マタイによる福音書24章15-31節 「反キリストの出現」 並行箇所;マルコ13:14-27ルカ21:20-28

 聖書の学びの中で、預言の学びはとても興味深く、有益なものです。聖書の預言がどのように成就してきたかを知るなら、聖書がまぎれもない神の言葉であると分かります。また、将来の預言は私たちにとって希望となり、神様のご計画の深さに驚かされます。今朝の聖書箇所には反キリスト出現の預言があります。世の終わりの時にはキリストに敵対する者として大勢の反キリストや偽キリストが現れますが、それとは別に聖書は、世の終わりに現れて世界の支配者となる反キリストの出現を預言しています。

一、反キリストの出現 v.15

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
 「荒らす憎むべき者」とはダニエル9章27節で、天使ガブリエルがダニエルに告げた預言です。 
ダニエル9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
 この預言で啓示されていることは、
@彼の活動は7年間である(一週は7年間を示しています。)
A反キリストはその期間、まず多くの人々と協定や条約を結んで世界を統治するようになる。
B後半の三年半において彼の態度は急変し、ユダヤ人を迫害するようになる。
C反キリストのユダヤ人迫害は突然に開始される。
D最終的に反キリストは滅ぼされる
 なぜそのような事が分かるのかは、黙示録13章で詳細に預言されているからです。
黙13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。
13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
黙13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
13:18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 獣は反キリストの事です。四十二か月間は後半の三年半を指しています。この預言からわかることは、
@反キリストは神を冒涜し、ユダヤ人を迫害する。
Aイスラエルを攻撃して勝利する。
B全世界を支配する。
C人々は彼を拝むようになる
D独裁政治を行い、彼の許可なしには物を買うことも売ることもできなくなる。
 Uテサロニケ2章で、使徒パウロは反キリストを不法の人と呼んでいます。
Uテサロニケ2:3-4 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
 パウロの預言でも、反キリストのユダヤ人迫害は突然始まり、エルサレムの神殿に登り、自分が神であると宣言します。反キリストを礼拝しないユダヤ人たちは迫害され、ことごとく殺されていくことが分かります。(※エルサレムに神殿があるという事は、神殿が再建されるという事です。おそらく、患難期のはじめの三年半で、イスラエルは144000人の伝道者によって宣教が行なわれ、神殿が再建されるはずです。)
 それでイエス・キリストはユダヤ人に次の二つの警告を与えられています。

二、二つの警告

@ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい! V.16-22
 反キリストによる迫害が急に始まるため、急いで逃げなければ捕らえられてしまうからです。
24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
24:19 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
24:20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
24:22 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。


A偽キリストや偽預言者に惑わされるな! V.23-28
24:23 そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
24:25 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
24:26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。
24:27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
24:28 死体のある所には、はげたかが集まります。

 反キリストの迫害から逃れて山へ隠れたのに、「キリストが来られた」という惑わしにだまされて隠れ場所から出て来るなら、それは死を意味します。キリストが帰って来られるのは誰の目にも明らかにわかります。はげたかか集まっているなら、そこに死体があると誰でも分かるように、キリストの再臨もはっきりとわかるのです。
※実際に、エルサレムで迫害がある間は死体が高く積まれるため、はげたかが集まるのでしょう。ホロコーストより激しいユダヤ人迫害が起こるからです。はげたかを象徴的に解釈する神学者もいますが、話の内容から外れてしまいます。ここでは素直に文脈に沿って解釈した方が良いでしょう。

三、キリスト再臨の時 v.29-31
 そのキリストの再臨はどのように起こるのかが教えられています。
24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

 ※「だが」の訳は疑問です。その様に訳すべきではないと思われます。英語訳のほとんどはこの語を訳していません。新共同訳では 「その苦難の日々の後」とだけ訳されています。
 天体が異常な動きをし、地上は暗くなります。そして人の子(キリスト)のしるしが天に現れます。「人の子のしるし」とは何でしょう?・・・おそらく(イスラエル人にとっては)ダビデの星、暗闇の中に輝く明けの明星が見えるのではないでしょうか。キリストが誕生した時、東方の博士たちや羊飼いたちを導いた星こそキリストのしるしだと思われます。全世界の人々が暗くなった天空に輝く星に注目している、その時、主イエスが天から降りて来られ、オリーブ山に立たれます。使徒の働きとゼカリヤ書では次のように記されています。
使徒 1:11-12 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
ゼカリヤ14:1-4 見よ。【主】の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

 地上再臨された主イエスは、まず御使いたちを遣わされます。選びの民を集めるためです。「天の果てから果てまで」・・マルコ福音書では「地の果てから天の果てまで」となっています。「天の果て」とはどういう意味でしょう?・・まさかほかの星にも人間が存在するということではないはずです。天の果てに住む人々とは、死んですでに天に上げられている聖徒たちのことです。アブラハム、イサク、ヤコブをはじめとして旧約時代に死んで葬られた聖徒たちと、患難期において殉教した人たちがキリストの地上再臨の時に復活することが預言されています。
※旧約時代の聖徒たちの復活預言;イザヤ26:19-21 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。さあ、わが民よ。あなたの部屋に入り、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。見よ。【主】はご自分の住まいから出て来て、地に住む者の罪を罰せられるからだ。地はその上に流された血を現し、その上で殺された者たちを、もう、おおうことをしない。ダニエル12:1-2、ヨブ19:25-26 参照
※患難期の殉教者の復活預言;黙20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
※「ラッパの響き」から、この箇所を空中携挙の時の預言と解釈する人もいますが、前後関係から空中携挙の預言とするのは無理があるでしょう。地上再臨の時にもラッパが吹かれると考えられます。
レビ 23:24 「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。
民 29:1 第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
Tコリ 15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(空中携挙)
Tテサ 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、(空中携挙)
黙 11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
(地上再臨)
以上の聖句を通してわかることは、ラッパが吹き鳴らされる基本的な意味は「休みにはいる」という事です。教会にとっての「休み」は空中携挙によって実現され、イスラエルにとっては地上再臨によって実現されるのです。


四、イスラエルと教会の区別

 ではキリスト者はどこへ行ったのでしょうか?・・ここでは教会について何も語られていないことに気付かれたでしょう。なぜならイエス様の目はこの時点ではイスラエルに注がれているからです。神の都エルサレムに入城された時点で、主イエスの働きはイスラエルに向けられています。父の家である神殿に入られ、イスラエルの不信仰を叱責されました。そして、エルサレムの破壊を預言され、神の選民イスラエルの将来を預言されているのです。したがって24−25章で語られた預言には教会時代の啓示はありません。教会の奥義についてはすでに13章を中心に天の御国のたとえ話等によって教えて来られました。主イエスは教会とイスラエルをはっきり区別されて預言されています。この区別を理解することが聖書を解釈していく中で重要な鍵となります。特にマタイによる福音書では、この区別を考えてまとめられています。
マタイ 13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」

 では、クリスチャン(教会)は、世の終わりの時にどこにいるのでしょうか?・・1テサロニケ4章において、教会は患難期の前に空中携挙によって天に引き上げられて主と共にいると預言されています。死んで葬られたキリスト者も空中携挙の時に復活することが預言されています。
Tテサロニケ4:15-17 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 教会は引き上げられた後、キリストと共に常にいるのですから、キリストの地上再臨の時にキリストと共に天から降りてくることになります。その光景が次の箇所で預言されています。
ユダ1:14 アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。
ゼカリヤ14:5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、【主】が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。


 千年王国が始まる時、小羊の婚礼が開かれます。キリストと教会の結婚式です。ここに私たちクリスチャンは花嫁という立場でいるのです。なんと嬉しい事でしょう。
黙19:6 また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。

 この婚礼に招かれた者は幸いです。(旧約時代におけるすべての聖徒たち、そして患難期における殉教者と信仰を持った人たちです。マタイ22章の披露宴のたとえ話参照)その人たちはキリストと共に千年王国に入るのですから、これほど幸いなことはありません。25章でもキリストと教会の婚礼が背景として描かれています。

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繰り返される預言:ユダヤ人迫害とエルサレム破壊の預言はAD70年にも成就しました。ルカ福音書ではその時代の事として預言されています。
ルカ 21:24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
 しかし、マタイ、マルコでは世の終わりの事と結びつけています。つまり、ユダヤ人迫害とエルサレム破壊の預言は終末に再び繰り返されるという事です。聖書解釈では二重預言と呼ばれます。旧約聖書で預言されたメシアの来臨は二度起こります。エリヤの来臨も二度起こります。イエス様のエルサレム入城も二度目があり、群衆が「ホサナ、主の御名によって来られる方に」と叫ぶのも二度目があります。ダニエルが預言した、「荒らす忌むべき者」はBC167年にセレウコス王朝のアンティオコス・エピファネスによってすでに一度成就したとされます。そして二度目は反キリストによって成就されます。つまり、聖書の預言の中には二度、繰り返されるものがあり、二度目は疑う余地もないほど完全な形で預言が成就するのです。