マタイによる福音書19章16-26節 「永遠のいのちを得るためには」 並行箇所;マルコ10:17-31、ルカ18:18-30

 先週は、結婚、離婚、再婚について学びました。私たちが家庭を築いていくためには赦すことが必要だと学びました。18章から始まったエルサレムへの旅で、主イエスはまず赦しについてメッセージをされました。兄弟、姉妹を赦しなさい。妻を赦しなさい。夫を赦しなさい。そして子供が連れて来られた時も、「許してあげなさい」と。
 今日の箇所は、一人の男性青年が主イエスのところへ来て質問します。「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか?」・・赦しに続いて永遠のいのちという重要な真理をイエス様は教えられます。

1.りっぱな青年

 ここに登場する青年はりっぱなユダヤ人と言えるでしょう。マルコ、ルカ福音書を照らし合わせて読むと、彼について様々なことが分かります。
 ・多くの財産を持っていた。 ・若くして役人(議員)であった。 ・律法、言い伝えを守っており、品行方正な人であった。
 ・彼は人望があり、親にとっては自慢の息子だったでしょう。屈託がなく、誰に対しても友好的で、信頼され、愛される人、あこがれの的であったでしょう。それでも彼には高慢な態度が見られません。まさに非の打ちどころのない人。
 ・求道心がある人。
マルコ 10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」※マルコ、ルカでは「尊い先生」という呼びかけであり、「良い」と言う意味のギリシャ語、「アガソス」が用いられています。 
 彼は律法に従い、正しく歩んでいましたが、自分の人生は完全ではなく、欠けがあると感じていました。そのため永遠のいのちの確信がありませんでした。「何かが欠けている!永遠のいのちを持つために何が必要なのか?」その答えがほしかったのです。まずもって、「永遠のいのちを得るためには?・・・」という質問すること自体、彼が信仰心に富んだ青年であり、熱心に求める態度を持っていたことが分かります。彼は、「キリストならこの答えを与えてくださるはずだ」と信じてやってきたのです。

2. 主イエスの教え

@戒めを守りなさい
 イエス様は、まず、彼が何を求めているのかをはっきりさせようとされます。
19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
 彼は永遠のいのちを得るためには善い行いが必要だと思っていました。それは当時のユダヤ人の考えでもありました。律法に従って正しく歩むなら神に祝福される、と信じていました。行いによる義を信じ、永遠のいのちを神は与えてくださると信じていました。イエス様は彼の考え方を否定せず、「戒めを守りなさい」と告げられます。
19:18 彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

 十戒の後半の部分、隣人に対する戒めです。なぜイエス様は「わたしを信じなさい」と言われず、「律法の戒めを守れ」と言われたのでしょうか?また、十戒の中で、神に対する前半の戒めをなぜ省略されたのでしょうか?・・・このことは後で明らかになるのですが、青年を真理に導くためには十戒の隣人への戒めが必要と考えられたのです。
※19節はマタイだけが記しています。レビ記にある戒めです。
レビ 19:18 「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。

19:20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」

 青年は「守っています」と、自信たっぷりに答えます。彼が律法を守り、正しく歩んできたという自信と誇りが表われています。

A天に宝を積め
マルコ10:21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
 主イエスは彼の生き方の誤りを鋭く指摘されます。彼は地上の宝のために働いていましたが、天に宝を積んでいませんでした。天に宝を積みなさいと命じられます。彼はりっぱなユダヤ人でしたが、欠けがあると感じていました。イエス様も彼には一つだけ欠けがあると言われました。そして、その欠けた所を教えるために彼の一番弱いところを突かれました。それは彼が所有する財産です。青年は悲しんで帰ります。財産を捨てることができないからでした。
19:22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。

B金持ちが天の御国に入ることはむずかしい
 イエス様は弟子たちに一つの真理を教えられます。金持ちが天の御国に入ることはむずかしい、ほとんど不可能であると。
19:23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。
19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

 ※ラクダが針の穴を通る;当時のたとえであると言われています。とても不可能なことを意味します。エルサレムに「針の穴」という門があったという解釈がありますが信憑性に乏しいようです。
 弟子達には「金持ちが天の御国に入るのはむずかしい」という事が理解できませんでした。なぜなら、旧約聖書を読んでいくときに、財産が与えられるのは神様の祝福であり、当時のユダヤ人は、金持ちになるのは神様に愛されている証拠だと信じていたからです。アブラハムやヤコブ、ヨブなどの記事を読んでいくときに、彼らは神様の祝福によって財産を増やしていきました。 ヨブに対する神様の祝福は二倍の財産でした。
ヨブ42:12 【主】はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。
42:13 また、息子七人、娘三人を持った。

 律法も物質的祝福を約束しています。
申命記 7:12 それゆえ、もしあなたがたが、これらの定めを聞いて、これを守り行うならば、あなたの神、【主】は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、
7:13 あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われた地で、主はあなたの身から生まれる者、地の産物、穀物、新しいぶどう酒、油、またあなたの群れのうちの子牛、群れのうちの雌羊をも祝福される。

 弟子たちは主イエスの言葉に驚き、心配になりました。金持ちが救われないなら、誰も救われないではないかと。
19:25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」


C神にはどんなことでもできる
 神の国へ入るためには金持ちも貧乏人も関係ありません。律法を守る、守らないも関係ありません。神の国へ入ることは人間の力ではできないことだからです。青年が求めたのは完全になることでした。しかし、人が完全になることは不可能だという事です。たとえ、行いにおいて一点の曇りもなく、青年がすべての財産を捨てることが出来たとしても、それでも完全ではありません。
Tコリント13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
 人は自分の力で神の国に入ることはできないのです。お金に執着している人はなおさらです。しかし、神様にはそれを可能にすることが出来ます。それは神のひとり子であるイエス・キリストが十字架において罪人の身代わりとなり、死なれることによるのです。人は自分の行いによってでなく、神の救いの計画である十字架の贖いによって救われるのです。

3.青年に欠けていたもの

 青年に欠けていたものとは何でしょうか?・・これを理解することがこの聖書箇所の鍵となります。財産をたくさん持っていたことでしょうか?・・違います。貧しい人に施さなかったことでしょうか?・・違います。従う気持ちがなかった事でしょうか?いいえ、彼は従う気持ちは他の弟子達以上にあったと思います。私は彼に欠けていたことは、自分の弱さ、罪深さを知ることだと思います。彼の持ち物や行いに欠けがあったのではなく、心に欠けがありました。
 イエス様は彼の弱さを示すために、十戒の隣人に対する戒めを命じられました。律法の務めは、人が罪びとであることを教えることです。青年が「自分は律法を守っている」と言い張った時に、主イエスは彼が従う事の出来ない「律法の要求」をされたのです。青年はそれまで挫折を知りませんでした。自分の罪深さ、弱さを知らなかったのです。しかし、イエス様の言葉に(律法の要求に)従えないときに、彼は悲しんだのです。「財産を捨てることが出来ない!自分を捨てることが出来ない!」と悲しんだのです。彼は主の御心に従って悲しんだのです。

 この青年は悲しみながら家に帰りました。私はこの青年が再びイエス様の元に来て、「わたしを弟子にしてください」と願ったと信じたいのです。その時に、彼は何と言うでしょうか?「あなたに言われたとおり、すべての持ち物を売り払って貧しい人に与えました。どうか私に永遠のいのちをお与えください」と言ったとしたなら、どうでしょう。不合格です。イエス様は次の律法の要求をされたことでしょう。彼は自分の弱さを知らないままだからです。しかし、彼が「主よ、財産をすべて捨てることは私にはできませんでした。私は弱い人間です。罪びとです。どうか赦して下さい。そして、あなたの弟子にしてください」と言ったなら、イエス様は両手を広げて彼を迎えられたことでしょう。

 人は自分の欠けを懸命に埋めようとします。この青年のように心が純粋な人は、善いことをして自分の欠けを埋めようとし、完全な人間になることを目指します。しかし、善いことは誰もが知っている事だと主イエスは教えられました。その善いことを行うべきであることは、誰でも知っているけれど、完全に行えないのが人間です。大切な事は自分の欠けを認めることです。そして神様の前にへりくだり、「私を赦して下さい。私を救ってください」と願う事です。善いことを求めるのではなく、善いお方を求める事こそ永遠のいのちを得るためにあなたがすべきことです。
ヨハネ 17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。