マタイによる福音書26章69-75節 「鶏が鳴く前に」 並行箇所;マルコ14:66-72、ルカ22:54?62、ヨハネ18:25-27

1.暗闇の力

 この聖書箇所はペテロが三度、イエス様を知らないと否定する場面です。ゲツセマネの園でイエス様は捕らえられ、まずはじめに大祭司カヤパの元での裁判により死刑判決を受けられます。それは神様の側からするなら、私たち人類の救いのために立てられたご計画通りでした。御子イエス・キリストは父なる神のご計画に従って、十字架に架けられなければなりませんでした。人に捨てられ、あざけられ、殺されなければなりませんでした。しかし、聖書はそこにもう一つ、大切な事を教えようとしています。それは、人間のねたみ、憎しみ、高慢、弱さ、罪深さです。ルカによる福音書では、イエス様がゲツセマネの園で捕らえられたときの言葉を記しています。
ルカ22:52-53 そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」
 暗闇の力が支配する時だと言われました。その言葉を象徴するかのように、逮捕も裁判も真夜中、暗闇の中で行われました。イスカリオテ・ユダの裏切りに始まり、大祭司と議員たちによる不公平極まりない裁判、暴行、そして一番弟子であったペテロの裏切りと続きます。人間は常に暗闇の中で悪事を企み、暗闇の中で悪事を実行します。福音書は私達に人間の醜さ、罪深さを教えようとしているのです。そして、その罪を赦すために十字架に架かられるイエス・キリストの従順を示し、福音を伝えているのです。

2.暗闇でのペテロ

26:58 しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まで入って行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
 ペテロは他の弟子たちと逃げました。しかし、後ろ髪を引かれる思いがしたのでしょう。後をつけていき、暗闇の中、役人たちに紛れこんで、大祭司カヤパ官邸の中庭まで入っていきます。時は春であり、夜になると冷え込む季節でした。(エルサレム旧市街は地図を見ると緯度は31度46分位で、日本では鹿児島空港と同じくらいの緯度です。)カヤパ官邸があった場所は標高800メートル近いところでした。ですから官邸の庭に集まった人たちはたき火をして暖を取っていたのです。そこにペテロも紛れ込んで火にあたっていました。ペテロの心境は、心配と恐れのため落ち着かず、寒さもあり、震えが止まらなかったことでしょう。

@ペテロの失態
 その時、大祭司カヤパの家に仕えている女中がたき火に照らされたペテロの顔を覗き込んで言います。
26:69 ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」
 突然の声に、心臓が飛び出るのではないかと思うほど、ペテロは驚き惑った事でしょう。
26:70 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。
 「何を言っているのか分からない」と、とぼけます。ペテロは「ここにいては見つかってしまう」と考え、その場を離れようとします。しかし追い打ちをかけるように、女中が言います。
26:71 そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」
26:72 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。

 ペテロは、「これはまずい!逃げようとすると正体がばれてしまう」と考え直したのでしょう。平静を装いながら、再びたき火にあたっている人たちの輪の中に入っていったようです。しばらくの間、なるべく会話を避けつつ、その場所で成り行きを見ていたのでしょう。しかし、一時間ほどたった時(ルカ22:59)、再びペテロに気付いた人が話しかけます。
26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。
26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

※鶏が鳴いた後、ルカによる福音書は次の記事を加えています。ルカ22:61 「主が振り向いてペテロを見つめられた。」

Aペテロの過去
 ペテロにとっては屈辱的な経験でした。つい数時間前、ペテロは弟子たち全員の前でイエス様に宣言したのです。
マタイ26:33-35 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
 ペテロのこの時の決意は決して嘘ではなかったはずです。「イエス様に絶対について行く。知らないなどとは口が裂けても言うはずがない」と確信していました。しかし、結果はイエス様が言われたとおりでした。ペテロは三度「そんな人は知らない」と言うのですが、その言葉は次第に強い否定になっています。最初は、とぼけて。二度目は誓って。三度目は呪いをかけて誓っています。※呪いについては、「嘘なら自分が呪われてもいい」という解釈と、「イエスを呪って」という解釈があります。
 この出来事は、使徒ペテロにとって生涯忘れることのできない経験になったはずです。

 振り返ってみると、ペテロはガリラヤ湖でイエス様の弟子として召命された後、つねに一番弟子として主に仕えました。失敗も多かったのですが誉められてきた弟子です。もともとはシモンという名前ですが、イエス様からアラム語でケパ、ギリシャ語でペテロという名前をいただきました。(※意味は岩の断片、石) また、12使徒の代表として特別な言葉を主イエスから与えられました。
マタイ16:15-19 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
 常にイエス様の側近として行動を共にしました。しかし、イエス様はペテロの失敗について預言されました。
ルカ22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 イエス様はペテロが大失敗をすることを知っておられました。そして、彼が必ず立ち直ると信じ、彼のために祈られました。大きな挫折を経験し、そこから立ち直った人なら、同じような試練にあっている人たちのことを理解し、適切な助言を与えることが出来るでしょう。ペテロの失敗と挫折は、初代教会の人々を励まし導くために、必要な経験だったといっても良いでしょう。ここから私たちは大切な事を教えられます。私たちは取り返しがつかないと思うような失敗をしたとしても、もう一度、いや、何度でも立ち上がることが出来るという事です。キリストを信じる前に犯した罪はもちろん既に赦されています。そして、キリストを信じた後、誘惑に負け、失敗し、罪を犯したとしても、神様が見捨てられることはありません。むしろ、そういう人を神様は選んで、神様の栄光のために用いてくださるのです。

Bペテロの悔い改め
マルコ 14:72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。 Immediately the rooster crowed the second time. Then Peter remembered the word Jesus had spoken to him: "Before the rooster crows twice you will disown me three times." And he broke down and wept.NIV
 新改訳では省略されていますが、英語訳では、「he broke down and wept」(彼は打ち砕かれ、泣いた)とあります。鶏が鳴いたとき、ペテロはイエス様が言われた言葉を思い出し、自分の弱さ、高慢さを思い知らされて打ち砕かれ、激しく泣きました。しかし、後に彼はこの経験を神様に感謝したことでしょう。この出来事を四人の福音書著者が皆、記しているのは、折に触れてペテロが証ししたからに違いありません。誰にでも隠しておきたい秘密があるものです。しかし、ペテロは隠しておきたい自分の犯した罪を証ししました。なぜ証ししたのでしょうか?・・イエス様の十字架によって自分の罪が赦されたことを信じ、心から感謝しているからです。弱い自分に与えられた神様の恵みを伝えたいからです。この経験は彼にへりくだる心を与え、無様な自分であっても神様は用いてくださるという確心と喜びを与えたのです。
ヘブル4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 本当の大祭司であるイエス様は、弱い私たちに同情し、あわれみを与えてくださるお方です。不正な裁判を開いた大祭司カヤパとの雲泥の差を示されます。

3.鶏の鳴き声

 イエス様はペテロに気付かせるために鶏の鳴き声を用いられました。なぜ、鶏の鳴き声なのでしょう?・・・鶏が鳴くのは早朝です。それは朝を告げ知らせる声です。「もう眠りから覚めるときですよ!」という合図です。イエス様はペテロに対してこのことを教えるため鶏の鳴き声を用いられたのでしょう。「眠りから目覚めなさい!不信仰から目覚めなさい!」と。目を覚ましていなさい・・それは世の終わりの困難な時代に生きる信仰者に与えられたイエス様の教えでした。迫害の時代に備えるために、まず使徒の柱であるペテロに「目を覚ましていなさい」と教えられたのです。
 神様は私達を目覚めさせるために、同じように何かを用いてサインを与えられます。それは交通事故かもしれません。地震や火事という災害を用いられるかもしれません。病気を用いられるかもしれません。愛する人の死を通してかもしれません。そのサインを見逃さないようにしましょう。

 神様は未信者の人にも「信仰へ目覚めさせる」ために、きっかけを与えてくださいます。事実、教会にはいろいろな人が、いろいろなきっかけでやって来られます。病気で苦しんでいる人や家庭の問題、夫婦の問題で苦しんでいる人。自分が犯した罪で苦しんでいる人。皆、何かを求めて教会へ来られます。神様は人それぞれにきっかけを与えてくださいます。きっかけは何であっても、教会へ来て、はじめて聖書の話を聞き、神について、罪について、永遠について真剣に向き合う事は大切な事です。その時に、頼りにならないものに頼ろうとするなら、がっかりするでしょう。しかし、本当に頼ることのできるお方に頼ることが出来たら、幸いなことです。神様の偉大な救いとその恵みを知ることが出来たら、誰でもやり直すことが出来ます。倒れたとしても再び立ち上がることが出来ます。