マタイによる福音書28章1-15節 「イエス・キリストーその復活」 並行箇所;マルコ16:1-9、ルカ24:1-12、ヨハネ20:1-18

 今回はいよいよマタイ28章、最後の章で、イエス・キリストの復活の記事です。長く続いた重く苦しい十字架の場面から一変して、喜びのメッセージへと変わります。イエス・キリストが墓の中より、よみがえられたからです!そして主イエスが復活したという事実には大きな意義が含まれており、私たちの生き方に深く関わる出来事なのです。他の福音書を参照しながら出来事を順を追って見ていきましょう。(復活対照表を参考)

1.日曜日の朝

@墓へ向かうマリヤたち
28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
 イエス様が十字架に架けられたのは、ユダヤ歴の1月にあたるニサンの月の14日だと思われます。その日は金曜日でした。午後3時ごろに息を引き取られ、アリマタヤのヨセフが遺体を取り降ろしたのはすでに午後5時近くだったでしょう。ヨセフはイエス様の遺体に香料、没薬を塗り、亜麻布を巻いたのですが、葬りの処置を十分できないまま急いで墓に葬ったようです。日没が近づき安息日が始まろうとしていました。律法の規定では人を葬る時にはその日のうちに、つまり、日没までに葬らなければなりませんでした。(申命記21章22-23節参照)現在でも正統派のユダヤ教徒はこの規定を守っているそうです。
 マグダラのマリヤと他の女たちは、イエス様の遺体が葬られる所をじっと見ていました。彼女たちは安息日が終ったら自分たちでイエス様の遺体に油を塗り、丁寧に葬りたいと思ったようです。安息日は規定通り休み、陽が沈んで安息日が終るとすぐにマリヤたちは香料を買って準備をし、そして日曜日の朝、まだ暗いうちに彼女たちは起きて墓へ向かったのです。
参照;マルコ16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。

A墓での出来事
 その日曜日の朝早く、同じとき、イエス様が葬られた墓ではただならぬことが起こっていました。
28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

 地震が起き、天の使いが降りてきて、墓の入り口をふさいでいた大きな石を転がしたのです。マタイは天使の神々しい姿を「その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。」と記しています。その天使を見て、番兵たちは「恐ろしさのあまり、死人のようになった」とあります。顔面蒼白、腰を抜かした状態でしょう。彼らは必死に逃げていったようです。マリヤたちが墓に到着したときにはすでに番兵たちはおらず、封印された石が転がされていたことが他の福音書に記されています。

B墓に着いたマリヤたち
 墓に着いたマリヤたちを迎えたのは天使でした。
28:5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。
 天使を見たのは彼女たちにとっても人生はじめての経験だったに違いありません。番兵たちと同じように震え恐れました。※もしかするとイエス様の母マリヤもその場所にいたのかもしれません。そうなら、彼女だけは天使ガブリエルと会話した経験がありました。しかし、天使がマグダラのマリヤたちに告げた言葉は驚くべき喜びの知らせでした。
28:5「あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
28:7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

参照;ルカ24:5-6 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」
 確かに墓の中は空っぽでした。葬られた主イエスの遺体はどこにも見当たりません。残されていたのはイエス様の遺体に巻いてあった亜麻布だけでした。「前から言っておられたように、イエス様はよみがえられた」と天使はイエス様の言葉を思い出すように諭します。
28:8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
 マタイは「大喜びで」と記していますが、マリヤたちは喜びつつも半信半疑だったようです。彼女たちは天使に告げられたとおり弟子たち知らせに走ります。そして再び墓へ戻ってきます。そこでさらに大いなる出来事を経験することになります。復活の主イエスが現われたのです。

2.復活の主イエス

@マリヤたちに現れる
28:9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
28:10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」

 何とうれしい光景でしょう。マリヤたちがどれほど喜んだか想像できるでしょうか。彼女たちは復活の主イエスを前にして、ただただイエス様の足元にひれ伏し、その御足にすがりつきながら礼拝したのです。言葉にならないほどの、息がつまるほどの喜びでした。
 復活されたイエス様の第一声は「おはよう」です。この「おはよう」と訳されているギリシャ語は「カイレテ」と言う語です。元の意味は「喜びなさい」と言う命令形ですが、あいさつの言葉として用いられるようになりました。「おはよう、こんにちは、さようなら、ようこそ」と言う意味です。現代ギリシャ語でも通常の挨拶として用いられています。復活されたイエス様の最初の言葉が「おはよう」と言うのは余りにも軽い感じがします。おそらくイエス様の真意は「復活したのだから喜びなさい」という意味を込めてこの挨拶の言葉を用いられたのでしょう。マリヤたちは命じられたとおり、喜びながら、弟子たちの所へ再び報告へ行きます。
Aガリラヤで会う
 一つ引っかかることは、弟子たちと会うのがなぜガリラヤなのでしょう?イエス様は十字架に架かられる前にも弟子たちに同じことを言われました。
マタイ26:32 「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
 天使も、復活されたイエス様も、「ガリラヤで弟子たちに会う」と言うのです。なぜ、ガリラヤなのでしょう?・・その理由は二つ考えられます。
 ・ガリラヤがイエス様の伝道のスタート地点でしたし、弟子たちにとっても使徒として召された場所でした。そして、再び教会時代における新しい任命を与えるためにガリラヤを選ばれたのでしょう。ヨハネによる福音書では、ガリラヤ湖でペテロに対して「わたしの羊を飼いなさい」と三度、命じられたことが記されています。「福音の使徒」として再び召命するため、最もふさわしい場所、それがガリラヤなのです。
※このことは私たちの人生にも適用できることでしょう。やり直す時にはいつもスタート地点に戻るのです。成功しても失敗してもどのように自分がスタートしたのかを忘れてはいけません。
 ・もう一つの理由は、ガリラヤから始まることが預言されていたからです。
マタイ4:14-16 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
 この4章の箇所では、イエス様がガリラヤから宣教を始められたことを預言の成就だとしているのですが、「新しい教会時代における福音宣教の幕開けもガリラヤから始まる事が預言されていた」とも受け取ることが可能です。ガリラヤから福音の光が上るのです。著者マタイは最後の最後までユダヤ人たちに、彼らが学んできた聖書の預言の言葉に目を向けさせ、彼らの目が福音に開かれることを願っているのです。
B番兵たち
 墓の番をしていた兵士たちはその後どうなったでしょうか?マタイは次のように記しています。
28:11 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。
28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

 番兵たちは総督ピラトの所へは恐れて戻ることが出来ませんでした。「天使が現われて遺体がなくなってしまった」などとピラトに話しても納得してもらえないでしょう。それどころか任務をしくじったという事で処刑されてしまうと考えたのでしょう。彼らは墓の番を頼まれた祭司長たちの所へ行って報告します。祭司長たちは番兵たちの報告を聞いてイエス様の復活を信じたでしょうか?・・とんでもありません。彼らは先祖たちと同じようにうなじのこわい人々です。(参照;出エジプト 32:9 【主】はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。) 彼らは兵士たちに賄賂を渡して、「居眠りしている間に弟子たちが遺体を盗んでいったと証言しろ。後の事は何とかするから」と言って、あくまでキリストを信じず、弟子たちを犯罪者に仕立て上げようとしたのです。

3.復活の証言

@番兵たちの証言
 よく考えるなら、番兵たちの証言はでたらめだと誰でもわかります。番兵数人が全員同時に居眠りをしていたとは考えにくいことです。そして番兵たちが居眠りしている間に、イエスの弟子たちがやって来て、封印を壊し、音を立てずに墓の入り口の大きな石を動かし、遺体を気付かれずに盗んでいった、という事は考えられないことです。また、番兵が眠っていたなら、遺体を盗んでいったのが弟子達だとどうしてわかるでしょう。明らかにつじつまの合わない証言です。しかし、復活を信じようとしない人たちにとっては、それしか説得する方法がなかったのです。
A弟子たちの証言
 百歩譲って、弟子たちがイエス様の遺体を盗んだと考えてみましょう。何のためにそんな事をしたのでしょうか?ユダヤ社会に対する恨みから、キリスト教を作って対抗したかったからでしょうか?自分たちが信じてきたイエス様をメシアに仕立て上げて優越感に浸りたかったからでしょうか?・・いずれにしても、弟子達には何の得もありませんでした。彼らはその後、キリストの復活の証人として伝道しましたが、ユダヤ人からもローマ帝国からも激しい迫害を受け続けました。社会から憎まれ、牢獄につながれ、拷問を受けた挙句、ほとんどの弟子たちは殉教の死を遂げました。彼らは処刑される最期までキリストが復活されたことを証言し続けたのです。番兵たちのように自分の身を守るために、また報酬をもらうために嘘の証言をする人もいるでしょう。しかし、キリストの復活の証人たちは、迫害され貧しくなることを覚悟の上で証言したのです。
B教会の成長
 弟子達の命がけの福音宣教によって、人々が救われ、キリストの教会が成長しました。ユダヤでは土曜日が安息日で休みでしたが、次第にイエス様が復活された日曜日の朝に人々は教会に集まり、礼拝を持つようになりました。このこともイエス様が日曜日の朝に復活された証明の一つです。私たちクリスチャンは、十字架に架かって死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられた主イエス・キリストの、その復活を記念して毎週日曜日の朝に集まり、父なる神様に礼拝をささげるのです。ですから、毎週が特別礼拝であり、キリストの復活を記念するお祭りです。
C生きる希望
 キリストが墓の中からよみがえったという福音は、私たちに永遠の希望を与えます。使徒パウロは次のように復活の意義を述べています。
Tコリント15:19-21 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
 キリストがよみがえったのは初穂としてです。キリストの復活は「私たちも、死んで、葬られて、そしてよみがえる」ことの証明です。死とよみに打ち勝ってよみがえられたキリストこそ私たちの希望であり、その希望の保証です。「カイレテ」(喜びなさい)とは、復活の主イエスの最初の言葉として最もふさわしい言葉なのです。