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心に響く聖書の言葉


マタイによる福音書25章1-30節「天の御国のたとえ」



 25章は引き続き世の終わりについて教えています。この箇所は様々な解釈があり、聖書神学者たちを悩ませている箇所です。しかし、正しい解釈なしに正しい説教はできません。御言葉を正しく受け取るとき、神様の御心の内を歩むことが出来ます。

 25章では「天の御国のたとえ話」が二つあります。
@花婿を迎える十人の娘のたとえ
Aタラントのたとえ

 この二つのたとえ話は「天の御国は」という書き出しで始まっています。マタイ福音書13章も「天の御国のたとえ話」でしたが、25章のたとえは二つの点で内容が大きく違います。

@終末の出来事を預言している中でのたとえ話のため、世の終わりに関連付けられています。
A教会について言及されていません。その理由として次の事が考えられます。
◆イエス様の目は選びの民イスラエルと、神の都エルサレムに向けられている
◆千年王国はイスラエルに対する約束の成就だから
◆教会はすでに天に上げられており、患難期には存在しないから

 預言を理解するため、聖書が教える終末の出来事の表を参照してください。



一、花婿を迎える十人の娘のたとえ

25:1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
25:2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
25:4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
25:5 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
25:6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
25:7 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
25:8 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
25:9 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
25:10 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
25:11 そのあとで、ほかの娘たちも来て。『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。
25:12 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。
25:13 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。



@解釈
・花婿とはイエス・キリストです。
・場面は、婚礼の祝宴が始まろうとするときで、花婿がやってきます――キリストが地上再臨され、千年王国が始まる時です。花嫁である教会はこのたとえでは登場しません。
・花婿を迎える10人の娘とは、キリストの再臨を待ち望むイスラエル人です。その根拠は、旧約聖書ではイスラエル人を「シオンの娘」と呼んでいます。

イザヤ 62:11 見よ。【主】は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。

ゼカリヤ 2:10 シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。──【主】の御告げ──


 マタイ福音書で「娘」という言葉が出てくる一つ前の記事は
マタイ 21:5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」

・『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』――油が娘たちの運命を左右することになります。花婿であるキリストと共に千年王国に入るか、戸が閉められて王国に入れないか。それを左右するのは信仰以外ありません。つまり油とはイエス・キリストを信じる信仰です。「信仰を分けてください」と頼まれても分けることはできません。

※油は聖霊を示すという解釈が一般的ですが、患難時代には教会が引き上げられているため、聖霊の働きはあっても聖霊内住がない時代だと考えられます。

・ともしびは「聖書の御言葉」です。イスラエルには御言葉が与えられていますが、油である信仰を持たない人たちがいます。


Aたとえの目的
 このたとえの目的は、「目を覚ましていなさい」という事です。救い主が来られると知っていても、自分の生活のことばかりで、信仰を持たず、居眠りしているなら、さばかれて悲しみの中で永遠に過ごさなければなりません。主イエスが来られた時に「王国へ入れてください」といくら頼んでもその願いは聞かれません。

 天の御国へ入るための唯一の鍵は「信仰」です。これはすべての時代における普遍的な真理です。

二、タラントのたとえ

25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
25:16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
25:17 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
25:18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。 25:19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
25:20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25:25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
25:27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
25:28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。


@解釈
・旅に出かけて帰ってくる主人――イエス・キリストです。
・しもべたち――イスラエルを含めた全世界の人々
・タラント――1タラントは6000デナリ。今のお金で約6000万円。5タラントなら約3億円です。イエス・キリストが預けられた莫大な財産とは、福音です。

 キリストは墓からの復活後、天に帰られる時に弟子たちに福音を託され、福音を宣べ伝えよと命じられました。現在も世界中に福音が宣べ伝えられており、全世界の人がタラントを頂くようになります。そして福音宣教は患難期においても続きます。

 主イエスが帰って来られるときに、すべての人はその精算をすることになります。五タラント儲けた人も、二タラント儲けた人も、同じ言葉で誉められ、報いを受けます。しかし、一タラント預かった人は地の中に隠しておいただけでした。

Aたとえの目的
 ここで問題となるのは、一タラントを預かった人の態度と行いです。彼にとって神は恐ろしくて裁きを下すおかたです。つまり彼は福音の中に罪の赦しがあることを全く理解していません。ですから、福音を聞いても信じることが出来ず、それを隠し、御国の福音のために何の働きもしませんでした。つまり、彼は救われていない人です。したがって彼はさばかれて、王国へ入ることが出来ません。

 教会時代の人々も、患難期に生きる人々にとってもこの原則は変わりません。キリストの福音を信じて罪の赦しをいただかなければ救われません。天の御国[王国]は、福音を信じ、罪を赦された人々が入る祝福の場所です。

 信仰者だけが御国の福音を用いて神様のために働くことが出来ます。そして、働いた者に対して大きな報いが用意されている事も教えられています。

三、主イエスの願い

 24章32節から続くたとえ話に共通することは、「主イエスが再び帰って来られるので、いつ来られても良いように目を覚まして準備していなさい」という点です。教会にとってそれは空中携挙の時であり、イスラエルと全世界にとってそれは地上再臨の時です。
 神様の救いのご計画は今も続いています。イエス様が帰って来られる時、その計画が完成を迎えるのです

 今の私たちの信仰生活は永遠のための備えです。老後の生活のために準備している人もおられるでしょう。それ以上に永遠の住まいのための準備をしていきましょう。

マタイ6:20 「
自分の宝は、天にたくわえなさい。
 このイエス様の御言葉こそ、私たちの生きる指針です。