心に響く聖書の言葉

八章 最後のさばき




 近い将来、千年王国時代が始まることを聖書は預言しています。その千年王国の終わりには、人類に対する神様の最後の審判が下されます。このさばきは「白い御座のさばき」と呼ばれています。

黙示録20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

 「白い御座のさばき」は、創造者である神を崇めず、罪の中に生きたすべての人間に対する最後のさばきです。へブル人への手紙では、人間にはさばきを受けることが定められていると記しています。

ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

1.さばきの時、天と地が滅びる


 使徒ペテロが書いた手紙にも、さばきの時には今の天と地が滅びることが預言されています。

Uペテロ3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
Uペテロ3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。

 つまり、天地創造の以前の状態に戻るということです。すべての物質存在が無くなり、霊的存在のみの状態に戻るのです。

2.さばきの基準


 神様のさばきは絶対的な主権と正義によってさばきが行われます。したがって人間には弁明や弁解の余地がありません。黙示録では「これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。」とあります。複数の書物とは、「行いの書」「いのちの書」があり、また、キリストのことばが記された「聖書」もあるはずです。

詩篇139:16 あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。

出エジプト32:32 今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」
32:33 【主】はモーセに言われた。「わたしの前に罪ある者はだれであれ、わたしの書物から消し去る。

黙示録3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。

ヨハネ12:48 わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。


3.さばきの結果


 黙示録では「いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」と記されており、それが「第二の死」だと呼ばれています。

 火の池に投げ込まれる人と救われる人の違いは信仰の有無にかかっています。しかし人間的な観点では、不公平だと感じます。善良な人や、生涯を慈善事業にささげた人でも火の池に投げ込まれるのか?、生涯において一度も福音を聞く機会がなかった人たちも同じようにさばかれるのか?、貧しく生まれ、生涯苦しみ死んだ人にはあわれみがないのか?――これらの質問に対して明確な答えはありません。ただ一つ言えることは、神様のさばきは決して不公平ではないはずです。黙示録では「彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。」とあります。また、イエス様の教えに、「ある金持ちと貧しいラザロ」の話があります。二人とも死んでしまったとき、天国にいるアブラハムが金持ちに告げました。

ルカ16:25 するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。

 聖書は信仰がない人の救いを教えてはいませんが、さばきについてはその人の善良さ、味わった苦しみの大きさなど情状酌量されることは明らかです。しかし、どれほど情状酌量があったとしても天国における祝福に比べることは出来ません。私たちは生きている間に、創造者を知り、キリストによって罪を赦され永遠のいのちを持つことこそ、さばきから逃れる唯一の方法です。私たちの生涯において最も優先されるべきことなのです。これを読まれているあなたが、キリストを救い主と信じて救われることを心から願います。



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※ハデス(よみ)とゲヘナ(地獄、火の池)の区別

 旧約聖書では、死んだ人は信仰の有無に関わらず、「ハデス(よみ)に下る」とされていました。

ヨブ 21:13 幸せのうちに寿命を全うし、安らかによみに下る。
民数記 16:33 彼らと彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下った。地は彼らを包み、彼らは集会の中から滅び失せた。

 イエス・キリストの教えにより、ハデスは上下二つに分かれていることが分かります。

ルカ16:26 そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』
 
 ハデスの上の部分は「パラダイス」と呼ばれ、イエス様が十字架に架かられたとき、共に十字架に架けられた強盗の一人に次のように言われました。

ルカ 23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

 したがって旧約時代においては、ハデスは二つに区分されており、信仰者が行く幸いな場所と不信者が行く苦しみの場所でした。しかし、イエス・キリストが復活して以降、信者は死ぬとキリストの身許へ行くとされており、そのパラダイスの場所は第三の天と呼ばれ、ハデスと切り離されて上にあるとされています。それゆえ、白い御座のさばきの結果、ハデス(よみ)にいる者はすべてゲヘナ(地獄)へ行くと定められています。

ピリピ1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。

Uコリント12:2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
12:4 彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。

黙示録20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。

 ゲヘナ(地獄)は罪人(罪を赦されていない人)が行く最終地です。そこには悪魔と反キリストもおり、永遠に火と硫黄の燃える場所であり、そこから誰一人逃れ出ることは出来ません。 人々をこのゲヘナへ行かせないため、キリスト者は福音宣教の使命を与えられています。


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