マタイによる福音書22章23-33節 「復活と永遠のいのち」  並行箇所;マルコ12:18-27、ルカ20:27-38

 エルサレムに入られたイエス・キリストのところへ宗教指導者たちがやってきて、言葉の罠にかけてイエスを捕らえようと謀りました。しかし、イエス・キリストはその策略を知ったうえで彼らに聖書を解き明かされていきます。前回はパリサイ人とヘロデ党の人々でしたが、今朝の聖書箇所にはサドカイ派の人々が登場します。

一、 サドカイ人の質問

22:23-28 その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、
22:24 言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。
22:25 ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。
22:26 次男も三男も、七人とも同じようになりました。
22:27 そして、最後に、その女も死にました。
22:28 すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」

 サドカイ人とは、祭司の家系の人々だと言われています。彼らの信仰は、トーラーと呼ばれるモーセ五書のみを神の言葉として認めていました。従って、モーセによって命じられた十戒をはじめとする律法を守り、命じられた祭りや神殿における礼拝を遵守しました。その反面、モーセ五書にはダビデの永遠の王国や死者の復活についての言及がないため、彼らは永遠のいのちや復活の教えを信じませんでした。人は死んだらそれで終わりだと言うのです。そのためエルサレム議会においてはパリサイ派の人々と常に対立していたようです。
参照;旧約聖書における復活の預言箇所
イザヤ26:19 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。
ダニエル12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
ヨブ19:25-26 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
参照;サドカイ人の質問は申命記25:5-6からでした。
申25:5 兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。
25:6 そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。


 サドカイ人の質問の意図するところはこうです。「彼らが復活するのなら、この女性は誰の妻なのか?7人全員の妻になるということなのか?復活を信じるなら、こんなおかしなことになってしまうではないか。イエスよ、あなたは答えることが出来るのか?」・・当時のユダヤ人が誰も明確に答えることが出来ない難問を提出することによって、イエスの権威(ラビとしての教える権威、メシアと主張する権威)を失墜させようとするのです。

二、イエスの解答

22:29-33 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。
22:30 復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
22:31 それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。
22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

 イエス様はまず、「思い違いをしている」と彼らの理解がまるで違っていると断言されます。マルコ12:27では「あなたがたは大変な思い違いをしています」と繰り返されています。彼らの思い違いの理由が「聖書も神の力も知らないからだ」と言われます。それは聖書の言葉を教える立場にあったサドカイ人にとって屈辱的な言葉だったでしょう。
 この「思い違い」という言葉に注目したいと思います。サドカイ人の思い違いとは何でしょうか?
@ 人間が今と同じ体を持って復活するなどありえないという思い違い
A 人は死んでしまったら滅びるだけで、永遠に生きるはずがないという思い違い
 これらの思い違いをイエス様は訂正されます。復活について、永遠のいのちについて真理を教えられます。
@ 復活について
 まず、信仰者は必ず復活することを教えられます。そして、復活の時には天の御使いのようだと教えられました。天の御使いは、時間、空間に左右されない存在です。病気やけがもせず、不死です。子を産みませんから結婚しません。
 a.生きていた間の記憶があるのでしょうか?・・すべてを覚えています。参照;ルカ16:19〜死んだラザロと金持ちの話から、死後の状態が分かります。
 b.罪の意識や後悔などがあるでしょうか?・・キリストの贖いによって赦されたことにより、すべて払拭されるでしょう。
 c.今の趣味や興味はどうなるでしょうか?・・天の御国の素晴らしさゆえ、価値観が全く変わるでしょう。コレクションなど何と無駄だったかを知るはずです。
 d.位があるのでしょうか?・・地上生涯の働きに応じて受ける報いは違いますが、優越感をもったり、みじめさを味わったりすることはないはずです。

 あるとき、一人の婦人が真剣な顔で質問して来られました。
「天国にはイエス様を信じなかった人は行けないのですよね?」
「残念ですがそうです。」
「実は私の主人は福音を信じないまま亡くなったのです。ですから、主人がいない天国だと思うと、私にとって天国はあまり喜ばしい場所に思えないのです。」
 彼女の気持ちは痛いほど分かります。しかし、それは思い違いなのです。黙示録の中に、キリストに贖われた者たちがよみがえった時のことを次のように記しています。
黙7:16-17 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
 私たちが栄光の身体をいただくとき、小羊であるキリストが慰めを与えてくださいます。その慰めは、この世が与える気休めとは全く違います。私たちは永遠の祝福と喜びのなかによみがえらされます。王の王、主の主であるキリストの愛と義の内を歩むのです。

A 永遠のいのちについて
22:32 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
 主イエスの引用は出エジプト記3章6節からです。サドカイ人が信じるモーセ五書からです。モーセがまだ羊飼いをしていた時、神の山ホレブにおいて神様がモーセをイスラエルの指導者として召命される場面です。
出3:6 また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。
 a. 「・・の神であった」ではなく「・・の神である」と現在形なのは、アブラハムたちが死んで滅んでしまったのではなく、永遠のいのちをもって存在しているからだと、教えられました。

 b. 全能の父なる神がアブラハム、イサク、ヤコブの名前を挙げられたのは、彼らとの契約を守るためであることが暗示されています。その契約とは、「あなたとあなたの子孫にカナンの地を与える」という約束です。アブラハム(創世記17:7-8)に、イサクに(創世記26:2-4ゲラルはガザの南)、ヤコブに(創世記28:13-14べテルはエルサレムの北約15qに位置)、同じ契約を与えられました。
創17:7-8 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
創26:2-4 【主】はイサクに現れて仰せられた。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、
あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。
創28:13-14 そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、
あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
 契約というものは相手が死んだ場合、無効となってしまうものです。つまり、アブラハムたちが死んで滅んでいるなら、その契約はもう無効となっているはずです。しかし、父なる神様が彼らの名前を出してモーセに語られたとき、それはアブラハムたちとの契約が有効であることを示しています。彼らとの契約を守るために、イスラエルをエジプトからカナンの地へ導けとモーセに命じられたことになります。つまり契約は有効であり、アブラハムたちは滅んでしまったのではなく、生き続けていることを啓示されているのです。

 c.契約は「カナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。」でしたが、契約を結んだアブラハム、イサク、ヤコブたちはカナンの地を一度も所有しませんでした(ほんの一部を除いて)。つまり、「あなたに与える」という契約が依然として残っているという事は、彼らは今も天において生きていて、将来、彼らは必ず所有するようになることを預言しているのです。それはいつでしょう?・・千年王国においてです。患難期の終わりにアブラハム、イサク、ヤコブはキリストと共に再び地上に戻ってきて、約束の地を所有することになるのです。
ユダ1:14 アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。」

三、 思い違いをしないために

 イエス・キリストの教えは「人間は死んで終わりではない」ということです。死後の世界があるかないかは人間には誰にもわからないことです。しかし、イエス・キリストは墓から三日目によみがえられたお方です。その方の言葉ゆえ信じることが出来ます。私たち人間は必ず死んで、この肉体は滅びます。しかし、私たちの霊と魂は生き続けます。その時、神が与えてくださる救いを信じて受け取った人は神の御前に休みを得ます。しかし、救いを拒み、自分の罪を抱えたままなら、裁かれることになります。ですから、福音は人間にとって永遠を左右する重大なメッセージです。
 私たちが思い違いをしないために必要なことは何でしょうか?・・・それは主イエスが教えられたとおり、「聖書と神の力を知ること」です。聖書は私たちに「神について、永遠のいのちについて、さばきについて」教えます。人生の中で最優先して学ぶべきことです。これを学ばない人は、走る目的もゴールも分からないマラソンランナーのようです。どんなにがむしゃらに走ったとしても失格者となってしまいます。
 あなたがイエス・キリストを通して人生の目的とゴールを知ったなら、次に神様の偉大な力を信じてください。何もできない神様ではありません。あなたの内に働いてすべてを導き、素晴らしい祝福を備えてくださる神様です。力ある偉大な神です。この地上でさえ「驚くばかりの恵み」を与えてくださるのですから、天の御国へ行ったときはどれほど恵み豊かでしょう。人は死んで終わりではないのです。