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心に響く聖書の言葉


使徒の働き 講解説教

使徒の働き2章14-41節
「使徒ペテロの説教」

 使徒の働き2章には、教会の歴史の始まりが記されています。五旬節(ペンテコステ)の日に、まず12使徒たちに聖霊が降りました。
(他の弟子達も含まれていた可能性もありますが、2章7節や14節を読む限り、12使徒に限定されていたと思われます。)

 聖霊が降り、新しい時代(聖霊の時代、教会時代)が始まったことを示すために、神様は特別なしるしを現わされました。

2節「天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

 五旬節の祭りのために外国に住んでいた多くのユダヤ人たちもエルサレムを訪れていたので、町は人でごった返していました。そのただ中で人々は聖霊降臨のしるしを見、そして自分たちが住んでいる国々の言葉で福音メッセージを聞いたのです。これは異言と呼ばれるしるしです。異言はしゃべっている本人には分からない言葉ですが、間違いなく外国語ですから、その外国の人にははっきり理解される言葉です。

※異言は「御使いのことば」なので誰にも理解できないと教える人がいます。これは次の聖書箇所からくる教えです。
Tコリント 13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
 「人の異言」と「御使いの異言」が区別されています。しかし、「御使いの異言」がどのような言葉なのかをはっきり知る手掛かりはありません。使徒たちに与えられたしるしは「人の異言」と言えるでしょう。そしてそれは外国の人に理解され、解き明かしが可能な言葉です。(Tコリント14:27参照)

 エルサレムに集まっていた人々は神様のしるしを見て、聞いて、唖然としたことでしょう。しかし、どこの国でも、どこの社会でもひねくれ者はいます。「彼らは甘い葡萄酒に酔っているのだ」とあざける人たちがいたことを著者ルカは記しています。

 その時、使徒ペテロが満を持して立ち上がり、12使徒を代表して話し始めました。ペテロの偉大な説教の始まりです。なんと約三千人が救いに導かれたメッセージです。この使徒ペテロの説教に耳を傾けましょう。

1.状況説明

2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』


 使徒ペテロはまずユダヤ人に呼びかけ、話を聞いてくれるよう懇願しました。そして、驚き戸惑っている人たち、誤解してあざける人たちに向かって、今、何が起こっているのかを説明しました。この出来事は預言者ヨエルが前もって預言していたことの成就であり、神様が与えられたしるしだから驚くべきことではないと。聖書に慣れ親しんでいるユダヤ人にとって、神様がしるしとして奇蹟を起こされることは素直に受け入れられる事だからです。

2.イエス様の十字架と復活

2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
2:26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
2:27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
2:28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
2:30 彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
2:31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。
2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』




 次に、ペテロはイエス・キリストについて言及しました。
@主イエスの生涯は奇跡に満ちていた。
Aあなたがたが主イエスをローマ(総督ピラト)へ引き渡して十字架につけて殺した。
B私たちはキリストがよみがえられたことの証人。
Cキリストの復活はダビデが預言していた。

 イエス様の復活をダビデ王が預言していた事を使徒ペテロはていねいに説明しています。詩篇16篇、110篇から御言葉を取り上げ、キリストは必ずよみがえらなければならなかったことを解き明かしました。

・ダビデ王は死んで葬られて、現在も彼の墓がある。
・したがって27節の御言葉はダビデ自身のことを預言したのではない。ダビデは預言者として救い主(キリスト)のことを預言していた。
・ダビデの預言通り、キリストはよみがえられた。ペテロたちはイエス様がよみがえった事の証人。
・イエス様は確かによみがえられ、天に上げられたので、今、約束の聖霊が与えられた。

3.あなたがたの罪

2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 救い主イエスを「あなたがたは十字架につけた」と宣言し、ユダヤ人が行なった罪と過ちを指摘しました。しかし、聖書のメッセージはユダヤ人にとどまらず、アダムから生まれた人類「すべての人がイエスを十字架につけた」と宣言しています。罪人である私たちは誰一人、言い逃れすることが出来ません。「私たちがイエスを十字架につけた」のです。

4.悔い改めよ

2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。


 心を刺された人たちは「私たちはどうしたらよいのでしょうか?」と言いました。ペテロの答えは、「悔い改めなさい」と命じました。ペテロはユダヤ人のための使徒ですから、旧約聖書の預言から説明し、悔い改めて神様に立ち返るべきだと説教しました。

 ペテロのメッセージは基本的に旧約聖書のイザヤやエレミヤをはじめとする預言者たちのメッセージと同じだと言えます。不信仰に陥り、神様に背を向けているイスラエル人に対して、悔い改めて、神様の御言葉を信じて従いなさいというメッセージです。ただし、旧約では預言者を通して語られた御言葉を信じるべきでしたが、ペテロの説教ではイエスこそ神のみこころであり、イエス様を受け入れることが求められています。


※38節では、水のバプテスマを受けることが救われる条件のように受け取れますが、悔い改めた結果として受ける礼典と考えるべきです。もしも救いが礼典によって与えられるとするなら、信仰は意味がなく、救いは恵みではなくなってしまうからです。

 また、旧約時代では悔い改めて従うときに与えられるのは神の祝福でした。「約束された祝福」を大まかに挙げるなら、@敵に打ち勝ち、A約束の地に平安に住むようになる、という祝福です。しかし、ペテロの説教では、「賜物として聖霊を受けるでしょう」と語られています。つまり、教会時代の最大の祝福は聖霊の内住が与えられることです。旧約では「神が信仰者と共に歩まれ」ましたが、新約では「神があなたの内に住んでくださる」のです。その結果、新約時代のキリスト者は、@魂の救い、A罪の赦し、B永遠のいのちにあずかっているのです。

 私達に与えられた聖霊の価値を知るなら、悪が支配するこの世にあっても喜びと平安を持って歩むことが出来ます。ペテロは「この曲がった時代から救われなさい」と言いました。使徒パウロはガラテヤ書簡で次のように書き記しました。

ガラテヤ 1:4 「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」


 この世は曲がった時代であり、悪の世界なのです。正しい者は悪しき者から迫害されます。貧しい者はさらに苦しめられ、弱い者はさらにさげすまれます。まったくもって不公平な世界です。しかし、聖霊に満たされて歩む人は、この暗い世界の中にあってもつまづくことがありません。

5.説教の結果

2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

 ペテロの説教によって三千人ほどがイエス・キリストを救い主と信じて弟子に加えられました。イエス・キリストの福音の勝利です。悪魔はペテロの説教によって恥をかいてしまいました。悪魔はペテロを誘惑して、イエス様が十字架に架かる預言を話されたときに、「そんなことを言わないでください」と、いさめさせました。祭司長たちに捕らえられて裁判を受けているときにはペテロに三度も「私はイエスを知らない」と言わせ、人々を恐れて部屋に閉じこもらせました。

 しかし、聖霊が使徒たちにくだった時、悪魔は何一つ手出しをできず、ペテロたちは大胆に福音を宣べ伝えました。そして多くの人々が永遠のいのちに入りました。聖霊の力の勝利でした。そして愛する御子イエスを惜しまずにささげられた父なる神様の勝利でした。




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