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心に響く聖書の言葉


使徒の働き 講解説教

使徒の働き1章1-9節
「イエス・キリストーその昇天@」



 新約聖書の四つの福音書には、イエス・キリストの十字架上での死と葬り、復活、そして宣教命令が記されています。しかしながら、イエス様の生涯を著わした福音書著者たちはイエス様の昇天についてほとんど記していません。マルコとルカにはわずか一行ずつ、マタイ、ヨハネにおいては全く触れてもいません。ですから「使徒の働き」に昇天の詳細記事があることはとてもありがたいことです。

1.福音書のまとめ

A.著者ルカ
 使徒の働きの著者は、その内容からルカであると考えられています。あて先はテオピロという高い地位にある人でした。ルカについて知られていることは、
 @ルカによる福音書と使徒の働きの著者
 A医師
 Bパウロの伝道旅行にしばしば同行した
 Cパウロが捕らえられローマへ連行された時もパウロに同行し、ローマでも一緒に居た
 それゆえルカはパウロの伝道旅行に関して詳しく記すことが出来ました。また、彼の医師としての資質、こまやかな性格もあり、綿密な調査のもとに出来事を記しています。

1:1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、
1:2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。


B.40日間
 1-3節では、福音書の内容を簡潔にまとめています。新しい情報としては、イエス・キリストがよみがえって弟子たちに姿を現された期間は40日間だという事です。「40日間」は聖書の中で、試練あるいは準備の期間であり、その後に特別な出来事が起こっています。
(ノアの洪水;創7:4、モーセの十戒;出 34:28、カナンの地偵察;民 14:34、エリヤがホレブ山へ;T列王19:8、二ネベ滅亡;ヨナ3:4、サタンの誘惑;マタ 4:2)

 弟子たちにとってもこの40日間は訓練と準備の期間でした。イエス様は幾度も弟子たちの前に姿を現し、彼らに「神の国のことを語り」ました。それはイエス様が公生涯で教え続けて来られたことでした。また「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された」のです。その目的は、弟子たちをキリストの復活の証人とし、迫害に負けない信仰と確信を持たせるためでした。「数多くの証拠」とはどんな証拠でしょうか?・・手の釘の跡、脇腹の槍に刺された傷を見せられたこと、「わたしに触りなさい」と言われたこと、魚を食べられたことなどです。当時の人たちは「幽霊は魚を食べない」と信じていたので、復活されたイエス様はあえて魚を食べられたのです。

※主イエスの復活後の出来事をまとめると、次のような順序であったでしょう。
 @復活の日曜日の夕方に弟子たちに現れた(ヨハネ20:19、マルコ16:14;食事をしていた)
 A一週間後の日曜日、トマスもいるときに再び現れた(ヨハネ20:26)
 B弟子たちにガリラヤへ行きなさいと命じられた(マタイ28:10)
 C弟子たちがガリラヤ湖で漁をしていた時に現れた(ヨハネ21章)
 D山へ上れと命じ、山の上にて宣教命令を与えた(マタイ28:16)
 Eエルサレムを離れるなと命じた(ルカ24:49)
 Fベタニヤまで弟子たちを連れて行き、オリーブ山へ上った(ルカ24:50、使徒1:12)



2.二つの命令


1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

 イエス様は昇天される前に二つのことを弟子たちに命じられました。
「エルサレムを離れるな」と「父の約束を待ちなさい」です。

A.「父の約束を待ちなさい」

 まず「父の約束を待ちなさい」について考えましょう。約束とは、「聖霊が与えられる」という約束です。
ヨハネ 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

 助け主とは聖霊のことです。
ヨハネ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 実際に聖霊が与えられたのは約10日後のペンテコステの日でしたので、弟子たちは約10日間待たなければなりませんでした。この聖霊が与えられることを、イエス様は「聖霊のバプテスマ」と表現されています。ヨハネが授けた水のバプテスマと対比させて教えておられます。

 ヨハネが授けた水のバプテスマとは、犯してきた罪と不信仰を悔い改め、罪を赦していただき、神様に従うという信仰告白のためでした。川に入っていき全身を水に浸すという方法で行われました。足のつま先から頭のてっぺんまで水の中に入ることによって、すべての罪が洗い流されることを象徴したのです。

 聖霊のバプテスマはその象徴が実際に起こることです。聖霊が私たちの中に入り、私達が聖霊の中に入る・・つまり聖霊と一体となるのです。聖霊のバプテスマによってすべての罪(罪の負債)が洗い流されます。そのとき私たちは霊において新しく生まれます。永遠のいのちを持ち、神様の子供となるのです。

Tコリント 6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

ローマ 8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

 聖霊のバプテスマは生涯に一度だけ、私たちがイエス・キリストを信じるときに起こります。聖霊が私たちのうちに宿られると聖書は教えているからです。与えられた聖霊が取り去られたり、再び与えられたりすることはありません。聖霊が取り去られるなら、救いも失うことになります。しかし、イエス・キリストの救いは永遠だと約束されています。

Tヨハネ 2:25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。

 「聖霊のバプテスマ」という言葉は旧約聖書には登場しません。つまり、新しい神様の制度が導入されたという事です。神様のご支配の仕方が変わり、新しい時代に入っていくことが啓示されています。つまり教会時代への移行です。その教会時代の特徴は、聖霊が信仰者に内住する時代であり、聖霊の時代とも呼ばれます。神様が人々を聖霊によって導かれる時代です。

 時代の区分を理解するなら、イエス様がなぜ昇天されなければならなかったのかが分かります。聖霊の時代のためです。イエス様が地上に留まり続けたなら聖霊によって導くことができません。イエス様が地上から去らなければ聖霊の時代は来ないのです。

ヨハネ 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。


 では、何のために聖霊の時代を与えられたのでしょうか?・・二つの大きな目的のためです。
@異邦人からも信仰の民を集めるためです。
使徒 11:18 人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。

Aイスラエルにねたみを起こさせ、悔い改めさせるためです。
ローマ 11:11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。



B.「エルサレムを離れるな」

 主イエスが弟子たちに命じられた二つ目は、「エルサレムを離れるな」でした。なぜエルサレムなのでしょう?・・それはエルサレムから宣教が始まることが預言されていたからです。それが父なる神様のご計画だからです。

イザヤ 2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて示された先見のことば。
2:2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
2:3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
2:5 来たれ。ヤコブの家よ。私たちも【主】の光に歩もう。

※ミカ4:1-3にも同じ預言があります。

 エルサレムから主のことばが出て、世界中の人々がその教えに耳を傾ける。その時に世界の平和が実現するという壮大な預言です。人間の政治努力や平和活動は大切な事ですが、本当の平和をもたらすことができません。なぜなら人の心を変えることが出来ないからです。しかし神の御言葉は私達の心を作り変えることが出来ます。神の御言葉は私たち人類に平和をもたらす福音です。平和を与える福音とは、十字架のことばです。十字架の贖いによって神との平和が与えられます。

 また、「キリストの身代わりの死によってあなたの罪が赦されたのだから、あなたも隣人の罪を赦しなさい」というメッセージこそ、平和の礎です。その御言葉はエルサレムから出ると預言されているので、エルサレムから離れるなと命じられたのです。イエス様は弟子たちにこの福音を宣教することを命じられたのですが、彼らにはその時点で宣教する力がありませんでした。ですから、聖霊が降るのをエルサレムで待たなければならなかったのです。

 弟子たちは二つの命令と聖霊のバプテスマのことを聞いたときに、十分に理解できませんでした。それで、彼らがずっと待ち望んでいたキリストの王国が誕生するのではないかと考えました。

1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。


 イエス様の答えは、「知らなくてよい」でした。その理由は、教会時代がこれから始まり、キリストの王国は延期されたからです。また、世界平和の実現も将来に延期されました。しかし、弟子たちが抱いていた王国の希望は決して間違いではないことをイエス様は示すために、「父がご自分の権威をもってお定めになっています」と答えられました。キリストが支配する王国は教会時代が終わる時に始まります。その時、イエス・キリストが再び天から降りて来られ、キリストが支配する千年王国が開始され、世界平和が実現するのです。

3.主イエスの昇天

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

 

 イエス様は最後に弟子たちに宣教の使命を与えて昇天されました。王国の希望を告げつつ、「しかし」と言われ、目前に控えた大いなる教会時代における祝福と使命を弟子たちに示されました。「聖霊のバプテスマを受けると、あなたがたは力を受ける」のだと。その力は証しする力です。エルサレムから始まり、全世界へと出ていき、キリストの証人となる力です。このことばを残してイエス様は天に上げられました。

 マタイによる福音書に記された宣教命令では「わたしは世の終わりまであなたがたとともにいます」との約束でしたが、実際は離れて行かれました。矛盾していると思うかもしれませんが、実はそうではありません。聖霊が与えられるからです。聖霊は三位一体の神の第三位格として、キリストの臨在を私たちに与えるからです。キリストが聖霊を通して信仰者と共にいてくださる。ですからイエス様の約束は間違いではありません。

ガラテヤ 2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。



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