心に響く聖書の言葉

五章 空中携挙とは




 聖書に記された将来起こる出来事の中で、特筆すべきものがあります。それは「空中携挙」、または「空中再臨」と呼ばれる出来事です。これはおもに次の聖書箇所が根拠となっています。

Tテサロニケ4:15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 これは使徒パウロがテサロニケの教会に宛てた手紙に記された預言であり、使徒時代以降、今日まですべてのクリスチャンに希望を与える預言となっています。預言の順序は次の通りです。

@主イエス・キリストが天から空中まで下って来られる
Aキリストにある死者がよみがえる――教会時代において死んだすべてのクリスチャンがよみがえる
B生き残っているクリスチャンが、よみがえったクリスチャンたちと一緒に空中に引き上げられ主と会う
Cいつまでも主と共にいる
――この後、後述する患難期がありますが、その間、すべてのクリスチャンは一時的に主と共に天国へ行くことになります

 この空中携挙の預言は、迫害下で苦しむクリスチャンを励ますためだけでなく、神様が天地創造された時からご計画された大切な目的と意義があります。

1.キリスト者のために来られる

 空中携挙の目的の第一は、キリストを信じるすべてのクリスチャンのためであり、特に将来起こる患難の時から救い出すために主イエス・キリストが空中まで降りて来られ、信者たちを引き上げてくださるのです。

Tテサロニケ1:9 私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
1:10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。 

 「やがて来る御怒り」とは将来に起こる患難の時のことを指しています。その苦しみの時代から信者は救い出されると約束されています。肝心な点は、「守られる」のではなく、「救い出される」のです。
※黙示録3章10節ではフィラデルフィアの教会への御言葉で「全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。」と記されているため、教会が患難期にも存続すると解釈する神学者も多い

 イエス・キリストは次の御言葉で空中携挙を約束されました。

ヨハネ14:1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

 「あなたがたをわたしのもとに迎えます」という約束は、キリストを信じるすべてのクリスチャンに語られています。その中には死んで葬られたクリスチャンと、その時に生き残っているクリスチャンの両方を対象としていると考えられます。それは教会が完成した時であり、聖書中「異邦人の満ちるとき」(ローマ11;25)と呼ばれています。また、それはキリストの花嫁である教会の準備が整ったときであり、花婿であるキリストが花嫁である教会を迎えに来られる時として聖書は描いています。

エペソ5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

黙19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
19:8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」

マルコ2:18 さて、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、断食をしていた。そこで、人々はイエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」
2:19 イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、断食できるでしょうか。花婿が一緒にいる間は、断食できないのです。
2:20 しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。その日には断食をします。

―――ここでイエス・キリストはご自身のことを「花婿」だと語られています。結婚式を控えた花婿にその友人たち(弟子たち)が付き添い、共に祝い、花嫁を迎える準備をするのです。しかし花婿であるキリストは預言通り、十字架刑によって友人たちから取り去られてしまいました。その後、キリストは墓からよみがえられ、天へ帰られました。そして花婿であるキリストは、準備が整った花嫁を迎えるため再び天から降りて来られ、花嫁である教会を迎えられる――これが空中携挙の目的であり、創造主の特別なご計画なのです。

 次のバプテスマのヨハネの言葉は、この聖書の真理を言い表しています。
ヨハネ 3:29 花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。

 バプテスマのヨハネは旧約時代の信仰者でした。しかし、教会の一員ではなかったので、花嫁ではありません。ヨハネは自分のことを花婿(キリスト)の友人だと言い、花婿の声を聞いて喜んでいるのだとその信仰を証ししたのです。

2.空中携挙は救いの完成である

 空中携挙の二つ目の目的は、救いの完成です。すでに死んでしまったキリスト者は、霊において主のみもとにいますが、その肉体はちりとなっています。これは理想的な救いではありません。
(第二コリント5:8 伝道者12:8参照)
 では、救いの完成とはどのようなものでしょう?――使徒パウロが次のように教えています。

Tコリント15:50 兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
15:54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に呑み込まれた。」

 この箇所で使徒パウロは二つのグループがあることを教えています。死んでしまった(眠った)信者と、生きている(私たち)信者です。
・みな眠るわけではありません――眠る人と眠らないグループがある
・死者(すでに死んだクリスチャン)は朽ちないものによみがえり――私たち(生き残っている信者)は変えられる
・朽ちるべきもの(死んだクリスチャン)が、朽ちないものを必ず着る――死ぬべきもの(生きているクリスチャン)が、死なないものを必ず着る

 パウロがここで教えていることは、朽ちるべき死人が朽ちないものによみがえり、そして死ぬべき人間が死なずして栄光の体を持つとき、アダムとエバ以来、人間を縛ってきた呪いである「死」に対する完全な勝利が実現する、という壮大な預言なのです。これが「救いの完成」なのです。


3.さばきと報いのために来られる

 空中携挙の三つ目の目的は、さばきと報いのためです。イエス・キリストが花嫁である教会を迎えに来られるとき、キリスト者各人はその肉体にあってした行為に応じて報いを与えられる事が約束されています。

Uコリント5:10 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。

@罪のさばきではない

 「キリストのさばきの座」と記されていますが、信者の罪のさばきがあるのではありません。なぜなら信者の罪は完全に赦されているからです。

Tヨハネ 2:12 子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

 信者の罪は、すでに十字架の上でさばかれたのです。したがって、すべての信者はキリストにあって義とされ、父なる神様に受け入れられる者となっています。どんなに不従順な信仰生活を送ったクリスチャンでも、キリストとお会いするときに下を向く必要はありません。キリストに愛されている者として胸を張ってキリストにお会いすることが出来るのです。


A報いの基準

 では、キリストのさばきの座において与えられる報いはどのような基準によるのでしょうか?――次の箇所でその基準が教えられています。

Tコリント3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
3:13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
3:14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。

 その基準は火によると書かれています。そして私たちの行いは家を建てるようなもので、その材料を燃えないもので建てた人は報いを受け、燃えるもので建てた人はその行いすべてが灰になってしまいます。材料とは信仰者の心、動機、目的、手段などであり、キリストという土台にしっかり建てられている事が重要です。従って私たちは自分の信仰と思いに気を付け、聖書の教えをよく理解して歩む事が必要となります。聖書を学ぶことは神様の御心を知ることであり、あなたが進むべき信仰の進行方向を決める基準となるのです。

B与えられる報い

 キリストのさばきの座において、どのような報いが与えられるのでしょう?――多くの報いが約束されています。

a.イエス・キリストの花嫁としての立場が与えられます

エペソ5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

 クリスチャンはキリストの花嫁として、その愛の中で恵みと幸いを与えられて生きるようになります。

b.神の子どもとしての特権

 イエス・キリストを信じた時点で神の子どもという特権が与えられています。(ヨハネ3章16節参照)そして子どもであるなら、相続人でもあると教えられています。

ローマ 8:17 子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

 ではクリスチャンはキリストと共に何を相続するのでしょう?――御国だと聖書は教えています。

エペソ1:10 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。
1:11 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。

 「御国」とは千年王国を指しています。またローマ4章13節では「世界の相続人」になると預言されています。つまり教会はキリストの花嫁として、キリストと共に世界を相続し、世界を義によって正しく統べ治めることが預言されているのです。

c.冠を与えられる

 キリスト者に与えられる報いは、冠として描かれています。
・朽ちない冠(第一コリント9;25)
・義の栄冠(第二テモテ4;8)
・いのちの冠(ヤコブ1;12)
・栄光の冠(第一ペテロ5;14)
――聖書が書かれた時代において、冠は最高の栄誉と光栄を表すものでした。

4.聖霊を取り除くために来られる



 空中携挙の目的の四つ目は、聖霊を取り除くためです。教会はペンテコステの日に信仰者に聖霊が与えられた時から始まりました。それゆえ教会時代を「聖霊時代」と呼ぶこともあります。従ってキリストが空中まで来られて教会を引き上げられる時は、教会時代の終わりだと言えます。聖書はそれを「聖霊を取り除くとき」と教えています。

Uテサロニケ2:1 さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。
2:2 霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
2:3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。
2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。
2:6 不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。
2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。
2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。

 預言の時間的順序は次の通りです。
@不法の者(滅びの子)の出現を引き止めている者が取り除かれる
A不法の者が現れる
B不法の者が自分こそ神であると宣言して、神の宮に座る
C主の日が来る――主イエスが不法の者を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされる

 不法の者とは、患難期において世界を支配する「反キリスト」であることは間違いありません。問題とされるのは不法の者(反キリスト)の出現を「引き止めている者」とは誰を指しているのかという点です。人間に与えられた聖書の啓示の中で考えられる答えは「聖霊」しかありません。患難期から信仰者を救い出すためにキリストが空中まで来られる事を知っているなら、聖霊を内住させたクリスチャンが天に引き上げられることは、聖霊が地上から取り去られることだと理解できます。つまり空中携挙は聖霊時代の終わりを告げるのです。聖霊が取り去られるので、悪の勢力が力を増し、反キリストが出現するのです。

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 空中携挙により、神様がご計画され立てられた教会の時代は終わりを告げ、新しい時代へと入っていきます。厳密には患難期は旧約時代に逆戻りした状態になり、イスラエル選民に与えられた契約の時代に戻ります。患難期の重要な目的は、イスラエルを試練に会わせ、彼らを再び主に立ち返らせることです。この患難期において反キリストが世界を支配し、イスラエル人を迫害し、虐殺することが預言されています。そして天変地異が起こり、大災害によって多くの人が死に、世界中が嘆き悲しみます。世界は神とその選民イスラエルを憎み、組してイスラエルを総攻撃します。その時に主の日が来るのです。キリストが地上に再臨し、反キリストを殺し、すべての悪をさばき、新しい時代が始まります。それが千年王国です。この王国において、教会はキリストの花嫁としてキリストと共に世界を治めるのです。

 空中携挙は旧約聖書時代には隠されていた事であり、奥義と言えます。空中携挙は今、すぐに起こってもおかしくない聖書の預言です。ですからすべてのクリスチャンはこの希望を持って歩んでください。信仰を持たない人々にとっては、空想話としか受け取れないでしょう。しかし、世界の歴史は神様の多くの超自然的な奇蹟によって創られてきました。ノアの洪水、ソドムとゴモラのさばき、出エジプト、キリストの不思議に満ちたご生涯、数え上げればきりがありません。神様は世の終わりの時に、驚くべきしるしを見せてくださるのです。そのしるしはキリストを信じるすべての人々を救い出すためなのです。使徒パウロが書いた聖書の御言葉をもう一度読みましょう。

Tテサロニケ4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい

 その日、キリストを信じる者は、聖書の預言が真実であることを確認し、喜び、永遠にキリストと共に住むようになるのです。その日は感謝と賛美に満ちた素晴らしい日になるでしょう。

 もしもあなたがキリストを信じていなくて、周りのクリスチャンが一斉にいなくなるのを見たなら、聖書の預言が成就したのだと気付いてください。苦しみと混乱の七年間が始まるでしょう。キリストを信じようとするなら激しい迫害を受けることでしょう。しかし、すぐにキリストが再臨されることを信じてください。永遠のいのちが約束されているキリストの福音を信じてください。


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