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心に響く聖書の言葉


マタイによる福音書27章11-26節「総督ピラトの裁判」



1.ポンテオ・ピラト


@裁判の背景
 当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、死刑実行を許可されていませんでした。(ヨハネ18:31参照)そのため、祭司長たちは総督ピラトにイエスを死刑にするよう訴えました。

 ポンテオ・ピラトはローマ帝国の第五代ユダヤ州総督でした。歴史家タキトゥースによれば紀元26年から約10年間在位していたと記されています。ピラトにしてみれば、ユダヤへの配属は不本意であったでしょう。ユダヤはローマの支配下にありながら、最も統治するのが難しい地域でした。ユダヤ人は自分たちを神から選ばれた民族だと信じるので、忠誠を誓いません。そのためしばしば反乱暴動が起こり、ピラトは手を焼いていたようです。ピラトはユダヤ人を嫌い、ユダヤ人もピラトを嫌っていた事をルカによる福音書は記しています。
ルカ13:1 ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。

A主イエスへの質問
27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
27:12 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
27:14 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。


 祭司長たちが総督ピラトに訴えたイエスの罪状は、「この男はイスラエルの王だと自称し、イスラエル国民を扇動してローマ帝国に反逆を企てている」という内容だったので、ピラトの質問は「あなたは、ユダヤ人の王ですか?」で始まりました。詳しいやり取りをヨハネ福音書は記しています。

ヨハネ18:33-38 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」
イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。」

B釈放したい理由
 ピラトには、イエスを釈放したい理由がいくつかありました。
a.彼なりの正義感
 イエスは罪を犯していないと判断した。
27:18 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。

b.ユダヤ人たちの言いなりになりたくないという総督のプライドゆえ

c.妻から願い
27:19 また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」

d.イエス様の神性に触れたから
 ピラト自身も権威を持つ人ですが、彼はイエスが何か大きな権威を持つ人だと気付きました。ピラトはイエスを裁くべき立場であったのに、「真理とは何ですか?」とイエス様に質問しました。もう少しで彼はイエス・キリストの求道者になるところでした。救い主イエスと直接話す機会が与えられたのに、彼は真理を知ろうとする寸前まで来て後ずさりし、背を向けてしまいました。総督という立場、プライドが邪魔をしたのです。


2.ピラトがとった回避策


 総督ピラトはイエスの処刑を回避するために、色々と策を考えました。

@ヘロデ・アンティパス
 先ずはイエスがガリラヤのナザレ出身だと分かると、「それなら、ガリラヤの国主ヘロデ・アンティパスに裁かせたらよい」と考え、ヘロデ・アンティパスの所へイエスを送りました。都合よくヘロデは過越の祭りのためにエルサレムへ上って来ていました。しかし、ヘロデはイエスが思ったような奇跡を何も見せないので、すぐにピラトの元へ送り返しました。(ルカ23章参照)

Aバラバ
 次に考えたのが、祭りの時の慣習で一人の囚人を赦免することになっていたので、イエスを釈放しようと考えました。
27:15 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。
27:16 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕らえられていた。
27:17 それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」


 バラバについては、暴動が起こった時に殺人、強盗を犯して捕まった囚人だと記されています。ピラトは、群衆がまさか極悪人バラバを釈放しろと言うはずがないと思っていたのでしょう。しかし、群衆はイエスでなく、バラバを選びました。※1.フットノート参照

27:20 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
27:21 しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。



 祭司長たちは集まってきた群衆を丸め込みました。時刻はまだ朝7時を過ぎたころだったでしょう。そこにいたのはイエスに死刑判決を下したサンヘドリンの議員たちと、イエスを捕らえに行った役人たちがおもだった人たちで、騒ぎに気付いて集まってきた群衆はそれほど多くはなかったはずです。女性たちは夕方から始まる安息日と過越の祭りに備えてとても忙しい一日が始まっていました。祭司長たちが群衆を扇動するのにはそれほど苦労しなかったことでしょう。

 彼らは一斉に「十字架に付けろ」と叫びました。その怒号の様なシュプレヒコールにピラトは恐怖を感じたのです。もし、彼らの主張を受け入れなければ、暴動になると直感しました。そこでピラトは最後の悪あがきをしました。

B群衆へ責任転嫁
27:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

 水を持ってこさせ、群衆の見ている前で手を洗いました。それは「自分は関わらない。罪を犯していない」という主張です。そして「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と責任転嫁しました。※2.フットノート参照

 しかし、ピラトが責任を逃れることはできません。彼だけがキリストを釈放する権限を持っていたからです。歴史はそのことを証明しました。ピラトのその後は、悪名高いカリグラ皇帝の時にガリアという地へ流刑となり、そこで自死を選んだと伝えられています。教会史の父と呼ばれるエウセビオスの「教会史」という記録の中に記されています。

27:25 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

 この不用意な一言が、世界の歴史を大きく変えることとなりました。彼らは救い主を殺した張本人となり、イエス・キリストの血の責任を取ることになりました。約40年後にエルサレムはローマ帝国に包囲され、多くの人々は餓死をし、焼かれ殺されました。神殿は破壊され、エルサレムは陥落しました。残された民は外国へ散り散りとなりました。彼らが宣言した通り、イエス・キリストの血の責任として、神のさばきが彼らとその子達の時代に下りました。

Cむち打ち
27:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。

 ヨハネによる福音書19章を参照すると、ピラトはむち打ちをすることによってユダヤ人の同情を買って、イエスを釈放したいと考えていたようです。当時のローマ帝国においてむち打ちの刑に使用するむちは、フラグラムと呼ばれ、むちの先端に硬い骨や金属片を編み込んだものでした。打たれると皮膚が裂ける恐ろしいものでした。自白させるための拷問の道具でもあり、失神したり、死亡する人も少なくなかったようです。イエス様の背中の皮膚、筋肉は切り裂かれ、背骨が現れ、血だらけになっていたでしょう。
※聖餐式の時にパンを裂くのは、イエス様の身体が裂かれたことを象徴しています。

3.十字架を取り巻く人々

 マタイはこれらの十字架を取り巻く人たちの姿、言葉を書き記すことにより、私達に何を教えようとしているのでしょうか?――ユダのお金に対する弱さと裏切り、祭司長たちのねたみと傲慢、そして総督ピラトの保身のための責任逃れ・・それらは彼らだけの問題ではなく、私達も同じ弱さを持ち、同じ罪を犯す者だと教えるのです。そして、罪を犯した人に対する神のさばきは確実だということを、彼らにくだったさばきを通して私たちは知るのです。

 しかし、同時にマタイは神様の恵みの記事も伝えています。
ペテロはユダと同じように主イエスを裏切りました。バラバは極悪人で十字架に架けられるはずの人でした。でも神様は彼らをあわれみ、救いを与えられました。
 ペテロは使徒として福音宣教に用いられました。バラバは伝承によると、後にキリストを信じ、熱心に福音を宣べ伝えて殉教したと伝えられています。確かな記録ではないのですが、そうであってほしいと願いますし、たとえそうでなくても、イエス・キリストがバラバの代わりに十字架に架けられ、バラバは無罪放免となったことは事実です。バラバは、キリストの身代わりの死によって罪赦される人のひな型となったのです。

 私達は皆、罪びとで神様に裁かれるべき人間ですが、その刑罰を赦される方法を聖書は教えています。神のひとり子、イエス・キリストの福音です。使徒パウロは次のように書きました。

ローマ 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 神様は罪人を裁かれる正義の神ですが、唯一の救いの道として福音を備えてくださいました。その救いの扉は全ての人に開かれています。どうか総督ピラトのように真理に背を向けないでください。


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 ※1.バラバの名前については、議論があります。バラバと言うのは通称であり、それは「父の息子」という意味です。バル(息子)+アッバ(父の)。バラバの本当の名前はイエス様と同じ「イエス」だったようです。ギリシャ語の写本によってはバラバ・イエスとなっています。そのため、新共同訳などは「そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。」と訳しています。おそらく、写本が書き写されていく中で、混同しないようにイエスという本来の名を消してしまったのではないかと考えられています。ですから、ピラトの質問は、「あなたがたは、誰を釈放してほしいのか。バラバと呼ばれているイエスか?キリストと呼ばれているイエスか?」であったと考えられます。

※2.「始末するがよい」という言葉は、イスカリオテ・ユダが銀貨30枚を返そうとしたとき、祭司長たちがユダに言った言葉と同じ語が用いられています。祭司長たちは自分たちがユダに言った言葉を、ピラトから聞くことになりました。