文句を言い返すからです。たとえ配偶者に嫌われていても、心を尽くして仕えていくなら、だれがいつまでも怒るでしょう。もし、きつい言葉を100回言われても、優しい言葉と態度で仕えていくなら、どんなに愛のない人でも自分の心の醜さを責められて、考えを改めるものです。夫婦がうまくやっていく秘訣は赦して仕えることです。ただし、一つだけ結婚生活を壊すのが姦淫の罪です。ですからこの罪だけは何があっても犯してはいけません。夫婦の間で唯一赦されない罪です。
レビ20:10 人がもし、他人の妻と姦通するなら、すなわちその隣人の妻と姦通するなら、姦通した男も女も必ず殺されなければならない。
申命記22:22 夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。

 旧約聖書での神の御心は明らかです。姦淫は取り返しのつかない罪です。

 「ゆるす」ことは、次の子供の記事にも続いています。大人の話をしているときに子供たちが連れて来られました。御言葉に聞き入っていた人たちは子どもたちを邪魔者扱いしました。イエス様は「子どもたちを許してやりなさい」と言われます。子供たちが天の御国に入るのを妨げてはいけません。
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。


 クリスチャンになる前に離婚、再婚した人、若いときに不品行を犯してしまった人、不倫を一度だけ犯してしまった人など、現実にはさまざまな問題を抱える人がおられるでしょう。しかし、結婚、離婚、再婚についての神様の御心は変わりません。今は恵みの時代ですから、律法の文字に縛られる必要はありませんが、主の御霊を悲しませないように落ち着いた生活をしていくべきです。すべての過ちは十字架によって赦されていますから、負い目を持ち続ける必要はありません。イエス・キリストを信じる信仰によって救われているのですから、今ある状態で歩むべきです。
Tコリント7:17 ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
 たとえ信仰を持ちながらも誘惑に負けて失敗したとしても、素直に悔い改めてへりくだり、新たな気持ちで神様の御心に従おうとするなら、赦されない罪はありません。私たちは姦淫の現場で捕らえられた女性に対するイエス様の言葉を忘れてはいけません。
ヨハネ8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

 多く赦された人ほど神様を深く愛するようになるのです。

 ※離婚、再婚は主の御心ではありませんが、私たちの心がかたくななためモーセが離婚を許可したように、教会も離婚、再婚をする兄弟姉妹を受け入れるか受け入れないかを決める権威があるのでしょう。教会は、御心ではないと理解しながらも、その過ちを赦し、教会員の祝福を祈ることも必要であると思います。